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ホワイトデーはSadaharu AOKIで! – 成功の味、抹茶エクレア – Posted on 2017/03/04 辻 仁成 作家 パリ
パリのかかりつけの歯医者さんで、ある男の話を聞いた。
20年くらい前、友人からお金のないパティシエを紹介され無償で歯の治療をしたことがある。
ガッツのある男で、その後は治療代も払えるようになり、今ではパリでトップのパティシエになってしまった。
その男が、青木定治だった。
小さい頃から時間を余らせることが嫌いだった。常に進歩している自分を感じていたい。
今日得たものは何だろう? いつもそんなことを考えている子供だった。
モトクロスのレースをしていた頃、仲間にご飯を作って食べることが大好きだった。
そして、周りの勧めで食の世界に入ることになる。
いきなり、フランス料理留学を終えて戻ったエリートシェフたちの中に飛び込み、揉まれ、刺激を受けた19歳の青木氏は、この業界のチャンピオンを目指したいと思った。常に尊敬する人、目指す人を定め、その人に認められたい一心で、先輩たちが残した専門書を見つけては読み漁り、勉強する毎日。
一流のお菓子を作るには本場フランス、パリに行くしかない。
青木氏は、1991年に渡仏。
しかし、フランス語もろくに話せず、働いていた店からは1年足らずで追い出される。2年間は働く場所が定まらずヨーロッパを周りお菓子の勉強をしながら過ごした。
お金を作るためにパリの自宅でフルーツケーキを焼き、日本の実家に送りお母さんに販売してもらっていた。
その間、青木氏はフランスに残るため、滞在許可証の取得に明け暮れる。
パティスリーの本場パリで、パティシエは十分に足りていると門前払いされる日が続くが、根気よく通い詰め、来仏7年目、フランスからその才能を買われ、ようやく労働可能な滞在許可証を取得。
1998年、会社を設立し、アトリエを構えることが出来た。
そこでお菓子のケイタリングを始める。パーティーなどにお菓子を卸す会社としてのスタートだった。
少しずつ軌道に乗り、2001年には第1店舗となるSadaharu AOKI ヴォージラール店をオープンさせた。
現在はパリに4店、東京に4店、台北に2店を展開させる一流パティスリーである。
辻 青木さんのマカロンが好きなんですよ。どれも押し付けがましくない。チョコレートも同じく。生意気な言い方ですけど、基本がしっかりされているなと感じます。
青木定治さん(以下、敬称略) マカロンは20代の頃から自宅で作ってました。当時はピエール・エルメなんかもまだ固いメレンゲの焼きマカロンを作ってましたね。寿司で言えばネタよりシャリが大事と言いますけど、そのバランスが取れている寿司屋はとても高かったりしますよね。でもそれって普通にできてなきゃいけないんです、本当は。会社を始めた頃、日本の洋菓子グループの顧問になったんですけど、そこで量産されるお菓子を見て、手で作る大切さというのを実感しました。お菓子を食べて、なぜ自分はこれを美味しいと思ったのか、なんで嬉しいと思ったのか。それを分析するのが好きですね。今もパリ郊外の工房で手作りしています。
辻 すごく感心するのは食材へのこだわりですよね。お茶もとてもいいお茶を使ってられる。食べたらわかります。
青木 バターはずっと100%エシレバターを使っていますし、小麦粉も修行時代からずっと同じものを使ってます。誰かから勧められたものではなく、自分が納得したものを使う。それが自分の中で塗り替えられればそっちを使いますけど。ゆずは高知の馬路村のものだけを使っていますし、お茶にいたっては毎回日本から持ち帰りますね。やっぱり挽きたてが一番です。チョコレートに入れるものも一保堂さんか、京都の丸久小山園さんのを使っています。飲むのにもちょっと高いくらいのものです(笑)。
辻 青木さんを世に知らしめたお菓子は何ですか?
