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自分流塾「残念ながらの先にあるもの」 Posted on 2025/04/08 辻 仁成 作家 パリ
今日、ぼくは「残念ながら」という書き出しのメールを受け取った。
ぼくにとっては、大きなチャンスの知らせになるはずのもので、もう、長年、待ち続けていたものだったが、この通り、それは実現しない(だろう)ことが確実となった。
ぼくは打ちひしがれて、当然であった。
長年、いろいろなチャレンジを続けてきた。
もちろん、いろいろな人の審査や思惑などがあって、もちろん、運もあるのだけれど、いい結果が出る場合と出ない場合とに、わかれる。
ともかく、今日はその知らせは残念な結果として、ぼくのもとに届いた。
ある意味、強く期待していただけに、人生計画がそこそこ崩れることになった。
で、話はここからなのだが、この通り、ぼくはすでに立ち直っている。
いや、立ち直りつつ、ある。
ハラハラドキドキ期待して待っていたものが、不可抗力により実現できない、とわかったのだから、いつまでも未練がましくそこに心を留めているのは、愚か者、のすることだ。
さっさと、前を向くのがいい。時間の無駄にならないために。
なぜ、そんなことが出来たのか、とあなたは思うだろう。
それはたぶん、しょっちゅう「残念な結果」を受けてきたので、ぼくの中に、ある種の「耐性」が出来てしまっていたのである。
自分が不利になる感じがわかった時、ぼくは、そこにいつまでも未練を残して何になる、と自分にいい聞かせてきた。
何度も、「残念ながら」というメッセージを受け取るのだけれど、だんだん、ダメな結果を見通せるようになってきた。
幸運なこともあるが、100回に1回の割合くらいだから、それだけの落胆を覚えて生きてきたことになる・・・。ふー。
しかし、ちょっと考えてみて頂きたい。
「落胆が一度もない人生」というのは、「何も挑戦してこなかった人生」ということになるのじゃないか。
つまり、落胆を味わうたびに、次の勝利は着実に近づいているということだ。
「残念ばがら」というメッセージの先には、「次は、きっと」が待ち受けている。
そうだ!!!!
このように、ぼくは自分を奮起させてきた。
「残念ながら」という知らせを起爆剤に再利用して頑張ってきたのだった。
99回の落胆と引き換えに、1度の幸運が手に入るなら、十分じゃないだろうか?
ちなみに、今日の「残念ながら」は、すでに68回目くらいの不幸な知らせであった。
逆をいえば、あと、32回我慢をすれば、勝利がそこにある、ということにならないか?
ならないかもしれないが、前進はしている、はずである。
ああ、なんて建設的な思考であろう!
それが証拠に、だから、こういう負け惜しみ的なエッセイを書くことが出来ているのである。
よし、頑張るしかない。
posted by 辻 仁成
辻 仁成
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作家。パリ在住。1989年に「ピアニシモ」ですばる文学賞を受賞、1997年には「海峡の光」で芥川賞を受賞。1999年に「白仏」でフランスの代表的な文学賞「フェミナ賞・外国小説賞」を日本人として唯一受賞。ミュージシャン、映画監督、演出家など文学以外の分野にも幅広く活動。Design Stories主宰。