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ザ・インタビュー「捨て去られるものを、ダイヤに負けない輝きに!」 Posted on 2021/10/21 辻 仁成 作家 パリ

新世代賞作品募集

5年ほど前、ぼくは若いクリエーターを応援するための、新世代賞をスタートさせた。最初は、応援団も少なく、自費をつぎ込んだ。あれから、少しずつ仲間が増え続け、今年、なんとか、第5回目を迎える。最初のグランプリを受賞したのが、本日の主役、中村暖さんである。当時、22歳だった中村さんは、コンビニなどのビニール袋を溶かして、クロコダイルのバックを作った。無駄に捨て去られるものを、もっと輝かせたい、という発想にぼくは度肝を抜かれた。中村さんは、傷つけられたガラスや、捨てられていく透明なものを慈しみ、そこからダイヤに負けない輝きを生みだしている。この、26歳になった若きクリエーターの着想に耳を傾けよう。ザ・インタビュー「捨て去られるものをダイヤに変えたクリエイター」
 



 
お久しぶりです。暖くんが新世代賞第1回目グランプリをとったのは今から4年前ですね。

中村暖さん(以下「中村」、敬称略) お久しぶりです! そうですね。22歳でした。

まさに、光陰矢の如しだね。五年前、全くどうなるかわからないまま、ぼくは新世代賞をスタートさせた。しかし、たくさんの方が応募してくださって、その中に暖くんがいて、君がグランプリに選ばれた。それから2回、3回、4回と続いて、今回5回目になるんだ。

中村 おめでとうございます!

暖くんが大活躍しているという噂を聞いて、嬉しくなってね。そして、今年は、新世代賞の審査員も引き受けてもらって、本当にありがとう。新世代賞を運営するスタッフ一同、励みになっています。ということで、今日は、中村暖というクリエーターにスポットを当てさせてもらいます。まずは、近況から!
 

ザ・インタビュー「捨て去られるものを、ダイヤに負けない輝きに!」

 
中村 ありがとうございます。ぼく、今年で26歳になったんです。それで30代をどのように在りたいかということを考えるようになりました。

新世代賞で中村さんが受賞した時の作品は、プラスチックのリサイクルで何度も生まれ変わる、透明なワニ革バッグを作るという作品でした。審査員全員が満場一致でグランプリに決まったわけですが、あの頃から一貫して変わらないものってありますか?

中村 「透明」ですね。世界中を歩いて僕にしか見えないダイヤの原石を見つける。自分のデザインスキルだったり、アイデアだったり、自分の繋がりによって磨きあげて原石をダイヤとして輝かせる事を大事にしています。

なるほど。たしかに、ロンドン留学(新世代賞の副賞、海外留学制度を利用し、暖くんはロンドンに留学した)から帰国後のシャンデリアの作品は、ライオンが爪で引っ掻いてシャンデリアに爪痕を残すという不思議な作品だったよね。どうしてダイヤのようにキラキラ磨こうとしなかったの?

中村 ダイヤモンドっていうと、いわゆる結婚指輪のダイヤみたいに、キラキラ輝くするカットがあるじゃないですか、もちろんとっても美しい。でも、人間が作ることができない新しい輝きとか、もっと新しいダイヤの磨き方があるはず! と思いまして。人間の磨きでは作れないリアルな傷の美しさを見つけ、傷が作る光を集めてシャンデリアにしましたね。一般的に傷とかダメージとか壊れたものって廃棄されたり、B級品扱いされて価値は低くなる。でも僕はそこに価値があると思っているんです。たとえば、傷がついたらそこに光が差し込んでちょっと一瞬キラってする部分があったり、割れた破片のリアルで生々しい断面が光を集めて、その屈折がキラッとドラマティックに輝いたり。その光が集まることによって人間が綺麗に磨き上げたダイヤモンドよりも美しい輝きが作り出せたと思ってます。新世代賞の副賞でロンドンに留学させていただいた時に、ロンドンの美術館で見たヴィンテージのジュエリーだったり、食器を見て、「傷があるのにどうしてこんなに綺麗なんだろう?」って思って。それがアイディアの種ですかねえ。

すごいね。話聞いてるだけでワクワクするなぁ。

中村 僕にとっては、それを経ての時代がコロナ渦へ、という感じでしたね。
 

ザ・インタビュー「捨て去られるものを、ダイヤに負けない輝きに!」

※ロンドン留学時。癌患者緩和センターにある海の漂流物のシャンデリア

ザ・インタビュー「捨て去られるものを、ダイヤに負けない輝きに!」

※エリザベス女王の宝石と暖くんの宝石

 
傷のついたものを逆に輝かせる、蘇えさせるということ。その発想っていうのは昔からあったんですか?