青木 ヴォージラール店をオープンした時に、あるお客様から「ミルフィーユもすごく美味しいんだけど、僕たちはもう後先長くないから、日本人の君にしか作れないお菓子を食べさせて欲しい」と言われて、当時ケイタリングのみで作っていた抹茶エクレアをお出ししたら、一目見て「何だ、これ、ほうれん草か?」なんて言われたんですが、一口食べて「海藻みたいな味がするけど尾をひく味だ」と言われたんです。これ、普通のバターを使ったシュー皮だったら抹茶に負けちゃうんですよね。僕のシュー皮はエシレバターを使ってガンガンに焼くんです。バターって焦げる寸前が一番美味しいから。そうすると皮の味にもパンチがあって、抹茶と絶妙にマッチするんです。好評だったので商品化して店頭に出しました。そしたら、そのすぐ週末にニューヨークのジャーナリストが来てくれて、僕の抹茶エクレアがアメリカのグルメ誌に載っちゃったんです(笑)。
辻 そのお客様のお陰ですね。
青木 そうですね。抹茶マカロンを作った時には、当時パリで本格和菓子を手がけていた方に怒られましてね。お抹茶はお菓子の主であって、僕らが作るお菓子はお抹茶を引き立てるためにあるものなんだ。お抹茶をお菓子に入れるなんて、利休が聞いたら泣くぞ。って(笑)。お菓子というのは添えるもので、僕らの役目はお茶の横にあって絵になるものを作ることなんだ。青木くん、これは違反かもしれないぞって。でも、翌月にまたいらして、前回あんなこと言ったんだけど、娘に話したら「パパ、美味しいからいいじゃない」と言われた。僕は間違ってたかもしれないと言ってくれて、長い間その方のお店にマカロンを卸させてもらっていました。
辻 日本に輸出しているものは何ですか?
青木 マカロン、ショコラ、クロワッサンですね。なぜかというと、この3つは日本で再現できなかったものなんです。日本で再現して味にブレが出てしまうのは嫌だった。パリのマカロンは美味しかったのに日本のマカロンは、と言われてはいけない。食べて頂く時の「湿度」というのはとても大切で、日本とフランスでは湿度が全く違いますので、味も全然違ってきます。
だからこそ、同じレシピではダメなんです。同じ感動を伝えなければいけない。その答えというのは、同じ味を作ること。風土によって、小麦粉やバターの味は全く違います。例えば、ヨーロッパのミルクは漉すためのフィルターがすごく細かいので、同じ脂肪分の生クリームでも日本とヨーロッパのものでは全然違うんですよ。そんなことをきちんと分析して作らなければならない。
辻 青木さんはパリのパティシエ界のど真ん中にいらっしゃいますよね。
青木 友達は多いですけどね。大尊敬していたピエール・エルメさんやジャン=ポール・エヴァンさんも今では親友です。エルメさんのお陰でルレ・デセール(Relais Desserts)という組合にも入ることができまして。助け合いの精神がとっても強い組合なんです。世界中で103のパティスリーが会員です。週末にみんなで集まったり、菓子屋はほのぼのしてますよ。みんなでお菓子を持ち寄って貶しあったりしています(笑)。
辻 将来の夢をお聞かせください。
青木 僕は、明日よりも今の自分が大事という性格で、あまり先のことは考えてないんですよ。でも、ずっと昔からの夢は、「木こり」なんです。ログビルダーというか、そこで自分の作った食器を使って、料理を作って、生きる。山の中に住みたいですね。今のところ、まだ計画はないんですけど(笑)。
辻 日本に戻ろうとは? もしくは、他の国に行きたいとか?
青木 全く思ったことはないですね。食材探したりして、いろいろな国を周りましたけど、食や文化でフランスに敵う国はないです。
辻 青木さんのお菓子に対する想いがよくわかりました。お店もとっても雰囲気がよくて、居心地がいいです。
青木 パリっ子は厳しいので、毎日の自分を見られているような感じがします。瞬発力ではなく、毎日の積み重ねが大事ですね。お店も自分たちでペンキ塗ったり、実は手作りです(笑)。パリの中で ”目立つ”というよりは、”馴染み”たいですね。
辻 まさにその通りになっていますね。今日はありがとうございました。もうすぐ日本ではホワイトデーですが、青木さんは日本ですか?
青木 3月5日から14日まで、伊勢丹新宿店に毎日張り付いてサインしたりしてます(笑)。うちはパッケージが真っ白なのでホワイトデーうけするんですよ。ぜひ、会いに来てください。
posted by 辻 仁成