PANORAMA STORIES
プロヴァンスの“伝説のシェフ” 仕事を優先しない人生 Posted on 2019/05/06 町田 陽子 シャンブルドット経営 南仏・プロヴァンス
『南仏プロヴァンスの12か月(A Year in Provence)』が40ヶ国語に翻訳され、600万部以上を売った世界的ベストセラーになってから、30年が経とうとしている。イギリスで1989年に出版され、日本では1993年に刊行された。ロンドンを引き払い、南仏プロヴァンスに移住した元広告マンのピーター・メイル氏が生活の豊かさや生きる歓びを見つけていく物語。南仏での暮らしぶりをユーモアたっぷりに描いた珠玉のエッセイで、当時、空前のプロヴァンスブームに火をつけた。わが家の宿にも「この本を読んで以来、いつかプロヴァンスに行ってみたいと夢見ていたんです」と訪れる人が今だに多い。
いつかお会いしたいと思いながら、残念ながら一度も機会を持てず、著者は2018年に逝去された(享年78歳)。しかし、その著者と最後まで親交があり、自身もこの本の中に登場するシェフが私の身近にいる。最後の12月の章のラストシーンに登場し、クリスマスに停電でオーブンが使えない哀れなメイル夫妻に手をさしのべる救世主「オーベルジュ・ドゥ・ラ・ローブ」のモーリス。彼の新年の挨拶「ボン・ナネ!」で物語は締めくくられる。
ビュクスというひっそりとしたプロヴァンス・リュベロン地方の小さな村で、知る人ぞ知るレストランを商っていたモーリスは、この本に実名で登場したことで人生に多大な影響を受けた。世界中の雑誌やガイドブックの取材班が押し寄せ、ピーター・メイル氏ご贔屓のプロヴァンス料理に舌鼓を打つために観光客が列をなし、いつしか「伝説のシェフ」と呼ばれるようになった。この現象は一時的なものではなく、30年以上続いた。
昔の雑誌に掲載されたモーリスは恰幅がよくて自信に満ち充ちた表情を見せている。いかにも「伝説のシェフ」といった貫禄だ。目の前にいる現在のモーリスは、近年心臓を患ったこともあり肉が落ち、白髪で、一見すると気難しい頑固爺さん風。
「一度たりとも、朝起きて料理をするのが嫌だと思ったことはない。私の料理を美味しいと楽しんでくれる人のために食事を作るのは喜びだった。でも、料理は私にとってはあくまで仕事。情熱は別にあった」。
モーリスはその“情熱”のために、生涯結婚もせず、旅行もせず、ペタンクもせず、料理という“仕事”を粛々と田舎の村で続けてきた。
「結婚なんかしたら、タイだのブラジルだのに連れていけとせがまれるだろうし、さもなくば私の元をさっさと去っていくだろう。一度、私と結婚したいという女性もいたけれど」と懐かしそうに笑う。
生涯独身を貫くほどの情熱とは、なに? 馬である。6歳の時、馬を見た瞬間、雷に打たれたかのような感動を覚えた。それはまるで、神を見たかのようだったと。
祖父母はイタリア人で、フランスに移住しマルセイユに定住した。モーリスは戦争直後、サロン・ド・プロヴァンスに近いランベスクという小さな町で生まれた。父は左官で、母は花輪を作って売っていた。モーリスは園芸の学校へ行った。本当は馬の世話ができる仕事がしたかったけれど、親に反対された。結局、学校は続かず、その後は運河(カナル・ド・プロヴァンス)の工事を手伝ったり、ホテルで仕事をしたり。馬術雑誌で見つけた小さな募集記事をたよりにパリにも行ったが、雨ばかりでプロヴァンスが恋しくなって7ヶ月で戻ってきた。19歳だった。
料理人になったのは、エクス・アン・プロヴァンスのレストランでサービスの仕事をしていた時だった。ある日、大酒飲みのシェフが仕事に来なくなってしまい、そのポジションにモーリスが入ったのだった。いつもシェフの仕事を見て覚えていたことと、もともと料理が好きだったことから即戦力となり、信頼を得てそのままこの道に入った。独立し、自分の店をビュクスにもったのはそれから10年後の1979年。多くはない顧客に細々と料理を提供していたモーリスの店にある日、友達と一緒にやってきたのがピーター・メイルだった。
モーリスの料理は変わらなかった。小さなココットに入った15〜18種類の伝統的な前菜が名物で、メイン料理は子羊の煮込みやジゴのグリル、冬ならジビエにプロヴァンス野菜の付け合わせがたっぷり。春夏は陽光が降り注ぐテラス席で、冬は大きな暖炉の前で食事をするのは幸せなひと時だった。星付きレストランのシェフのような独創性を発揮する必要はむしろなかった。皆、その土地の昔ながらの料理をここに食べに来るのだから。
壁という壁に馬の絵がかけられ、その奥の厨房にいつもモーリスはいた。彼は乗馬のコーチになりたかったが、料理人になった。それは偶然とも成りゆきともいえるようなきっかけだったけれど、その仕事を愛し、同時に馬との暮らしを愛し続けた。
ビュクスというど田舎を住処に選んだのも、結婚をしなかったのも、旅行をしなかったのも、休暇にスキーもテニスも釣りもしなかったのも、仕事を真面目に続けたのも、すべて馬のため。仕事より馬を優先してきた人生だ。19世紀から20世紀にかけてのアメリカの馬車を20台以上もコレクションし、馬車のコンクールに出て受賞もしている。
「私にとって生きる意味は、馬たちのため。いつの日か、馬を放り出して他のことをするなんて想像したこともない。私の雄馬は今31歳なんだけど、それは人間でいえば90歳。人間と同じで、老いると足腰が弱くなってしまう。彼は歯が抜けてしまったので、毎日朝と夜にトウモロコシ粉とフスマを混ぜて食べさせている。だからまだまだ元気なんだけどね。そう、馬は美しい。素晴らしい生き物だ。小さいのも大きいのも、どんな種類の馬も好きだ。今度はポニーを買おうと思っているんだが、そんなことをしてると、私自身がいつまでたっても死ねそうもないね」。
しかしモーリスは、2年前に店を閉めた。長年料理と馬の世話を手伝ってくれた片腕のギョームが、ここを辞めてオーヴェルニュの祖母の家にレストランを開きたいと言ってきたから。
「それで店を閉じる決心がついた。新しいチームを新たに作るなんてしたくなかった。だから、彼に全てをあげた。テーブル、椅子、皿、グラス、冷蔵庫、オーブン。すべてを。だって、それは2つ目のオーベルジュ・ドゥ・ラ・ローブになるんだよ。私の店と同じ料理を作るんだ。素敵じゃないか」
73歳のモーリスの言葉に、人生のヒントがある。
「このような情熱をもてたことはとても幸せだ。情熱は人生に必要なものだ。多くの人は若い時は情熱を持っていても、仕事が忙しくなると失ってしまう。それはとても残念なことじゃないかな」
「リタイアして、毎日一人で何をしてるかって? 今じゃ我が家にもインターネットというものがあってね、YouTubeで馬の映像を見ていると時間が経つのも忘れるよ」
Posted by 町田 陽子
町田 陽子
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シャンブルドット(フランス版B&B)ヴィラ・モンローズ Villa Montrose を営みながら執筆を行う。ショップサイトvillamontrose.shopではフランスの古き良きもの、安心・安全な環境にやさしいものを提案・販売している。阪急百貨店の「フランスフェア」のコーディネイトをパートナーのダヴィッドと担当。著書に『ゆでたまごを作れなくても幸せなフランス人』『南フランスの休日プロヴァンスへ』