PANORAMA STORIES
『最後の晩餐』に描かれたドイツの風土 Posted on 2019/04/15 中村ゆかり クラシック音楽評論/音楽プロデューサー ドイツ、エッセン
春の訪れとともに、ドイツの街は復活祭のムードに包まれる。復活祭は、十字架上で亡くなったキリストが3日後に復活した事を祝う行事で、キリスト教文化においてはイエスの誕生を祝うクリスマスと並ぶ重要なお祭りだ。復活祭のシンボルであるウサギや卵が色とりどりに飾られると、まるで季節が魔法をかけたように、復活の日を待ち望む歓びが、街中に溢れ出す。
キリストの受難と復活の物語は、多くの芸術作品で扱われるテーマである。その物語の中でもとりわけ有名な主題は、レオナルド・ダ・ヴィンチが描いたことでも知られる『最後の晩餐』だろう。
ドイツ西部のゾースト(Soest)という小さな街に、ちょっと変わったドイツならではの『最後の晩餐』がある。燦然と光輝くステンドグラスのそれは、聖マリア・ツーア・ヴィーゼ教会(St.Maria zur Wiese)の最も小さな北の窓に収まっている。ダ・ヴィンチと同時代の1500年頃に作られたという歴史あるものだ。
緑色砂岩による緑がかった外観が特徴的でドイツで最も美しいゴシック教会のハレンキルヒェとして名高い>
この『最後の晩餐』、実は、かのゲーテも驚かせた変り者。1823年にゾーストを訪れたゲーテは友人に宛、次のように書いている。
「テーブルの上に、復活祭の子羊の代わりにハムがある。」
ご存知の通り、『最後の晩餐』には、通常、聖書の記述に従って、過越の祭のために用意された「子羊」をメインに、キリストが自分の血と身体として弟子たちに与えた「葡萄酒(ワイン)」と「パン(多くは無発酵の煎餅状のもの)」が並ぶ。
ところが、ゾーストの『最後の晩餐』には、ゲーテも驚いた「ハム」に加え、「プンパーニッケル(ライ麦パン)」に、なんとびっくり「ビール」や「シュナップス」まで。目を疑いたくなるほど、ドイツらしい品が目白押しなのだ。
ビール大国ドイツと言えど、「ハム」や「ビール」が並ぶ『最後の晩餐』は、この地方にしか見られないものだという。そんなこともあって、知っている何処かでの『最後の晩餐』を描いたような小さな窓を見学に訪れる ドイツ人が後を絶たない。かく言う私も3度会いに行っているが、訪れるたび、見る人、見る人の顔に、ぽっと光が差していくことに気づく。見上げる人を笑顔にする、なんとも不思議な『最後の晩餐』。
見る人の心に寄り添う、その『最後の晩餐』を眺めながら、芸術史的価値は比較するに及ばないけれど、私はふとバッハのアリアを思った。音楽の父バッハは、キリストの受難の物語をもとに《マタイ受難曲》という傑作を残している。その大作の中には、幾つものアリアが散りばめられているが、バッハは、それらアリアの歌詞に、聖書の言葉ではなく、敢えて自らと同じ時代の詩人の言葉を使い、聴く人の心に深く寄り添う普遍的な力を持った人の心のドラマを描いた。
古都ゾーストに残る一風変わった『最後の晩餐』には、500年も遥か昔から続くドイツ、ヴェストファーレンの美味しさが詰まっている。ゾーストを抱くヴェストファーレン地方は、ハイネが「父なるハムの大地」と詠ったほど、歴史あるハムの聖地として名高い。そして今やドイツを代表する黒パンとしてお馴染みの「プンパーニッケル」も、実はヴェストファーレンを発祥とするものだ。また今では大衆性の強いドイツビールは、かつて「液体のパン」として修道院で醸造されていたという歴史も忘れることはできない。
『Westfälisches Abendmahl:ヴェストファーレンの晩餐』と称されるこの窓に、なぜ名産品が並ぶことになったのか、その真実は明らかでない。けれど、この土地の人の心に寄り添い、この土地の光と風、大地と人の営みを映す、特別な『最後の晩餐』であることに間違いはない。
Posted by 中村ゆかり
中村ゆかり
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専門は、フランス音楽と演奏史。博士課程在学中より、音楽評論とプロデュースを始める。新聞、雑誌、公演プログラム等の執筆、音楽祭や芸術祭のプロデュース、公共施設、地交体主催の公演企画、ホールの企画監修などを手掛ける。また5つの大学と社会教育施設でも教鞭を執る。2016年よりドイツ在住。