THE INTERVIEWS
千住博×辻仁成 創刊記念対談「生きるをデザインする」前編 Posted on 2016/10/23 辻 仁成 作家 パリ
人生とは人間が生きることをデザインしていることであり、
人間は皆人間をデザインするデザイナーなのである。
辻 新しく創刊するWEBマガジン「デザインストーリーズ」について、今日は古くからの友人であり日本画家の千住博さんとデザインストリーズ、創刊記念対談と銘打って、「生きるをデザインする」を行いますが、千住さんとは本当に長い付き合いですね。同じ大学で教授、学長という関係でしたし、大昔、千住さんの推薦で京都で行われていた文化デザイン会議の賞をいただいたこともあった。しょっちゅう会っているわけではないけど、折に触れ、大事なところにはいつも千住さんがいてね、千住さんの方が僕より一つ年上なのかな、同時代を生きる仲間という感覚もある。そうだ、千住さんに頼まれ、千住さんの素晴らしい画集「大徳寺聚光院別院 襖絵大全」に短編小説を書かせていただいたこともあった。もう、かれこれ20年近い付き合いかなぁ。今回は、僕が編集長を務めることになったWEBマガジンにご登場いただくことになり、大変に光栄です。今日は思う存分、人生とデザインについて語り合うことにしましょう。
千住博さん(以下、敬称略) 辻さんから「デザインストーリーズ」という名前を聞いて、まず僕が思ったのは、辻さんが言うデザインとはいわゆるビジュアルデザインのことをいうわけではなく、より大きな意味で人生をデザインするという内容ではないかということですよね。
辻 その通りです。人間は誰もが生きることをデザインしていて、そういうことを含めて「意匠」という言葉がありますが、人間は誰もが実はそれぞれの人生のデザイナーなわけなんだね。人は生まれ出ることはもとより、人生の中で変化することも、そして最後にこの世界から滅することも一切自分で選択することができない。仏教では生老病死と呼ぶ四苦のことだけど、ある意味、悲観的になりたくなるほど人間は運命に支配されて生きている。けれども、人間が努力し、学び、気が付くことを続けていけば、決められたこの運命でさえ多少向上させることができる。人は自分の人生を少しでもよくさせたいと願い、納得できる最後を迎えるために生きているのだと僕は思う。
これがある日、デザインだと思った。東欧のすごいグラスやスイスの高級腕時計のデザインなんかもこの単語に含まれるけれども、もっと大きな意味で人間の在り方をデザインすることの大事さに気が付き、その中でありとあらゆるデザインが人間の暮らしをよくしようとしているのだと思うことが重要だと気付かされた。人生というものは思い通りにならないからね、でも、思いに近付けて生活を向上させたいとイメージすることが大事。デザインには大きな役目があるんだよ。それで「生きるをデザインする」WEBマガジンを作ってみたいと思うようになった。その中には哲学が必要だし、人生で学ぶべきさまざまが不可欠。人生をデザインするためのヒントがたくさん詰まっているような、長い人生の道のりにおける指針となるような、そういうものを発信できるプラットホームを作りたいと思った時に、この言葉が、「デザインストーリーズ」という造語が頭に明滅したんです。
千住 辻さんからデザインという言葉を聞いて、ふと、思い浮かんだのは「宇宙」という言葉だった。宇宙とは中国語の古い言葉だけど、宇宙の「宇」とは空間の意味。「宙」とは時間という意味。つまり、宇宙とは空間と時間のことを示す言葉なんだよ。太古の昔から空間と時間をどうやって自分が把握するか、どうやって自分がその中に入り込んでやっていくかということが人類が文明化して行くための、一つの大きな柱のようなコンセプトだったんだよね。
だから辻さんからデザインという言葉を聞いて僕が思ったのは、太古の昔から人間は生活を、つまりライフをデザインしてきたんじゃないかということなんだよ。
辻 まさに、その通り。
千住 ライフという言葉はつまり生活という意味もあるけど、生きる、一生、命、という意味や意匠という意味もあって、いろんな角度を複雑に示すのが「ライフ」という言葉だよね。そのライフを宇宙、すなわち空間と時間の中でどうやって生かしデザインして行くのかということが、人間の長い歴史だったと思うんだ。人間とは人の間と書くけど、つまり何かといえば、コミュニケーションする人たちのことを人間と言うんだよね。それは人間と人間とのコミュニケーションもあるけど、人間とさまざまなものとのコミュニケーションがあってはじめて、人間がその空間と、その中にある時間を把握して存在するわけ。そのことをデザインしていくわけだけど、そのレベルでこの話しが大きく羽ばたき、どんどん広がっていったらおそらく文化全体にわたり若い人たちにとって大きな意識改革になると思う。
