THE INTERVIEWS
深澤直人「デザインというものを考える前に」後編 Posted on 2016/12/27 辻 仁成 作家 パリ
プロダクトデザイナーの第一人者、深澤直人さんにデザインの本質について問うたインタビューの第二弾です。
ミラノでの仕事のため欧州に立ち寄られたその貴重な時間を頂き、ミラノ市内でインタビューを行いました。
我々はホテルのロビーで初対面。
最初から最後までずっと笑顔だった深澤さんのその笑顔の奥に潜む厳しさとウイットが最後まで印象的でした。
日本から世界へ。独自のデザイン感を持って長年第一線で活躍されてきた深澤さんからデザインの本質、そしてデザイナーの本音を引き出します。
ザ・インタビュー、第二弾をお楽しみください。
辻 無印良品の壁掛けCDプレーヤー、あれは当時、大きな話題を作りました。友人たちも結構持っていて、ある意味、革命的なデザインでしたね。どういう発想から生まれたのでしょうか?
深澤 直人さん(以下、敬称略) もともとは換気扇のような形をイメージしていたんです。ファウンドオブジェクトっていいますが、何かを何かに見立てるみたいなこと。音楽を聴く場合、普通CDプレーヤーだと、テーブルとかに置いて聴くのが当たり前ですけど、換気扇から音が流れてきたら、風通しがいいな、と思いついて。
辻 重低音みたいなものはなく、割と当時時代に逆行し、軽い音でしたね。
深澤 あれ、すごいチープですよ。あのスピーカー僕が設計したんですよ。誰も作ってくれないから、しょうがないから自分で香港に行って。
辻 でも、あの壁から聴こえてくる高級ではない音が逆に受けたんじゃないでしょうか? 生活感があって。つまり変な言い方だけどそれまでの音にこだわった音楽から生活の中の音楽へ変わったというか。
深澤 だいたい、いい音っていうことじゃなくても、心を打つのは、その時の雰囲気にあってるかどうかってことも大きいです。
辻 そうなんですよ。壁から聴こえてくるしゃりしゃりのギター音とか逆にセンチメントに響くんですよ。
深澤 あの、換気扇の紐を引っ張る、カチってやる距離も重要で、はじめ、あのコードの接点が近すぎちゃって、すぐにスイッチ入っちゃうんですよ。それだと、どこか違う。日常というか普段感じている生活感だせないかな? って。生活感の方が重要なんです。
辻 壁に掛かってるだけじゃなくて、紐を引っ張ると音が換気扇みたいに出てくるっていうことが、画期的でした。あの紐も作られたんですか?
深澤 そうです。最初はね。紐を引くことを考えたんだけど、電源が入るから、電源は電池じゃ持たないんで、そこで一回スタックしちゃうんですけど。もうダメだ、できないって。でも、もしかして引っ張っちゃいけない電源ケーブルを引っ張ればいいんじゃないかってことを考えてそれを提案したら、日本の電機メーカーは全員ノーですよ。やっちゃいけないことだから。ケーブル引っ張るって。
でも、それが一番自然じゃないの? って思って。その後で無印に売り込んだんです。だから最初から無印にあったわけじゃなくて、この連中だったら大衆がノーという常識を、イエスって言ってもらえるんじゃないかって。
辻 非常に勇気のいることだと思うんです。みんながノーっていうことに対抗して、企画を進めるということ自体。
90%の人の意見に対抗して、10%の人が新しい価値観を作るようなものでしょう。無印がやってくれたから良かったけど、全部ノーだった場合リスクも高いし。
深澤 みんなと違うことを提案すると、グラグラっとこっちにみんなが寄ってくるみたいなことに自分は興味がある。みんな違うんじゃなーい? みたいなものを提案するのが面白い。
辻 みんながそうだと思っている概念を覆すことに深澤直人は喜びを見つけてるってことですか?
深澤 そこはみんなが積極的に間違えてるわけじゃなくて、たまたま知らなかったからそうなっちゃってるっていう社会構造。違うだろ! って誰かが言わなきゃいけないんだけど。
辻 生きている中で概念を押し付けられてそれを勝手にみんな信じちゃってるんです。つまり、昔から疑り深かったんですね(笑)。
深澤 ものすごく疑り深い。
辻 (インタビュー前半にある)深澤さんが子供時代「(周囲の)みんなが嘘ついてるんじゃないか」って思ってたとおっしゃられましたが、結局、それが今に繋がってるということですね。
深澤 でも、人間の体だけは正直なんです。嘘をつけない。でも、ものとか空間は繋がってるから、嘘っぽい行為も出てくるし、嘘っぽい環境も出てくる。で、出てきちゃうことをみんな感じ取れる。最近発見したことですけど、ユングが言っている、集合的無意識。あれね、ちゃんとあるんですよ。全ての人が同じように、無意識下ではこれはいいねって思う基本的共有というものがある。無いと、いつも多数決しなきゃいけない。どっちが好き? みたいな。でも、そんなものは必要ない。みんなが根本で思ってるわけだから。そこに乗っていなければ乗せてあげなきゃいけない。あんた無意識でこう思ってるはずだよ、みんなもそうだからって言ってあげなきゃいけない。気づかせなきゃいけない。
辻 それが深澤さんの仕事ですか?