中村 昔からあったかも知れないです。僕の友達が母親にインタビューしまして。その時に母が、「幼少期から暖くんはキラキラしたものとか、透明なものが好きだったのですか?」という質問をして、その質問に対する母親の回答に僕はびっくりしたんです。小学1年生になって通学するようになって、いつも制服のポケットいっぱいに何かキラキラしたものを詰めて帰ってきていたと。事故の後の道路にサイドミラーの破片のキラキラや、割れたガラス、クリアのプラスチックにペットボトルなど。砂場でもひたすら透明に近い石ころを探して集めていたりしていたらしいんです。だから、その頃から少しずつ養ってかも知れないと思いました。ちょっとビックリな6歳ですよね。

キラキラしたもの、透明のもの。人と違った角度で世界を見ていたということですね。

中村 でも、全然意識をしているわけではなかったです!

第一回新世代賞の審査の時、最初、クロコダイルのバッグを見て、え? これ、普通じゃん、と思ったんです。(笑)。だけど、「何度も溶かして繰り返して使える。ヘビ皮にだってなる」と書かれてあるのを読んで、え? え? そういうことか、すごい! と思いました。

中村 あれは日常的に捨てられるビニール袋をどうすればラグジュアリーな商品にできるかな、ラグジュアリーの象徴であるクロコダイルと合体させることでに価値を上げる事ができるのかと、考えました。その後、実際に本物のワニ革にも触れて、様々な製造工程を経て出来上がりました。

今も作っているのですか?

中村 今は、違う素材でできるか挑戦したりしています。あの時は柔らかいプラスチックを使っていたのですが、今はちょっと硬いプラスチックを使ってみたり。みんながSDGsや環境にに注目する前の作品なので・・・。今はみんなが関心を持っているので僕の出番ではないかな、と思っています。

5年くらい前から暖くんが始めたのは、人が捨ててしまうもの、傷つけられてしまったもの、ある種「傷み」を抱えているような、みんなが無視するようなものにものすごい光を当てるという芸術ですね。

中村 そうですね。「傷みを美しさ」にという部分が強いかも知れませんね。

あれから5年、でもまだ26歳だもんね。可能性だらけだね。
 

ザ・インタビュー「捨て去られるものを、ダイヤに負けない輝きに!」

 
中村 道端でガラスの破片を拾っていた小学一年生の頃は6歳だったので、20年経ってやっと美しいジュエリーが作れるようになりました。

中村くんはジュエリー作家なのかな? それとも、ジュエリーも作る芸術家?

中村 肩書きカテゴリーは決めてしまいたくはないですけど、ジュエリーを作っていますし、身に着けるものはバッグもジュエリーだと僕は思ってます。今は香水作りに挑戦してるんです。

え、香水?

中村 マスクを外せる世の中になった時に一番出したい作品が香りなんです。

それはどういうコンセプト?

中村 香りって無色透明じゃないですか。でもそれを嗅いだ時に、脳の信号とか脳の電気通達を経て、自分がお母さんのお腹の中にいる時の状態に戻るような香り、ゼロの香りというのを作ってみたいんです。全て0になるリセットする香りというのを、今、脳の研究者の方や眼科の方々と一緒に作っています。ワニ革もそうですけど、色んな人の技術を集めて、掛け合わせて、作り上げているので、僕だけでは作れないけれど、僕にしか作れないものができるんです。
 



ザ・インタビュー「捨て去られるものを、ダイヤに負けない輝きに!」

 
ここ最近、この5年の間にどんな進化をしたのか。2ミリのソーシャルディスタンスという作品も気になるんですけどその辺の話をしていただけますか?

中村 傷みやダメージを美しさに変えるっていう事をしていたら、2020年、コロナ渦。見えないウイルスにたいして不安や様々な悲しい事も渦巻く世の中。これはクリエイターとして世の中の声を聞いて、今、何か作ることがメッセージである。例え、それが世の中に広がらなくても、今、作ることがメッセージであり、必ず10年後20年後にこんな世界状況だった時にこれを作ったという事が、きっと僕自身の大切なの世界へのメッセージになると思って動きました。

すごいね。

中村 時、世の中でよく耳にしていた、「ソーシャルデイスタンスを取りましょう、2メートル、2メートル絶対にとってください」の言葉。もっと美しく、広告的にアプローチができる!と思ってしまったので、クリエイターとしてアプローチを。その頃はめちゃくちゃ、「マスク」、「消毒」、「医療従事者」と、たくさんのキーワードが上がっていたので、その一つ一つを僕が紡いで、じゃあ、ソーシャルデイスタンスは2メートルだけど、もっともっとなにかに触れる最初に、ちょっとそこにカバーがあったらいいな、という思いがありまして。エレベーターのボタンだったりドアノブだったりを押す役目の美しい指輪を作りました。いわゆるプロダクトなんですよね。ジュエリーといえど、あれは道具なんですよ。