辻 デザインストーリーズの立ち上げを考えた時、最初に頭に思い浮かんだのが千住さんのことだった。対談がこうやって実現し、最初から深い話しになってるんで、びっくりしてますよ(笑)。
千住 (笑)それは僕も辻さんも、そして誰もがいつも考えていることだからなんだよ。辻さんは今僕にデザインという言葉を使ってトリガーの役割をしてくれたわけ。だから、まさに僕は今、自分が思っていることを一気に、溢れ出るように話してしまったということなんだ。
人間的感動とは芸術的感動のこと。
千住 人間とは何かを考えると、さっき言ったように常にコミュニケーションをする人たちのことを人間というわけ。芸術もまた相手に自分の感情やイマジネーションを伝え合うコミュケーションであって、つまり人間イコール芸術なんだよ。そういった意味で考えると、人間的感動とは芸術的感動であり、あらゆるものとコミュニケーションしようとするのが芸術なんだよ。私はこう思う、僕はこう思う、どうだろうか? と、たとえ答えが返ってこなくても、問い掛け続けられる負けない心を持っている人、これが芸術家じゃないかと思うんだ。答えは返ってこなくていい。本当は返ってきてほしいんだけど、不屈の精神でコミュニケーションしようとするその気持ちがものすごくピュアなんだよね。
辻 WEBマガジンをやろうと思っていると友人に打ち明けたら、「なんでいまさらそんな大変なことを引き受けちゃうわけ?」と驚かれた。自分でもよくわからなかったんだけど、なんとなく、千住さんとこうやって話していると、やらなければならない意味が形になってくるから不思議だね(笑)。大事なのはこの世の中を面白くすることだし、人と人のあいだをつなぐことだし、冒険心を忘れないことだし、人間性の再発見だろうし、人間とはなんぞや、という長年の謎に迫る行動力であろうと思った。デザインストーリーズという言葉が実は僕の背中を押したんだ。いい響きじゃない? やはり、言葉ありきなんだよ。意匠と物語、この二つが必要なんだってことだろうね。
千住 そういう意味でデザインを考えてみると、ポストモダンなどもそうだけど、とても冷たくて血の気が通っていないようなキレイなだけの発想やモノがカッコいいと間違って思われてた時代がものすごく長かったんだよね。
辻 よくわかるなあ(笑)。一見、最高のデザインというのはクールに見えるけれど、血の通った、根底に強い意志のないものは表層で終わってるよ。
千住 でも実は、そんなキレイなオシャレ感覚は単なる一時の流行だったんだよ。1980年代は冷たいものが求められた時代。でも人の使うデザインとは辻さんの言う通り、もっと血の気の通うモノでなければいけないんだよね。たとえば、1964年に東京オリンピックがあったけど、グラフィックデザイナー亀倉雄策の手掛けたあの日の丸のポスターは、なんて言ったって血の気が通ってるよね。あの時代といえば、たとえばファンションデザイナーの森英恵さんもまた見事に血の気が通ってる。丹下健三の建築も血の気が通ってる。そう考えると1960年代っていうのは本当にとても熱いおやじたちの時代だった。その時代のかっこよさをやっぱり僕たちは今、再確認しなくちゃいけないと思うし、そういう時代なんだと思うんだ。
辻 ちょっと時が過ぎ、最近どんどんデザインという言葉が表層化されスタイル化されてしまった。もちろん、モードだってファッションだって素晴らしい、でも、本当に素晴らしいものはやはり根底に強いパッションがあるよね。
千住 冷たいのがかっこいいと思われているのが20世紀末であって、それが行き着くところまで行ってしまったわけ。たとえば、バーチャルリアリティという世界があるけど、僕はそういう世界が嫌いなんだよ。コンピユーターのスクリーンの中から映し出される世界、あれはものすごく大きな問題があるんだよ。なにかっていうと、ビジュアルと音以外なにも伝わらないんだ。匂いも、触覚も、空間さえ、何一つ伝わらないんだよ。あれが現代人の感覚だと思っているというところに実に大きな問題があると思うし、異議を唱えたいんだ。パソコン上でゲーム等をして、そこで疑似恋愛などをする、そこに僕は深刻な問題があると思ってる。なぜかというと嫌な奴は簡単に消すことができるんだよね。しかし現実の世の中とは嫌な奴とも付き合わなくてはならない、それが世の中なんだ。でもそういうことをまったくしないで、削除してもやっていけると思っている若者たちが大人になった時代はそら恐ろしいと思う。スイッチ一つで大量に人を殺すことができるんだからね。