深澤 僕の仕事です。エンボディメントっていう。権化っていうか、化身っていうか、ものに形を与えるんじゃなくて、ものに姿を与える。形じゃない、姿。こっちの方が重要。姿っていうのはものの形じゃない。みんな無意識では気づいている。でも判断できなくてうずうずしている。たまたま僕が言い出したら、あー、そうだよね、そうじゃんって、腑に落ちてもらえる。それが僕の仕事です。そこが一番グラっと来ます。
辻 みんなが疑ってることを暴くのが僕の楽しみだと深澤さんがおっしゃられた。じゃあ、その根底にある深澤さんの考えるデザインについてお聞きしたい。
深澤 概念をリアルに具体化する力だと思う。音楽家だったら音楽だし、小説家だったらそれを文章っていうリアルなものに出すことができる。つまり、自分が思っている概念を相手の心の中に全く何もせずに同じように書き込むことができるっていう。形にするっていう。リアライズする。それが僕らの力なのだと思います。ただ、人間がもともと持っている根本的な共時性のようなものを刺激するのはいいけど、もともとがないところに刺激するのは麻薬のようなものになるから危険なんです。これでいいなと思い込んじゃうんです。でもちょっとすると、ぼろぼろと破綻していきますからね。
辻 技術の機能が古くなると同時にそこにしたデザインも古臭くなっていまうということはありませんか?
深澤 せめぎ合いです。
辻 時代に残っていけるデザインなのに、技術が落ちてくると時代が変わるごとにデザイナーは新しいものを作らなきゃいけない。せっかく作った永遠のデザインさえも捨てていかなきゃいけなくなる、そういう苦渋ってありませんか?
深澤 それは、有能なものの機能は進化するもので、こういう褒め方するんですよ。「その時の、その時代の技術でやったデザインだったら最高」っていうような。すごいデザインだったねって言わなきゃいけない。その時代にあった価値と、今の時代の価値とどっちが高かったかというのを比較してるだけ。これを今持ってきてこれと比べてどうだって言っても、ありえないこと。
辻 それは、技術と共にデザインはあるからということですか?
深澤 テクノロジーの入っているものはそうです。でも椅子とかは違う。人間の体は変わらないんで。椅子なんかにもインテリジェントが入ろうとしている世の中なんだけど、それはなかなか簡単な話しではない。
辻 時代と共に技術がどんどん変わっていったとして、それでも永遠に残る素晴らしいデザインっていうのはあるんでしょうか? 壁掛けのCDプレーヤーなんかはエポックメーキングで、やっぱり実際多くの人に語り継がれていると思うんですけど。
深澤 どうでしょうか。形というか、ものとしては、やっぱり変化するでしょうね。永遠なんてものは無いと思います。クラシックとは言われるでしょう。例えばトーネットの椅子を出した時なんかに、デザインクラシックって言われるのは僕らの中でも、日本語化すると古いってイメージになるかもしれないけど、こっちの言葉で言うとクラシックっていうと褒め言葉なんですよ。いきなりクラシックになるんですよ。出した瞬間にもうクラシック。「デザインクラシックだ」って言われると、もうそれは褒め言葉なんです。滅多にでないですけどね。でも、それを目指しています。トーネットの椅子が、古いからトーネットがクラシックの椅子なんじゃなくて、クラシック=定番なんです。原型なんです。できたときから原型なんです。
辻 そういう意味では椅子っていうのは必ず出てきますけど、人間の体にフィットするから、どうしようもないものだから永遠になっていくんですかね。
深澤 そういうこともあるし、時代の空気を吸い込んじゃってるってこともあるんで、トーネットの椅子を置くとこういう感じになるなっていうようなところはあると思います。そこはいろいろあると思います。
辻 この間コペンハーゲンでもヤコブセンの作った建物があるというので見に行ったんですよ。そしたらもはやダサくて、当時は流線型でかっこよかったんだろうなって思うんだけど、どう見ても今は埋没している。ル・コルビュジエのサヴォア邸なんかでも同じことを感じてしまう。残念ながら、永遠じゃないんです。ポンピドゥー・センターも。今見て新しくもなんでもないし、むしろちょっとダサいんじゃないかなくらいに感じるんです。そういう見方はものを知らない人間の意見に過ぎないのでしょうが・・・どうしても、時を超えて残らない、古臭さや野暮ったさが気になってしょうがない。
深澤 そうですね。デザインよりも建築の方が否定して自分を肯定するような、あるいは、非常にねじ曲がったモニュメントを建てたいみたいな、いろんな欲望が絡んでる世界なんで、非常に難しいですよね。その中に人間が佇まなきゃいけないから。それを実験的にやらされたりするっていうことですよね。建物自体、建築ができちゃって、これがいいんだよって大先生が言っても、えーっとか思うことはいっぱいあると思う。それも、さっき言った実はいいと思ってないでしょ? で、そーなんだよね、なになに先生が・・・みたいなことの方が多いと思う。建築が持ってるパワー、空気を感じるなみたいな、そんなアンビエントを感じる建築家を僕は尊敬します。
辻 深澤さんも家に向かっていらっしゃいますか?