わかった、やっと。あの形、変だなって見ていたんですけど、つまりあれでエレベーターのボタンを押せば手で触らなくてもいいということですね。

中村 そうです! あれをカバーにすれば触らなくても大丈夫なんですよ。美しくジュエリーをつけて、着けたまま洗えるんですよね。
 

ザ・インタビュー「捨て去られるものを、ダイヤに負けない輝きに!」

 
実は、パリはコロナが激しくて2020年はロックダウンが2回、3回とあって、最初の頃は家から出るのも怖かったんだけど。家出る時に必ずドアの取っ手を触らなくてはいけないのがとても嫌だったから、カギ状のものを持って出かけて、それでドアを開けてたわけ。だからその気持ちがすごくよくわかったよ、今(笑)。めっちゃ、面白い。

中村 プラス2ミリのガラスでマイナス1ミリでも感染リスクを最小限に下げるというプラスとマイナスをキャッチコピーに使った作品になりました。

面白いよね、26歳中村暖、随分進化してきたね。

中村 (笑)そうですね、数年前の受賞時から見ると。

自分がクリエイターとして社会に出て行くために、これからジュエリーだったりアートだったりそういうものをどんな風に自分の中で生きて行く知恵にしていこうと思ってる?

中村 僕自身、なんだろう、、。世の中から求められるクリエイターになりたいとすごく思っているんです。

今ね。

中村 僕の一番恩師ともいうべき千住博先生も、「暖君は、世の中から求められるクリエイターになりなさい」とすごく言ってくださるんです。日本を代表する世界的な日本画家、芸術家の方が、「クリエイターになりなさい」と、いわゆる芸術家という言葉を使わずにクリエイターという言葉を使われるんです。つまりデザインもアートもジュエリーもそれこと絵画もグラフィックも領域を狭まらず、それはあくまでも一つの表現手段であって、何かを生み出すための手段。それぞれを使い分けながらクリエイトして行くのが僕の役目だなっと思っています。アートディレクターのような?

すごいね、いいね。千住さんから渡されたバトンをさらに次に渡せるくらいのエネルギーを感じる。素晴らしい。

中村 クリエイトという言葉が多分一番合っていると思う。

うん、合ってるよね。

中村 アートやデザインよりもそれを経て作り出すその先。だから、アート&デザインのその先に近い、その辺が少しずつ見えてきたかな、という感じかなあ。

そういう時を経て、今、中村暖がいるわけだけど、今回、5回目にして初めて新世代賞の受賞者が審査員になりました。審査員を誰にしようと考えたときに、これはもう中村暖しかいないね! って僕らは思ったんです。中村暖はこの5年間、着実に活動してきたわけだから・・・。審査員って普通は社会的にある程度の地位に達した人ばかりがなっているようなイメージがあって、でも、新世代賞はそういう今までのやり方を変えたかった。若い人が若い人を選ぶ賞にしないと、と僕は思った。中村暖君が適任だと思ったんだ。で、中村君が審査員をやる上でその若いクリエイターから次のクリエイターたちにこんなものを期待したいという思いや意気込みなどがあれば、聞かせてもらいたいな。

中村 なるほど、なるほど。メッセージとして、自分がこれを信じているものがものとリンクしている、作品とリンクしていることがすごく大事だと思っています。たとえば僕が応募した時も、これは僕が作り出すことができるって信じていたもので、僕の作品がこれからの豊かさになると僕は信じてると言い切れる。それくらい強い思いで、自分自身と自分の作品を信じている事こそ、尊くて、やはり強い作品であると僕は思います。その作品を信じてエントリーして欲しいですよね。

いいね、信じてエントリーして欲しいですよね。別のところでね、「なんか今回は勇気がなくて断念します」みたいなメッセージをもらったんだけど、いいじゃん、失敗したっていいから、自信があるなら応募したらいいじゃんって、言ったばかりなんだよね。そういう人たちも励まして欲しいよね。

中村 僕は、信じてエントリーはすごく豊かで素敵な事だと思います。信じられることは。

暖くんて、他にも賞とか応募することはあるの?

中村 ありますよ。もちろん!

