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自分流塾「悪いことよりも良いことを考えて」 Posted on 2022/07/04 辻 仁成 作家 パリ
物事をどうとらえていくか、で人生は大きく変わる。
人間は、物事を悲観的にまず考える人と、何事も楽観的に見ている人とに分かれる。
これが人生を大きく左右していると思うことがある。
世の中を悲観的にしかとらえないで生きていくと、究極の最後は死ぬしかなくなる。
生きることに対して消極的になっていけば、あらゆることに意味を感じなくなり、やる気が喪失し、ネガティブな思考に包囲され、とどのつまり、人間として生きる意味もなくしてしまうことになる。
物事は考えよう、とはよく言ったもので、悲観的に物事をとらえず、つねに楽観的にとらえるようにすると、一つ確かなことは、生きやすくなる。
「きっとなんとかなる」と自分に言い聞かせる方が、「このままじゃダメになる」と考えるよりも何倍も状況を変える力がある、ということだ。
悲観は悲観を招き、自分を委縮させ、出来ることさえも出来なくさせてしまうことがある。
やってもいないのに最初から無理だと考えてしまうことが、悲観主義者の最初の考察なのである。
ところが、やってもいないのに最初から出来ると考えているのが楽観主義者なのだ。
ようは、閉じた門の前にいる人と開いた門の前にいる人との出発の差、が出てくる。
圧倒的に、門は開いていた方が前進しやすい。門が開かなければそもそも出発さえできないのだから・・・。
神経質になりすぎて、萎縮してしまうと、本来出せるはずの実力が出せなくなり、結局、失敗してしまいがち。
少しのんきになって、屈託なく物事に取り組んで、大丈夫やれる、と信じ込んで挑めば、逆に難しいことも成し遂げることが出来るようになる。
この差は楽観的か悲観的かの差で生まれた結果であろう。
しかし、ぼくは楽観主義だけでは足りないと思うので、ここに楽観主義に支えられた努力というものを必ず追加している。
当然のことだけど、何にもしないで、ぼんやり明後日の方角だけを見ていても、このような単純な楽観だけでは目標達成ということは無理である。
楽観主義というのは、背後に控えた援軍という発想でとらえていくのがよい。
まず、自分でしっかりと考え、ある程度悩んで、ちゃんと努力や訓練を続けて、自信を深めることの後ろに、常に楽観を持っていることが大事なのだ。
なので、ここでいう楽観というのは、何もしないで太平楽に世の中を見ているということじゃなく、大枠では出来ると信じながらも、そこへ向かう努力を担保にした上での楽観ということになる。
人間というのは不思議な生き物で、努力をしている最中に、悲観的に陥ってしまう場合がよくある。
「ああ、こんなのできるわけがない。無理だ」のようなもの・・・。
これは単純に自信がないから起こる現象で、じゃあ、なんで自信がないのかというと、努力をしてないからに過ぎない。
個人的な話しだけど、ぼくは昔、まだミュージシャンがメインの仕事だったころ、ステージにあがって声が出ないでもの凄い恥をかく悪夢にうなされることがあった。
大勢の前で声を失い、歌詞が出てこず、震えあがって目が覚めるという経験だ。
つまり、練習や訓練が足りないことを身体や頭は心配しているから、こういう夢を見てしまうのだと気が付いた。そこで、必死で練習をし、体を鍛え、思いつく限りの努力をやり続けることになる。
練習をしっかりやれば、体がまず覚える、絶対大丈夫という自信がつく。
背後に楽観があれば、どうなる?
つまり、歌の神様が降臨するようなステージを自信満々でやり遂げることが出来るのだ。
逆もある、練習不足のまま、舞台にあがれば、それはいくら楽観的でも、満足のいく歌が歌えるわけがない。
楽観主義を根本に持った上で、誰よりも努力するとき、人間は自分本来の力を発揮できるのじゃないか、と思う。
スポーツでも、ビジネスでも、人生や暮らしでも、なんでも一緒だろう。
つねに、心構えの中心に楽観を持ち、楽観的にとらえて、しっかりと前進していくのがいい。
楽観的にならなければ実現できないと言い切ることもできる。
ままならない世界だけれど、その中にありながらも、思い通りの実現を目指す人生の中で一番大事なことは楽観的に物事をとらえていく姿勢なのである。
posted by 辻 仁成
辻 仁成
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作家。パリ在住。1989年に「ピアニシモ」ですばる文学賞を受賞、1997年には「海峡の光」で芥川賞を受賞。1999年に「白仏」でフランスの代表的な文学賞「フェミナ賞・外国小説賞」を日本人として唯一受賞。ミュージシャン、映画監督、演出家など文学以外の分野にも幅広く活動。Design Stories主宰。