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自分流塾「雑に扱われているなら、離れよう」 Posted on 2024/02/17 辻 仁成 作家 パリ

自分流塾「雑に扱われているなら、離れよう」

自分を大事にする、ということを忘れてはいけない。
人のことを想うのは大切なことだけれど、そこまで気を遣う必要があるだろうか。頑張っている自分をおざなりにしては元も子もない。
しかし、人間、どうしても自分を二の次にしやすいので、ここは、要注意だ。
たとえば、夫でも、妻でも、上司でも、先生であろうと、ママ友の誰でもいいが、近くにいる誰かから、思わぬ時に、むげにされたり、雑に扱われることはないだろうか?
軽くあしらわれることはないだろうか?
ふとした瞬間に、その人の本心が見えることがある。
何気ない態度や言葉の中に、見下したり、軽蔑したり、見下げるような何かが紛れていることはないだろうか、それがその人のあなたへの本心なのだから、ここは笑ってごまかしてはならない。
見なかったことにしてはいけない。
こういうことが積み重なると、自分の心を壊しかねないので、この人は、わたしのことを軽く、低く、雑に扱っている、と思うことが続くなら、悪いことは言わないから、できるだけ早く、今すぐ、その人物から離れるべきだ。
そして、自分の話をきちんと聞いてくれる人を見つけるべきなのである。
自分が我慢をすればいいのだ、というような考えを持ってはいけない。
自分のことを大切にできるのは、最終的に、自分だけだからである。
この人は、私のことを見てないし、見下している、と思うなら、迷う必要があるだろうか?
その人が心を入れ替えるのを待っている時間がもったいない。
自分を守ることを優先すべきである。

自分流塾「雑に扱われているなら、離れよう」



価値観や感情に対して、敬意をもって接することのできる人とはストレスなく向き合うことができるが、その反対の場合は、ストレスしか、得ることはない。
広い世の中だから、生意気な人とか、面倒くさい人とか、自分勝手な人はいる。
でも、もっとも気を付けないとならないのは、人を雑に扱う人間たちだ。
私はものすごく雑に扱われているなァ、と思うのであれば、我慢してはならない。
ぼくはいつも見下されているなァ、と思うなら、今こそ、離れるタイミングなのである。
我慢をしちゃいけない。
人間が一番、気を付けないとならないのは、人間関係の中で、この「我慢をする」ということである。
もちろん、ここは「我慢をしないとならない」という時もある。
必要な我慢も生きている一生の中には何度かあるだろう。
でも、何度も何度も同じようにないがしろにしてくる相手がいるのであれば、もう、我慢をしてはならない。
その人とは、100年かけても、心が通じ合うことはないだろう。
みんなにいい顔をしようと思えば、自分が壊れることになりかねない。雑に扱われている、こりゃあ、ダメだ、と自分の心をブロックするに限る。
そして、話の通じる人がいる世界へと出かける。
自分を殺してまで、周りに気を遣う必要などない。
それが、自分を大切にする、ということであろう。
さげすまれて、生きてはいけない。
胸を張って、堂々と、生きてほしい。
あなたも誰かを雑に扱っちゃいけない。
自分がされたことを人にしているうちは、同じ人生を繰り返す。
敬意がない世界が、人類を滅ぼすのだ。

自分流塾「雑に扱われているなら、離れよう」

自分流×帝京大学



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Hitonari Tsuji
作家。パリ在住。1989年に「ピアニシモ」ですばる文学賞を受賞、1997年には「海峡の光」で芥川賞を受賞。1999年に「白仏」でフランスの代表的な文学賞「フェミナ賞・外国小説賞」を日本人として唯一受賞。ミュージシャン、映画監督、演出家など文学以外の分野にも幅広く活動。Design Stories主宰。