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《フランス・ペイザージュ⽇和①》パリの美観は道にあり Posted on 2021/10/22 水眞 洋子 ペイザジスト パリ

10⽉4⽇、辻仁成さんのオンラインコンサートが開催されました。


辻さんのオンラインコンサートは今回で2回⽬。
前回の5⽉に開催されたコンサートではセーヌ川上での演奏でしたが、今回のバスからの演奏で、⼤変オリジナリティーに溢れていました。


秋の太陽の光がキラキラと降り注ぐ中、辻さんの⾳楽とパリの⾵景が美しく融合していたのが、とても印象的でした。


個⼈的には、今回のバス上コンサートは、前回の船上コンサートにいっそう輪をかけて素晴らしかったと思っています。
なぜかと⾔うと、パリ独特の美観を余すところなく堪能させていただくことができたからです。


何を隠そう、パリの美観は「道」なくして語れません。
そしてこの美観の⼤切な⽴役者なのが、「街路樹」です。


コンサートの中で、バスがシャンゼリゼ通りに⼊り、凱旋⾨を⼀周して、チュイルリー公園に向かって進んだ際、道路の両脇に植えられている樹⽊にお気づきになられた⽅がいらっしゃるかもしれません。

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《フランス・ペイザージュ⽇和①》パリの美観は道にあり

上空から⾒ると、凱旋⾨を中⼼に、街路樹が四⽅にたっぷりと根付いていることがよくわかります。
 

《フランス・ペイザージュ⽇和①》パリの美観は道にあり

フランスでは、街路樹は都市の景観遺産として⼤切に管理され、守られています。

本稿では、パリの美観の基盤である、「道」と「街路樹」について、少し触れてみようと思います。

・・・・・・・

みなさまとって、「道」とはなんですか?
どのように認識されていますか?
何のために、どのように利⽤していますか?

多くの⽅々が、道は移動のための場所である、と認識されているか思います。
⾞や⾃転⾞、徒歩などの⼿段を使って、道を⾏き来して移動する。
私たちの⽣活にはなくてはならない場所です。

パリではどうかというと、ちょっと事情が異なります。
パリの街にとって、「道」は移動の⼿段だけではなく、「⾵景を楽しむ場所」という認識が深く刻まれています。


街の美しい眺めや⽣活を楽しみつつ移動する場所、それがパリの「道」なのです。
 

《フランス・ペイザージュ⽇和①》パリの美観は道にあり

この認識が⽣まれたのは、19世紀当初。
ナポレオン3世の時代です。

当時のパリは、今とは全く異なる様相を呈していました。

産業⾰命の影響で⾸都の⼈⼝が急激に増加したことで、衛⽣・美化・安全・⼈⼝分散・交通緩和などの、多岐にわたる都市問題が噴出していたからです。
特に、交通循環と衛⽣問題が、最重要課題でした。

なんとかこの状況を改善したいと考えたナポレオン3世は、当時のセーヌ県知事ジョルジュ=ウジェーヌ・オスマンに命じて、1853年から約20年間、パリ⼤改造計画を実施させました。


この事業の中で、オスマンは、道路整備を最優先で進めました。
新しく道路を整備するにあたり、いくつか原則を定めます。

例えば、細くまがりくねった街路を拡幅し、直線にすることです。
既存の道路を壊し、「ペルセ」と呼ばれる直線道路をたくさん作りました。

ここまで直線に拘った理由は、主に2つあります。
まずは衛⽣⾯の改善です。
都市内の⾵通しを促し、衛⽣環境を改善させるのに、直線道路は⼤いに役⽴つと知っていたからです。
 



《フランス・ペイザージュ⽇和①》パリの美観は道にあり

※写真:サン・ジャックの塔(4区) 事業施⼯前(左)、現在(右)

 
2つ⽬に美観効果の向上です。
道路を整序化することで、対称性や直線状など、仏⼈の美意識を反映した眺望・景観をふんだんに盛り込みました。
まさに町全体を⼀つの芸術作品とみなす構図が、当初からしっかりと構想されていたのです。
 

