THE INTERVIEWS
坂 茂「まず行動する建築家」後編 Posted on 2016/11/21 辻 仁成 作家 パリ
強い使命感を持ち、世界中の被災地を駆け巡る建築家、坂 茂(ばん しげる)に迫るインタビュー。
アポなし、人任せにせず、自費で被災地に駆けつけ、理屈を置いて、まず自分にできることが何かを考え、人のためにその技術と労力を惜しみなく提供する建築家、坂 茂の本質に迫ります。
熊本震災の現場へ急行した坂 茂に待ち受けていたものは何か?
辻 ここまでお話を聞いてきて、坂さんの行動力の凄さに言葉がありません。本当に呆れるほど凄まじい意志で行動されてきたわけですが、同時に、すごくチャーミングな一面があるじゃないですか? そのチャーミングな力をどこで学んだのですか? 一見、チャーミングから程遠い雰囲気を持っていられる。
坂 茂さん(以下、敬称略) (笑)
辻 坂さんがやってこられたこと、これ誰もができることじゃないですよ。ある種、本当に神がかり的なことだと思う。告白しますと、話が良過ぎて、僕はどこか疑いの目で見ていたのも事実です。
坂 僕もね、いろんな人にインタビュー受けたりして、どうしてそういうこと始めたんですかってよく聞かれるんですよ。ボランティアってアメリカの方が日本より進んでいるから、アメリカ留学時にボランティア活動に加わったりそういうことしていたんですかって言われる。でも僕はそういう経験一回もなくて。僕はアメリカに行って驚いたのは、普通アメリカ人の学生って夏休みになったら、みんなバイトしてるのかって思ったら、違うんですよ。親からの支援が受けられなくて生活費のために、バイトする人はたくさんいましたけど、日本人みたいに遊ぶ金のためにバイトする人なんていないんです、アメリカには。それで、学生たちが夏休み何してるかっていうと、びっくりしたんですけど、当時アリゾナのアルコサンティっていう場所で、イタリア人の建築家パオロ・ソレリが理想都市(建築家パオロ・ソレリが提唱する「アーコロジー」という理論を元に、1970年に始まった実験的都市プロジェクト)をボランティアの学生と作ったんですよ。彼らは、鉄の鋳物でベルとか作ったりして建設資金を稼ぎながら、理想の都市を作ろうっていう運動をしていたんですけど、そこに学生たちもボランティアにいくんですよ、ただ働きに。
辻 この子たちは建築科の学生たちでしょ? ならば一般の学生らとはちょっと考え方が違うんじゃないですか?
坂 僕はボランティアはできなかった。時間もなかったし、夏休みはずっと勉強してたから。当時はボランティアをするという意識もなくて、理解もできなかった。だから日本に帰ってから海外青年協力隊とかに行く人も結構いたけど僕にはぴんとこなかったんです。
前に言ったように、建築家ってのは全然社会の役に立っていないって気が付くようになってから、だんだん「なんかしなきゃ」って思っただけで、別にボランティアの経験があったわけではまったくないんですよ。
辻 なるほど。なのに、災害が起きたときに真っ先に飛び込んで行き、被災者のために行動する坂さんの思い、意志はどこから来ているのでしょう?
坂 単純に建築っていう自分の持っている技能を使って、少しでも社会に還元できないかって思って、ルワンダに行って神戸にも行ったわけなんですけど。神戸では散々な思いもしました。うちのスタッフが他のボランティアと喧嘩してそこを追い出され神父さんからの信頼を失ってしまったんです。仕方なく僕がスタッフの代わりにそこに住み込み、1週間ほど常駐して働いたんですよ。そうでもしないと「材料持って帰れ」って言われて。ベトナムの人たちの仮設住宅はみんな建設資金を教会から出してもらったんですけど、教会を作るのは、神父さんとの最初の約束で、お金集めも人集めも僕がやるって約束をしたんです。やり遂げたはいいけど、本当に大変で「二度とこんなことしたくない」と、神戸を終わった後、思ったんですよ。
「もう二度とやりたくない」って思ったんですけど、たまたまこの神戸の活動で毎日デザイン賞いただいたんです。毎日デザイン賞って言ったら、建築のデザイン賞じゃないんですよ。ですけど、僕が尊敬する日本のクリエイターが皆もらってる。三宅一生さん、田中一光さん、倉俣史朗さん・・・。そういう風に建築とは関係無いけど、僕が日本で一番尊敬するクリエイターがもらっている賞で、それをもらったときに、「もしかしたらこれが僕の40歳の建築だ」って思ったわけですよ。
辻 40歳の?
