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自分流塾「ぼくがぼくであるための毎日のこころがけ」 Posted on 2024/02/16 辻 仁成 作家 パリ
生きる上でもっとも大事なことは、この毎日なのだ、と思う。
日々をどうやって、生きていくのか、ぼくは一日一日をとっても慈しんで生きている。
もちろん、さんざんな日もあれば、素晴らしい一日もある。
どっちかというとどっちでもない日の方が多いが、そこが生きることの中で、ぼくは個人的にもっとも大切な時間なのじゃないか、と思ったりもしている。
朝、起きるとぼくは、「また新しい一日が来た。今日はどんなことがあるだろう。どんな人と出会うだろう。どんな素晴らしい一日になるだろう」
と、心の中で、思ってから、はじめている。
期待で毎朝、胸がいっぱいになっているのだ。
おめでたい人ですね、と言われたこともあるけれど、二度と来ない今日なのだから、いい一日になるように期待するのが、いけないはずもない。
なにより、ぼくの人生なのだ。
おめでたいと言われようが、いい一日にしたい、と思ってはじめられる今日には感謝しかない。
それはつまり自分が元気な証拠でもある。
そして、その、どうなるかわからない期待だらけの一日が終わった後、ぼくはベッドに潜りこむ時に、さらに、こう、思うのだ。
ある日はこう思った。
「今日は、まあまあの日だったね。とくにいいこともなかったが、でも、大けがをしたわけでもないし、ある意味、よかったのじゃないか」
特に、何もおきず、誰とも出会わず、何もいいことがなかったけれど、無事に生き延びることができたことを、ぼくは言葉にしてから、寝るようにしている。
(自分の身体はちゃんと聞いている!)
え? おめでたい? それで結構。
しかし、ある日、とくに最悪なことが起こった日は、こう口に出すようにしている。
「なんて、辛い一日だったのだ。今日は、最悪だった。めっちゃ、ありえないくらい最悪な日になってしまった。台無しだ。でも、明日が来る。明日、ぼくは新しい気持ちで、今日の残念を挽回してやるんだ。まだ、生きている。谷底の日もあるが、必ず、いいこともやってくる。今日はぐっすりと寝てやろうじゃないか」
なんとポジティブな男だろう、とあなたは呆れるかもしれないが、ぼくはこういう人間なのである。
そして、最悪であっても、明日が来ることを知っているので、悩んでもしょうがないから、素直に、寝させて頂く。
これが、そう思ってすんなりと寝ると、夢の中ではそれを引きずらないものなのだ。
生きているのだし、人生は続くのだから、挫けてばかりはいられない。
だいたい、思い出してほしい。どんな人生であろうと、最悪なことは、何度かあったはずだ。
その時、みんな落ち込んだはずだ。
でも、1年後、それはもう思い出になっている。
ああ、そんなこともあったね、でも、もう立ち直ったのだから、関係ない、と思って新しい日々を生きているはずだ。
そうだ、それが人生というものの回復力なのである。
で、ある日、ぼくは寝る前にこう思うのだ。
「今日は、いい日だったじゃないか。面白い人に出会ったじゃないか、これから、その人とのドラマがどう展開するのか、楽しみだ。でも、焦らず、期待しすぎず、求めすぎず、ま、いつものようにやろうじゃないか。ともかく、今は寝よう。明日が楽しみで仕方がない」
辻さん、あなたはなんて、楽しそうな人生を生きてるんですか?
ぼくは、人生で、何度も失敗をし、苦汁をなめてきた。
でも、そんな時にも、明日はきっといい日になる、と思って寝ていたし、朝起きると、今日はきっといいことがある、がんばろう、と思って起きたものだった。
それはたぶん、最後まで、変わらない、と思う。
その時、感謝をできる自分でいられたら、それをこそ、幸福と呼ぼうじゃないか。
他でもない、自分の人生なのだから。
posted by 辻 仁成
辻 仁成
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作家。パリ在住。1989年に「ピアニシモ」ですばる文学賞を受賞、1997年には「海峡の光」で芥川賞を受賞。1999年に「白仏」でフランスの代表的な文学賞「フェミナ賞・外国小説賞」を日本人として唯一受賞。ミュージシャン、映画監督、演出家など文学以外の分野にも幅広く活動。Design Stories主宰。