地球カレッジ DS EDUCATION
自分流塾「この残酷な世界で」 Posted on 2024/12/25 辻 仁成 作家 パリ
人間というものは実に残酷な生き物である。
戦争のせいで、前途のある若者たちが、この現代においても、強制的に戦場にかりだされ、命を落としている。
考えてみてもすぐわかることだが、ウクライナとロシアの間の戦争で、すでに10万人を超える人が死んでいる。(一説によると、ロシアだけで70万人が死傷しているというのだから、現実は、その比ではないだろう)
ミサイル攻撃などによってウクライナの市民も夥しい数の人命が失われている。その中には、赤ん坊も多く含まれている。
ガザの子供たちはもっと多く死んでいるかもしれない。
しかし、私たちはその実感を持たない。
なぜなら、私たちからすると、遠くの世界の出来事だからである。
けれども、その兵士の一人が、あるいはミサイルで破壊された赤ん坊が自分の身内だったら、どうなる。
主義主張のために、前途のあった若者が死んでいく不条理が、この世界では普通に起きているということだ。
その子が、自分の子供だったら、どう思うか。
平和そうに見えるこの地球には大きな穴ぼこがあいていて、それでも、暴威がやむことはなく、どこかの世界で、家族が死んで、辛く苦しい人たちが、無数にいるということ。
これが、現実なのである。
きっと、80億人を超えたこの世界が限りあるこの地球の中で、それぞれの主張を貫く限り、この残酷はなくならないだろう。
私たちはこういう不条理と向き合いながら、自分を保たないとならないのである。
世界のリーダーたちではもはや解決できないほどに、その穴ぼこは大きくなっており、どのような人物が出現しても、意見の違いや、今この世界が抱えている難問を解決したり、それぞれの主張をまとめることは不可能であろう。
これが、2024年のこの世界、ということになる。
そのような世界で、私たちは「生きる」ことを改めて真剣に考える必要があるのだ。
人間一人一人の力は弱く、権力や暴力には勝てない。
けれども、一人一人が自分の居場所でふんばり、与えられた人生を、切に生きる時、その共時的な人間の力が、私たちを救うことがある。
それを、希望、と呼びたい。
どのように苦しい状況であろうと、私たちは希望を捨ててはいけない、ということだと思う。
このような世界だからもう駄目だと諦めてしまったら、それは悪魔の思うつぼになる。
確かに簡単な問題などはない。
苦しみや悲しみは尽きないが、日々を丁寧に生き、命を大切に思い、希望をなくさず、前に向かって、歩く人が、少しでも増えていくことが出来れば、諦めかけていたこの世界にも、希望の光がさすはずである。
まずは、自分のいるその場所で、それぞれが頑張って生きていくのだ。自分が負けずに生きることが出来れば、その息子や、その兄弟にも、希望の光が宿るだろう。
自分には何もできないと悲観する前に、まずは、自分の人生を保つことが大事なのだと思う。
冒頭に書いたように人間は実に残酷な生き物だけれど、しかし、多くの人がいまだ美しい涙の輝きを持ち、平和への願いを失っていない。
私たちに今、必要なのは、希望を回復させるための日々の確かな一歩、そして、切に生きること。
この世界が一気に好転しないことを知った上で、時間をかけて、魂の安らぎを、取り戻していくしかない。
もう一度、言いたい。
そのためにはまず、自分の居る場所で、精一杯生きることなのである。
posted by 辻 仁成
辻 仁成
▷記事一覧Hitonari Tsuji
作家。パリ在住。1989年に「ピアニシモ」ですばる文学賞を受賞、1997年には「海峡の光」で芥川賞を受賞。1999年に「白仏」でフランスの代表的な文学賞「フェミナ賞・外国小説賞」を日本人として唯一受賞。ミュージシャン、映画監督、演出家など文学以外の分野にも幅広く活動。Design Stories主宰。