辻 現代的な話だ。
千住 恋愛にしてもそうで、スクリーン上だけの疑似恋愛を楽しむ人がいるじゃない? でも現実は生身の相手と恋愛をして、でもなかなか思うようにいかないことが多いわけじゃない? そういう思うようにいかないことが実は恋愛だったりするわけで、現実の経験を一切しないで、自分の好きなパターンだけを追い掛けて、ちょっと嫌だったらボタン一つで消してしまう。それはいわゆる人間じゃないんだよ。人間とは、さっきも言ったけど、コミュニケーションする人たちなんだ。コミュニケーションとは嫌な相手とも付き合うということであって、それが今、現代文明から置き忘れられていると僕は思うんだよ。
辻 今の話しで言うと、確かにバーチャルな世界やデザインが冷たくなった、というさまざまな話しはその通りだと僕は思います。だからあえて、このWEBマガジンではデザインとは何か、人間とは何か、人間の本質とは何か、というものも含めてひろく問い掛けていきたい。
デザインの中に熱い血があるとしたら、
それは全てのデザインの中に流れる物語だと思うんです。
千住 京都造形大学で僕は6年間学長をしていたんだけど、今はお亡くなりになった創立者で理事長の德山詳直さん、あの方を見ていて思ったのは、ものすごい人間力のある人だということ。人間力、つまりコミュニケーションをする人の力がものすごくある人だったよね。
辻 そうでしたね。僕は徳山さんと出会い、不思議なご縁で京都造形大学で教授の仕事とは別に人間塾という問答の場を開くことになる。全くの私塾だけど、徳山さんが場所を提供してくれた。大学教育とは違う何かをやろう思ってたんだけど、ある日、瀬戸内寂聴先生のすすめで比叡山に上った。根本中道で手を合わせているとなんだか黒い仏が立ってね、隣にいた住職に聞いたら、元三大師だろうということで、実はいろいろと不思議なことがその後起こるんだけど(笑)、そういう話はまた別の日に、とにかく、その人のことを調べると、延暦寺の中興の祖であり、問答をやった人だった。大学教授をやっていたけど、知識を教えるだけでは何も面白くない、と僕は思っていた。上も下もない。教えるという発想そのものがつまらないと思って、下山するとすぐに徳山さんを訪ね、塾を開き、問答をやりたい、と申し出ることになる。そしたら、徳山さんが面白がってくれてね、場所を提供してくれ、しかも人間塾と命名してくれたんだよ。全国から集まった塾生たちと車座になって、人間とはなんぞや、と議論した。僕の力が及ばず数年で閉塾してしまうんだけど、千住さんにも来ていただきましたね。とにかく、問答する場所が必要だとあの頃は強く思っていた。
千住 そうだったね、伺いましたね。
辻 実は、あの私塾の発想からこのデザインストーリーズは生まれています。人間塾のあと、人間塾の意思を継ぎ、それをもっと広い世界に広げたものを模索しはじめる。ある意味で、このプラットホームは世界中で活躍する日本人同士が問答をするような、切磋琢磨するような場所にならないだろうか、と考えている。僕は宗教を持ってはいないけど、手を合わせ、祈ることはします。どこか決まった政党を応援したりはしませんが、政治に無関心ではない。人間にうんざりすることはありますが、人間の可能性を追求しない日はないんです。そういうことを発信できる場所がやはり必要だったのです。そして、人間塾を閉鎖する頃、デザインストーリーズの発想が生まれた。世界は意匠の中にある。その意匠の根底にあるものを突き止めたい。人間とは何か、その人間がデザインする一生という人生はどのようなものか?
千住 僕がまだ30代の無名だった頃、建築家の黒川紀章さんやアートディレクターの田中一光さん、写真家の稲越功一さんたちにとても可愛がっていただいたんだけど、皆さん亡くなってしまったね。ありがたかったのは、画家が世の中に出るのに、画家同士が評価し合ってもあまり意味がない。画家以外の人たち、つまり別のジャンルの人たちに評価されてはじめて、ものすごく大きなハードルを越えることができるんだよ、と言われ、とても救われたんですよ。別のジャンルというか我々のような文学者とか建築家とかデザイナーとか作曲家とか、そういった人たちから、あれはいいよ、すごいよ、といわれることがとても大切なことなんだと。
このデザインストーリーズは多くの人たちを刺激することができるかもしれないし、とても広い意味で多くの人たちを引っ張り上げることができるんじゃないかと思うんだ。そういう意味で考えるとこのWEBマガジンにはいろんな可能性があると思うな。
(撮影:渡邉 和弘)
posted by 辻 仁成