坂 学生時代から自分が尊敬する建築家の経歴を見ていて、だいたい40歳前後で必ずその人の生涯を決める作品を皆さん作っています。それがないと続かないんです。
たとえば、アーティストとか音楽とかスポーツとかはわりと大成する年齢は若いんですよ。でも、建築家はなぜか40前後なんですよ。ただ設計ができるということじゃなく、いろいろな社会との繋がりなども含めて。いろいろな世界的な建築家を見ていると、40前後でその人の生涯を決める作品が誕生しています。僕は神戸の活動が1985年ですから38歳の時に、毎日デザイン賞をもらったんですが、その時に、「もしかしたらこれが、僕の40の建築なんだ。この方向で行けという事の奨励としてこの賞をいただいんじゃないかな」と思ったんです。だから神戸を終わったあとに「二度とこんな事したくない」って思ったんですけど、賞をいただいた時にもしかしたら僕はこの方向でいくべきなんじゃないかって思い直したんです。
辻 ジュネーブにいって、ドイツに行って、ルワンダがあって、その後、神戸ですよね?
坂 そうです。でもルワンダは長いことやっていて、5年ぐらいかな? 5年間ぐらいずっとコンサルタントやっていたんですよ。
辻 その間に、神戸が起こったんですね。でも建築的には両方同じようなことをされていますね。その間、ほかの仕事は、建築家としての仕事は停滞してる? 既得権益から「いい仕事しなさい」って言われることはなかった?
坂 だって僕、日本で学校行ってないし、日本の有名な建築家の元で修業したわけでもないから、偶然の仕事しかないわけですよ。普通は大学の学閥だったり、自分の先生から仕事が入ってくるんですけど、僕の場合はそれ一切ないから。
辻 うがった言い方ですけど、坂さんは外国で頑張って来て、日本に戻って来たけど、自分に組織がない。そんな中で体が動いて、ルワンダとか神戸に行くようになった。そこが自然と自分の新しい建築家としての仕事の方法を教えたっていうことはありませんか?
坂 最初ね、ボランティアと一般の仕事が共存できればいいなって思ったんですよね。最近思ってるのは「両方の活動は同じことなんだ」ってこと。単にボランティアは設計料なんか無しで作るわけですけど。普通の仕事は設計料をもらって。設計料をもらうかどうかの違いだけであって、自分がかけるエネルギーもそれをやり遂げた時の満足度も全然変わらないんです。最初はそうじゃなかった。最初はなんとか両立させたいと思ったんですけど。徐々にわかってきたこととしては、設計料以外にはなんにも変わらない。だから今も熊本の仕事で自分のエネルギーと時間を凄い費やしてます。
辻 その間に、他からの事業依頼とかないんですか?
坂 この間もね、シンガポールのホテル王から島を埋め立てて、新しく作るリゾートのホテル、100億ぐらいの仕事、頼まれたんですけど。でもどうも気が向かなくて。そんな時に熊本の地震が起こって、エクアドルの地震もあった。ホテル王からリゾートホテルの敷地を見に来てって散々言われたんだけど、やっぱり気が乗らなかったんですよ。シンガポールの美しい海の沖にあるんですけどね。それを棒に振って、熊本に行き、エクアドルに行くことになるわけです。それでずるずるシンガポールに行かなかったら、とうとうクライアントから断わられてしまいました。その100億の・・・
辻 そんなこと書いちゃっていいんですか?
坂 いいですよ、もちろん。やっぱり、そういうことに自分の時間を使いたくないなって。その場所は、モルディブです。やりがいないですもん、デベロッパーの仕事なんて。
辻 おっと! パンクですね!
坂 だってー
辻 いやそうだけど、そういうこともちろんインタビュアーとしては聞きたかったことですけど、普通の建築家は言わないですよ。坂さん、変わってる!(笑)
坂 あのね、さっき40代の建築って言ったようにね、いろんな建築家の生涯を見てると、本当に純粋に作品を死ぬまで作り続けた人っていうのは、なかなかいないわけですよね。どうしてみんな歳を取るとだんだん駄目になっちゃうのかな。有名になった建築家、あるいは賞を獲ったりお金が手に入ったりして、駄目になった人も多くいるんですよ。結局事務所を大きくしてどんどん仕事を取る、それから社会的にいろんな地位がついてだんだん他人の言うことを聞かなくなる。そうすると次第に良い作品が作れなくなるんですよ。歴史的にいろんな建築家を見てそう思った。だから僕は絶対そうなりたくないから、それを避けていかないと。
辻 凄いです。言葉が見つかりません。
坂 巨匠のル・コルビュジエって聞いたことありますか?
