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退屈日記「ぼくは子供の頃、よく図書館に逃げ込んで、世界から隠れていた」 Posted on 2020/12/30 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、本を読まない人が増えたと友人の作家が嘆いた。
たしかに、これだけネット社会になれば、本を読む時間も本を探しに行く気力も失われてしまう。
携帯を開けば、どこであろうとすぐに欲しい情報を手に入れることが出来るからだが、活字であれば全部同じというわけではない。
そもそも「本を読む」というこの一文だけど、今は電子書籍もあるので、「電子書籍を読む」と「本を読む」との違いとは何だろう。
紙に印刷された書物と電子の本との差はなに?
中身は、つまりそこに書かれていることは一緒なのだけど、何が違うのか、わからない。
というのは、ぼくは電子書籍で小説を読んだことがないし、まだ、電子書籍化を認めたことがない。
今まで、ずっと電子書籍化はお断りしてきたのだ。
契約書にも電子書籍の項目だけ、除外してもらってきた。

退屈日記「ぼくは子供の頃、よく図書館に逃げ込んで、世界から隠れていた」



だから、電子書籍はない、と言い張っていたら、ある日、知り合いの編集者が「幻冬舎から出てますよ」と連絡が来て、驚いて、調べたら出ていたので、契約もしてないのに、出すのはおかしくないですか、と担当者に一応軽く忠告したら、消えた。
この消せるということに驚いた。
本はなかなか消せない。
なので、一時期、それが出回っていたのは事実として残ってしまった。
幻冬舎さんは、「手違いで」というお返事だったので、人間は間違えもあるだろうから、この話はそこで終わった。
電子書籍がダメと思っているわけじゃなく、本と電子書籍の差が自分の中で納得できないので、まだ、電子で出してないだけである。

退屈日記「ぼくは子供の頃、よく図書館に逃げ込んで、世界から隠れていた」



自分が読まないのに、電子書籍で自分の作品が出ることの感じが分からないだけかもしれない。
スペイン語版や、フランス語版を出さないか、と言われたこともあったが、いいえ、ごめんなさい、と断ってきた。
本は絶版になるが、電子書籍はどうなのだろう?
今、フランス語の勉強のために、電子書籍ではじめて読んでみようか、と思い始めている。それが、どのようなものかを知るには、いい機会であり、勉強にもなるので…。

退屈日記「ぼくは子供の頃、よく図書館に逃げ込んで、世界から隠れていた」



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子供の頃、ぼくは本が大好きだった。
というのか、小学生の頃、ぼくが世界で一番好きな逃げ場所が図書館だった。
福岡の西高宮小学校は当時、ぼくの記憶では、校門を入ってすぐのところに大きな図書館があった。
ぼくはこっそりと授業を逃げ出し、それこそ、漫画みたいに授業中、匍匐前進をして、後ろの扉から抜け出し、そのまま図書館へ通っていた。
授業中だから、もちろん、誰もいない。
小学生だったぼくにとってあの清澄な空間は、その当時、ぼくが知っている部屋の中で一番広い部屋だった。
窓が広くて光りが注ぎ込んでいた。

退屈日記「ぼくは子供の頃、よく図書館に逃げ込んで、世界から隠れていた」



それでぼくは床に座って、というのは机に座っていると、校長とか教頭に見つかる可能性があったので、机の下とかに潜り込んで、本を開いて読んだのだ。
ぼくがよく読んだ本は、イギリス人作家、デフォーの「ロビンソンクルーソー」だったり、フランスの作家、ジュール・ベルヌの「八十日間世界一周」だったり、どちらかというと冒険小説風な児童文学風なものばかりであった。
そうだ、思い出した。アメリカの作家、ハーマン・メルヴィルの「白鯨」もぼくはその図書館で見つけて読んだのだ。面白かったなぁ。
その後、映画で見たけど、あれは本当に傑作だ!
実は、印刷された文字とその匂いが好きだったから、時々、本を嗅いでいた。
変な少年だった。
変な少年はそのまま変なおじさんになってしまった。図書館のせいである。笑。
しかし、図書館での時間は今も忘れられないぼくの原風景と言える。
で、授業の終わりのベルが鳴ると、こっそり図書館を抜け出し、何食わぬ顔で教室に戻るのだけど、一度、担任と廊下ですれ違ったことがあって、
「ツジ、なんしよっとか」
と指摘され、
「図書館で、世界の名作を読んでました」
と言って、怒られたこともあったっけ。えへへ。

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ぼくは今、帝京大学の図書館の先生たちが取り組んでいる学生たちに本を読ませる運動「共感ライブラリー」に参加している。
本は一人で読むものだけど、読んだ本から受けた感動は、その本を手渡すことで、それを知らない人にも届けることが出来る。
自分が理解したことを、ぜんぜん別の人間も理解し、その感動共有は、或いは本を読む愉しみの共時性と言えるかもしれない。

退屈日記「ぼくは子供の頃、よく図書館に逃げ込んで、世界から隠れていた」

自分流×帝京大学



posted by 辻 仁成

辻 仁成

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Hitonari Tsuji
作家。パリ在住。1989年に「ピアニシモ」ですばる文学賞を受賞、1997年には「海峡の光」で芥川賞を受賞。1999年に「白仏」でフランスの代表的な文学賞「フェミナ賞・外国小説賞」を日本人として唯一受賞。ミュージシャン、映画監督、演出家など文学以外の分野にも幅広く活動。Design Stories主宰。