チャンスを掴む場所という意味で、新世代賞ってとても大きな入口だと思うんだけど・・・。
 

地球カレッジ

中村 新しい桃太郎の自分が産まれるかもしれない、チャンスだと思うんですね。この機会っていうのは。

それ、いま、この僅かな瞬間に考えたの? へー、的を得ているね。でも、凄くわかる。桃から出てくる桃太郎なんだ、みんな・・・。

中村 だから審査員の僕達は、お婆さんなんですよね。あの、桃を切る切る係なんですよね、桃を。

ぼくはすでに本当のお爺さんだけど、中村暖は、まだぜんぜん、おじさんにさえなっていない若者だからね。

中村 今回の審査で、僕達が、しっかり切らなきゃダメすよね。

そうだね。

中村 桃を!
 

新世代賞作品募集

ザ・インタビュー「捨て去られるものを、ダイヤに負けない輝きに!」



 
今回、第五回は、下北カレッジって言う学生寮の人たちが中心になって、この新世代賞を、運営しているんですよ。若い人たちに、バトンを渡し、彼らがそれを握りしめて走ってほしかったから・・・。第6回とか、これから先、まあ、学生たちにやって貰いたいと思っていて、つまり、大人がコントロールする賞じゃなくて、僕は5回までラインを作ったから、この鉄道の先は自分たちでがんばって、って言う事もあって、もちろん、支え続けるんだけど。そう言う人たちがいっぱい、今、集まって、やってくれているんです。凄くエネルギーのある人達で、彼らにも、やっぱりね、こういう機会をね、得て、次の社会人になるためのいい経験にしてもらいたいと思っていて、なんか、ただ賞を渡すだけで終わりっていうのが多い中で、この新世代賞にかかわった人たちは、みんなが次の世界を考える人たちになったらいいなー、と思っていて。(笑)そうだ、だから、中村暖はパリにも会いに来てくれたもんね。

中村 そうです。

ロンドンに留学したにもかかわらず(第一回新世代賞の副賞が、海外留学で、中村君はロンドンを選んだ。コロナ以降はコロナの影響で、留学の副賞はなくなりました)、パリのサンジェルマン・デ・プレ協会の前で待ち合わせて、一緒に写真撮ったなぁ。

中村 撮りましたもんね。ロンドンに行って、こんな博物館で、こんな宝石観ましたって、報告しましたよね。

そう、なんか橋の上で、誰かが地面に張り付いたチューインガムにペイントしてたんだっけ? それを報告してくれましたよね?

中村 ゴミにペイントしている人もいて。

暖くんのその千里眼。観察する力が凄いなーっと思った。そういう物を見つけて、知らせてくるエネルギー。

中村 あー、下向いて歩いてるからですかね。上向かずに。(笑)

はっはっは、いや、下向いた方がいい。下にこそ、キラキラ光る物があるんだよ。ほんとに。

中村 そうなんですよね。落ちてるんですよね。下に。

そう、上を見ると太陽か月しかないけれど、下向いてるといろんなものが落ちてて、キラキラ・・・。

中村 いろんな物が落ちてますからね。ほんとに。

そうだよ。それを、だから、暖くんは、いちいち拾っては作品にしているんだなーと思いました。
 

ザ・インタビュー「捨て去られるものを、ダイヤに負けない輝きに!」

ザ・インタビュー「捨て去られるものを、ダイヤに負けない輝きに!」

※チューイングガム跡アーティストのおじいちゃん

 
 
中村 そうですね、これからも変わらないと思います。きっと、ずっと。

うん、変わらないで欲しい。いや、いい意味で進化していくんでしょーね。これから、どういう展望があります?これから、俺はこういう風になっていくぞ、と言うのを、最後に一言もらいたいんですけど。

中村 これから、実は、そのコロナ禍のこのガラスの美しい指輪の製作を経て、あっ、ガラスに未来があるなって、そこでちょっと自分の中で、チラッと心が変わりまして実は、・・・

あー、なるほど。

中村 来年から、ちょっとガラスの工房にお弟子さんとして挑戦しようと思っているんですね。

辻 へぇー。

中村 で、10年間はガラスをやろうと思っています。それくらい、心惹かれました。

じゃ、イタリアのムラーノ島とか、ヨーロッパに来なきゃダメだね修行に。

中村 もちろん、行きますよ!

その時、連絡してよ。ご飯ご馳走するよ。

中村 あっ、是非! ガラスの作品持って行きますね。

嬉しいなー、それは、凄く期待しています。

中村 日本でも2023年に個展に挑戦がきまっているので、またご報告させてください!
 

編集部からのお知らせ。
新世代賞の応募要項はこちらから。

https://www.designstoriesinc.com/worldfood/art_and_design14/

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posted by 辻 仁成