辻 はい、もちろん知っています。
坂 ル・コルビュジエと同じ時代に、ミース・ファン・デル・ローエっていう建築家がいるんです。それからアメリカの建築家でルイス・カーンっていう建築家がいるんですね。僕、みんな建築的には好きなんですけど、実はミース・ファン・デル・ローエは、ヒトラーがバウハウスを閉めたためにアメリカに亡命して、アメリカの財力と彼のアイディアで一時代築き上げたんです。でも最後はデベロッパーの仕事をしているんですよ。同じものを繰り返し作っては大きくしていく。その点でルイス・カーンを見るとね、実はルイス・カーンもデベロッパーの仕事をやって。彼はフィラデルフィアの建築家なんで、フィラデルフィアの街の大改造をデベロッパーの仕事としてやっているんですけど、実現しなかったんですね。その代わり、彼はインド、バングラディッシュに、今でさえも行くのに大変なのに、あの時代にそんなところに建物作って、自らお金を持ち出して行くわけですよ。それで最後は死んじゃうんですよ、ペンシルベニアステーションでね。心臓発作で亡くなるんですけど、しばらくは身元もわからず、数日後に収容されたそうですが、そんな最期だった。彼は結局デベロッパーとつきあったけど、うまくいかなくて・・・
辻 ミステリー小説や映画のようですね。
坂 僕の理想とする死に方は、空港で死ぬこと。被災地で何かやった帰りに。
辻 その行動を後押しする力ってなんですか?なんか信仰があるの? どんな信念や理念があるの? 聞いてみたいんです。宗教観とか?
坂 ないですね
辻 すると、それは何ですか?
坂 たまに考えたり、聞かれたりする時にね、たまに冗談で言うことは、これ冗談ですよ。小さいころテレビドラマでサンダーバードってあったんですよ。
辻 サンダーバード? はい、僕も大好き。あ、わかる、国際救助隊!
坂 秘密結社でどっかの島の秘密基地から、世界中に行って、人を助けて、格好いいじゃないですか。あれへの憧れなんじゃないかなって、冗談で言うんですど、他に思い当たるものが無いんですね。あれ格好いいってずっと思ってて。
辻 (笑)でも、坂さんの行動力は凄まじい。自費で現地に向かう行動力。お金どうするんだろう?
坂 まずは自分のお金を出して、後から集めたりしますけどね。回収できるとは限らないし。僕、お金のバランス、全然考えてないから。あんまり計算したこともないから。
辻 今回熊本の被災地で会った若手の建築家、たとえば藤本壮介さんとか、そこにいた人たち、街の人たちが皆さん、坂さんのファンなんですよね。僕の熊本の被災地訪問にもみんなついて来てくれるんです。「来なくていい」って言ったのに(笑)。潰れた家屋を前に拝んでいるじゃないですか、気配を感じて振り返ると、その子たちみんないるんですよ。きっと坂さんの世界中の現場にこういう若いスタッフがいるんだろうな、と想像してしまいました。坂さんの人間力で集まって来るのでしょうね。わかる気がします。そのもとにあるのは、国際救助隊サンダーバードの精神ですね。
坂 ははは。
辻 被災地、益城、御船の避難所を回った時に、そこの方々にインタビューしたんです。ご高齢の方々が集まってこられて、間仕切りのお陰でプライバシー保てたって喜ばれていましたよ。でも、誰も坂さんの名前は知らない。
坂 いいんです。誰であるかなんか知る必要全くありません。でも名も名乗らず自分で動かないと駄目なんです。
99年にトルコに地震があった時に、ちょうど神戸から4年目だったんですが、仮設住宅を全部解体して、ちょうど日本も世界中がリサイクル運動の流行りで、ゴミにできないということで日本政府が初めて自衛隊の船で仮設住宅をトルコに寄付したんですよ。日本政府もたまにいいことするなって思って見に行ったんですよ、現場を。そうして驚いたことに、そこに住んでいるのは、政府関係者の家族と、軍関係者の家族ばかり。一般人じゃないんですよ。関係者に聞いたら、日本の仮設住宅は良過ぎて、トルコ政府が作った仮設住宅よりも良過ぎて不公平がでるから、一般の人にあげられないんです。つまり日本のODAの失敗と同じで、現地も見ずに、こんないいもんだからあげておけばいいだろうっていうスタンス。それじゃ駄目なんですよ。そこに行って、そこの気候、経済レベル、それから地域の人たちの生活スタイルとかをちゃんと汲み取って、ちょうど良い物じゃなきゃならない。良過ぎても悪過ぎても駄目なんです。だからまず自分で行って、何がいいか、何が必要かを見なければね。
辻 人を救おうという思いが先なのか、自分の建築家としての野心も同時なのか? どっちが先なんですか?
坂 いい質問ですね。あんまり僕、そういうこと考えたことないですね。いつも行動が先に出ちゃうんです。当然、野心無かったら、建築家の仕事なんて続けられないと思うんですね。もちろんあるけど。やってる時は考えないんです。
辻 行動が先、実に坂 茂さんらしいお話でした。坂 茂国際救助隊の話、本当に心が洗われました。ありがとうございました。
posted by 辻 仁成