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自分流塾「悪口・陰口と交わらないまっとうな生き方」 Posted on 2024/12/11 辻 仁成 作家 パリ

「辻さん辻さん、あの人が辻さんの悪口言うてましたよ」
みたいな通告をたまーに受ける。
気にならないわけじゃないけど、ぼくの場合、悪口・陰口の数は普通に生きていらっしゃる善良な方々より若干多いかもしれない。なので、正直、慣れてしまった。
でも、慣れていない人にとって、人伝てに聞こえてくる自分の悪口くらい心を痛めるものはないだろう。
ここパリまでぼくの悪口が聞こえてくると思えば、世の中の狭さというのか、悪意の根深さというか、相当に暇なんだな、と思わざるを得ないし、他にもっと言うべきことがあるだろうと苦笑さえ起きる。
また、人の悪口をわざわざ言いつけに来る物好きな輩の、なんと、多いことか・・・。
味方を装って、「あいつがこんなこと言うてましたで、大将。しばいたりますか?」と火に油を注いでくる暇人もいる。
基本、ここまで記した通り、世の中は暇だということに過ぎない。

自分流塾「悪口・陰口と交わらないまっとうな生き方」



その根本には他人に対する焼きもちがあれば、火元の人間の人生がうまくいってない証拠でもある。
考えてみたらいい、成功していて人に慕われていて順風満帆なさわやかな人間が、路地に隠れて口をゆがめて他人の悪口を言うはずもない。
自分の人生がうまくいかないので、誰でもいいから目立つ人間を攻撃しているわけで、これは悪い方の世の常であろう。
陰口や悪口が聞こえてきたら、「あら、意識されてるんだ」とまずはあしらってスルーすべき。
これは勝負に値するだろうか? 
悪口を言われて胸を痛めている人がいるなら、よく、考えてもらいたい。
その土俵に降りる必要は一切ない。
勝負は上の土俵で、戦う価値のある人たちとやればいい。



そもそも、悪口を僕は言わない。
陰口はもっと言わない。
そういう相手と関わりたくないのだ。
言う時は直接その本人に面と向かって言うことにしている。
そもそも文句を言ってくる人たちは陰にはびこるアノニムなので反論したくても基本は出来ない。
第一、悪口や陰口を振り払うことに使う労力がもったいない。
時間が無駄であり、それは不意に振り出した雨みたいなもの。
ならば軒下に退避して雨が止むのを待てばいい。
土砂降りの雨の中に仁王立ちして叫んでも疲れるだけじゃないか・・・。
そもそも、悪口、陰口というのは邪気の塊であることをまず想像されたし。
負のエネルギーが負の物質を生産し、それが人間の細胞やニューロンを破壊していく、そんな気がしてならない。
だから、関わっちゃいけないのである。
なので、ぼくは出来るだけ、邪気を自分の中に生み出さないよう心掛けている。
つまり、悪口や陰口に近づかないこと。
悪い気が流れてるな、と感じるなら、もう絶対関わっちゃいけないのである。
そういう嫌な感情が生まれた場合は風通しのいい場所に出て、太陽の光りを浴びながら、深呼吸を繰り返す。
負は出ていけ、お前は必要ない、と念じながら。これは結構効きます。

自分流塾「悪口・陰口と交わらないまっとうな生き方」



悪口というのは邪気が生み出すと書いたが、それを思うだけですでに邪気は生じているということを念頭に入れておく必要がある。
悪意を持ってる人間は、そもそも、悪意を持っているということですでに、心が蝕まれている、ということになる。
これは気を付けないとならない。
復讐とか考えちゃいけない。関わらない方がいいのだ。清らかに生きていこう。
それが善良というものである。

だから、もしも悪口を誰かに言われて苦しんでいる人がいるのであれば、簡単なことだ、もう気にする必要なんかない。
因果応報、ほっておいても悪口言っている人々は自滅していくだろう。
一緒に滅びる必要はないので、さっさと離れて、先に行こう。
自分は自分の信じる道だけを胸を張って正々堂々と歩けばいい。
それでいいのだ。

自分流塾「悪口・陰口と交わらないまっとうな生き方」

自分流×帝京大学
TSUJI VILLE



posted by 辻 仁成

辻 仁成

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Hitonari Tsuji
作家。パリ在住。1989年に「ピアニシモ」ですばる文学賞を受賞、1997年には「海峡の光」で芥川賞を受賞。1999年に「白仏」でフランスの代表的な文学賞「フェミナ賞・外国小説賞」を日本人として唯一受賞。ミュージシャン、映画監督、演出家など文学以外の分野にも幅広く活動。Design Stories主宰。