深澤 家とこれは別に遠いものじゃなくて、延長線上にいろんなものを作っていくと、その自分がいる空間もやってみたいなという。やり始めたのは自分が住んでる場所。今までは自分のデザインを置かなかったんですよ。若いころは。自分も疑ってたからね(笑)。最近は、自分がちゃんともう一人の自分に使ってもいいって言ってくれるかって頼めるから、エラーもいっぱいありますけど、空間もやってみたいと思って。昨日はミケーレ・デルッキにたまたま仕事の打ち合わせがあってミケーレのオフィスに初めて行ったんですけど、すごいこだわってます。人間がいいって感じるってどういうことだろうっていうことに、もう精神生命をかけてる。全然疑いがない。自分がやってること、感じ取ってる人間のいいって感じることってこういうことなんじゃないかっていうようなこと。
辻 ミケーレさんはご自分を疑ってないってことですか?
深澤 自分に対して。自分がやってることを疑ってない。僕も自分を疑ってない。生意気な意見ですけど。
辻 ぜんぜん生意気じゃないですよ。生意気という言葉を連発されますが、それはある種の謙遜でしょうか?
深澤さんは優しいだけで、本当は生意気だなんて思ってないと思います。本質はとっても厳しい方だ(笑)。
深澤 批判じゃなくて批評なんですよ。だから、これはみんながやらなきゃいけないこと。フランスの人ってそういうことすごくはっきりしてますよ。批判じゃなくて批評し合おうってこと自体があれだけのアートを生んでる。
辻 フランス人は誰もがキュレーターですからね。
深澤 アートは刺激だから。ある種の刺激の違いをいろいろ試しているので、いいとか悪いじゃないんですよ。でも、デザインは単なる道具だから、よくなきゃいけない。よくなきゃいけないものなんですよ。アートはいいとか悪いで判断していなくて、自分に与える刺激で判断してるということに対しての同調だから、その同調の質が別に同調を呼んでいれば、すごいアーティストだな。そのセンサーよく見つけたな。みたいな。アートっていう言葉自体が多義ですけど、だから、「彼の仕草はアートしてるね」なんていうような言葉として使うアートと、実際にアーティストが作ってるアートは違うと思う。その定義の違いははっきりしていると僕は思う。デザインと称されるものは、そうでなきゃいけない、と。アートっぽいデザインをしてくださいってもし言われたとしたら、それはアートをファンクションとしてやらなきゃいけない。アートっぽいデザインだねって言われなきゃいけない。
辻 アートとデザインの違い、面白いお話です。そういうことに対してデザインを作っていく、機能や生活に密着する機能的に素晴らしくなくちゃいけないデザインを作らなきゃいけない時のジレンマみたいなのはないんですか? それをどうやって乗り越えて自分の方に引き寄せて行かれてるんでしょう?
深澤 やりたくないことはいっぱいある。やりたいことだけをやるようにするってのは生きる上では大変ですよ。やりたくないことをやって生きてる人をすごく尊敬しますけど、そういう人がいてくれてるから世の中はちゃんと回ってると思うんだけど、僕はやりたくないことはあまりやりたくないかな。
辻 深澤さんの作品を一つずつ見てると、これを考えるのは楽しいだろうなっていうのが見てる側をほっこりさせるものがある。
深澤 それは、可愛いとか、愛らしいとか、そういう雰囲気が漂ってるものの方がやっぱり人間にとって愛されるものだと思いますけどね。もっと別のクールなかっこいいものっていうのもいっぱいあるんですよ。でもこれは、ある種の強い刺激なんで、崇高ではあるけれども、近寄り難いってとこがある。
辻 突飛で、異質で、ここに突然あったらみんながぎょっとなるようなものを作りたいってことではないんですね?
