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「新しい生活様式」とガストロノミー Posted on 2020/06/03 廣田功 帝京大学学術顧問 日本
「専門家会議」が新型コロナ対策として提案した「新しい生活様式」の中で、「横並び」に座り、「会話を控える」食事スタイルが推奨されている。これは僕個人にとってだけでなく、人類の今後の食生活に甚大な影響を及ぼす一大事になるかもしれない。
僕は幼少の頃より「食べること」に関心が強く、高校2年の秋までは将来料理人になることを夢見ていた。大学進学を機に夢は次第に遠のいていったが、料理に対する関心は持ち続けていた。研究者の道を志すことになった時も、まず「食文化史」を勉強しようと考えた。今から半世紀以上前のことである。しかし当時、この分野は未だ歴史学の対象として認知されていなかったため、結局、断念することになった。
30歳の時のパリ留学が転機となり、あらためて料理に関心を持つことになった。住んでいたアパルトマンのすぐ傍に週2回立つ「朝市」に並ぶ色とりどりの食材に刺激され、料理を作りたくなった。結局、2年半の滞在中、毎週水曜と土曜の2回、料理雑誌を片手に市場に通い、アパルトマンの家主を客にしてフレンチのフルコースを作ることが習慣となった。その甲斐あって、帰国する頃にはある程度の「腕前」になっていた。
客員教授で滞在したストラスブール第1大学の同僚との食事会
フランスでは主に家庭料理を作っていたが、帰国後、プロの料理人の本から学び、さらに腕を磨いた。この頃、昔夢見たプロの料理人を諦める代わりに、趣味の「アマチュア料理人」になろうと心を決めた。だが日本ではこの趣味を吹聴することにためらいを感じた。趣味にうつつを抜かしていると軽蔑されることを恐れたからである。ところが、フランスの友人は食事のことをよく話題にするので、僕もこの趣味を気楽に語ることができ、ずいぶん救われた思いがした。やがて彼ら・彼女らが来日する際には拙宅で手料理を振舞うことになり、友人たちの間では僕の料理は評判となった。こうした付き合いの中で、食がフランス人にとって会話の重要なテーマであることを知った。さすがに「ガストロノミー(美食術)」を文化とアイデンティティ―の構成要素とみなす国民だけのことはある。
こうなると、ただ美味しい料理を味わうだけでは能がないと感じるようになり、還暦を過ぎた頃から、ガストロノミーや地方料理の歴史に興味を抱き始めることになった。とはいえ、これを専門のテーマとするには遅すぎるので、研究上の趣味の域を超えるものではない。しかし料理を味わうだけの趣味に比べれば、少し高尚な趣味になったと言えるかもしれない。
バスク風魚介のイカ墨料理
鴨肉のテリーヌ
10年ほど前、縁あって帝京大学に勤務することになった。しばらくして冲永理事長の協力を得て、キャンパスの中に週1回飲み食いの「倶楽部」を開設することになった。講義終了後に20人~30人の教職員が集い、僕が作るオードブルをつまみにワインを飲みながら研究・教育について談笑する場である。(この試みは2年間ほど続いたが、わけあって現在休会中)また、数年前から会費制の「帝京ガストロノミーの会」を立ち上げ、拙宅を「隠れ家レストラン」にして、月1・2回、8人限定の客を招いて主に地方料理を楽しむことになった。こうして晩年を迎え、思わぬ形で昔夢見た料理人の真似事をするようになった。知人のフランス文学者海老坂武さんの言葉を借りれば、「シェフになり損ねた大学教師」の誕生である。
教え子の大学教師との食事会
ブイヤベース風料理
老後の楽しみに生き甲斐を感じ始めていた矢先、新型コロナウィルスの感染が勃発した。その影響を受けてガストロノミーの会は2月以来休会を余儀なくされている。東京でも「緊急事態宣言」は解除された。しかし「新しい生活様式」が提案する食事スタイルは、フランス人との付き合いの中から僕が発見したガストロノミーの世界とは相いれない。このスタイルでは、ガストロノミーに不可欠な要素が存在し得ないからである。古来、食は会話のテーマであり、食卓はお喋りと社交の場であった。ガストロノミーも友人・知人と食卓を共有し、会話を楽しむことがなければ成り立たない。素晴らしいご馳走があっても、食卓を囲む仲間がいなければ、食事は空腹を満たす動物的行為と変わることなく、共生と社交の場という社会的・文化的意味を喪失する。とすれば、コロナ禍は食の意味の歴史的転換の契機になるのかもしれない。
posted by 廣田功
廣田功
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