深澤 そういうものをみんなやろうとしちゃってた、間違えた時代が2、30年前にはあって続いたわけですよ。
そこはだからイタリアの渦も全部入り込んでるから、ミラノでフェラーリ乗っててもそんなにおかしくないけどね、東京で乗ったらちょっとおかしい(笑)。ミラノにいる人たちは平気で乗ってるからね、普通に映る。ランボルギーニとか。それがいつしか普通になる。
辻 ミラノみたいな歴史のある街の中にフェラーリとかランボルギーニとかがボンっと、しかも黄色とか赤いのが横たわっていて、そんなに異質に感じないっていうのはたぶん調和しないものを持ってこれるミラノの独特のすごみなんでしょうかね? ちょっと世界を見回しても異質だと思うんです、ミラノという都市は新旧が同居し、ぶっとんでる。
深澤 フランス人の女性が綺麗だなっていうのも、5、60年代のどこか浅丘ルリ子さんみたいなファッションの人が僕のフランス人としてのアイコンで、背は小さくて、頭も小さくて、でもちょっと髪の毛は盛り上げて、未だにピンヒールを履いて・・・。今いませんか!?(笑) でも、前パリに行ってカフェで働いていた子、すげえなと思った、こういうのが美人かって。
辻 今はそういう人いないと思います。笑。僕は15年パリにいて、最初僕はフランスの女性は何か違和感があってダメだったんですよ。最近長い目で見た時に、実はフランスの女性こそ時代に調和してると気づいたんです。着こなしがビルの壁の色や灰色の空とかに溶け込んでいる。これがミラノに来ると、すごく考えてしまう。
深澤 女の人はそうだよ。男性は結構飛ばしてますよ、かっこいい。
辻 最後に、深澤さんが考えるデザインの未来とはどのようなもの?
深澤 僕はそんな大それたことは考えてないですよ。自分の中では一生懸命やってるけど、何かの中ではそんな大それたことやろうとしている人間ではないので。自分の中では淡々と、自分の行きたい方向に歩いていく。
辻 深澤直人は静かに啓蒙してる。
深澤 自分はそういう気じゃなかったけど、昔、「Without Thought (思わず)」っていうテーマでワークショップやった時は、来る人が30人くらいしかいなかったんだけど、今はみんな知ってるんですよ。多少は影響与えてるのかな? って。生活自体の本物の質っていうか、人間がいいなと思う質自体を自分の普通の生活の中に取り込みたい。そこの垣根がまだあるから、これはデザイン、こっちは違うってものがある以上は、まだデザインは全然弱いと思う。でもウィットにやらなきゃいけない。ウィットにやらないと、強くなっちゃうんで。冗談ぽく、照れながら言わなきゃいけないと思うんですよ。
これが非常に重要なところで。マジで言っちゃうと、あんまり受け入れられない。
辻 いい話です。
深澤 嘘言ってんじゃないよ、みたいな感じで、小学校の頃は、なんでこんな違うんだって思ってたけど、今は、本当はこう思ってんでしょ? みたいにふざけて。言い方を変えたりやり方を変えて、そこの世界に引き込んで行こうとして、パッと気づいたら、なんでこんなにいいの、ここ。って言わせたらもう成功。なんで私がこれがいいことをあなた知ってるの? って。という感じで知らせたい。そういう人がミラノにはいっぱいいる。僕が今付き合いのあるミラノのデザインの人たちの頂点はすごくレベルが高い。
辻 お話しされている佇まいも素敵だし、はぐらかし方も上手だし、さっき言ってたウィットについても格別ですね。
深澤 はぐらかすっていうか、本当のことを伝えるのはその人に対してきついので、でも自分を発見するってのもその人にとっての喜びなので、上手く真実を言ってあげればすごくいいことで喜びになると思う。逆を言うと、すごくはっきり言うと、暴力になっちゃうことがあるんで、その言い方というか、その人にとっての伝え方だと思う。
実はね、これがデザインの一番の姿だと思う。そこはすごく「だよね? ね?」みたいな(笑)。
辻 深澤さんの作品は、はぐらかしていきながらも、その中にご自身が考える地球はこうあってほしいというしっかりとしたメッセージを感じる。デザイナーは形だけじゃなくて思想や哲学や生き方までをもデザインしてるんだな、と思う瞬間が幾度とありました。
posted by 辻 仁成