《フランス・ペイザージュ⽇和①》パリの美観は道にあり

※写真:セバストポール通り(19世紀中期)

 
ここで注⽬したい原則がもう⼀つあります。
それは、街路樹です。
オスマンは、新たに建設された道路のうち、《ブルヴァール(Boulevard)》と《アヴェニュー(Avenue)》と称された⽐較的幅の広い道路には、すべて街路樹を整備させました。
この狙いは、まさに環境保全と美観です。
かつ直線道路に街路樹を植えることで、緑を有機的につないで空気の浄化作⽤を促しつつ、「パースペクティブ(遠近法)」効果が最⼤限に⽣きた美しい道路が誕⽣したのです。

新しく直線道路を整備する際は、「アイストップ」の役割を果たす象徴的な建築物を必ず設定しました。
その結果、この下の写真のように、バスティールの塔に向かって直線道路が通り、街路樹がパースペクティブを強調するという、景観が楽しめる道が誕⽣・確⽴しました。
 

《フランス・ペイザージュ⽇和①》パリの美観は道にあり

※写真:バスティーユ広場(11区) 、事業施⾏中(上)、施⼯後(下)

 
こうして街路樹は、パリの⾵景には必要不可⽋なものとして定着していくことになりました。

街路樹が定着した理由がもう⼀つあります。
それは、街路樹の管理ノウハウが、しっかりと規範化されたこと、です。

当時、街路樹は、パリ市の緑化局と道路局の2つが担当していました。
同局の技術者たちは、様々な規範を作りました。


その内容は⼤変細く、苗⽊の⽣産から植栽環境の整備、維持管理⼿法に⾄るまで幅広く包括しています。

例えば・・・。
・樹⽊の根や樹冠の成⻑を⾒越して植栽桝は少なくとも4.5m3とすること
・樹⽊間は5m 確保すること
・下枝は2mの⾼さで枝打ちすること、などなど。

植える樹種もしっかりと規定され、主にマロニエ、プラタナス、ボダイジュ、といった特定の樹種が植栽されました。


このように、技術的な基礎が徹底的に確⽴されたおかげで、街路樹がしっかりと定着するに⾄りました。
この規範は、当時の局⻑よって『プロムナード・ドゥ・パリ(promenade de Paris)』という書物にまとめられ、出版されています。
 

《フランス・ペイザージュ⽇和①》パリの美観は道にあり

この本は、現在はフランスの国⽴図書館のホームページで閲覧することができます。⬇️
https://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k6276852z.texteImage

街路樹は時代とともに⽴派な⾼⽊へと成⻑し、今⽇ではパリの代表的な「景観的遺産」として、パリ市の職員により⼤切に管理されています。
そして、パリっ⼦みんなの誇りとなっています。
 



《フランス・ペイザージュ⽇和①》パリの美観は道にあり

※Photo @ Ville de Paris

 
ここまで読んでくださったみなさまの中には、もしかするとこう思われる⽅がいるかもしれません。
「やっぱりパリはすごいなぁ。それに⽐べて⽇本の街は・・・・」

とんでもございません。
⽇本の街にも、素晴らしい街路樹がたくさんあります。
特に戦前の街路樹は、パリに負けないほど⼤切に⼿をかけて管理されていました。
 

《フランス・ペイザージュ⽇和①》パリの美観は道にあり

※Photo @ 東京都公園協会

 
残念ながら、景気の低迷を境に、街路樹管理が疎かになるケースが多々あります。それでもなお、⼤切に管理された街路樹は、⽇本各地にまだまだあります。
例えば、明治神宮外苑の銀杏並⽊や、仙台の⻘葉通のケヤキ並⽊などが挙げられます。
 

《フランス・ペイザージュ⽇和①》パリの美観は道にあり

ご興味がある⽅は、以下の書物を⼿にとってみてください。
「街路樹が都市をつくる」⬇️
https://www.iwanami.co.jp/book/b450155.html

「街路樹は問いかける」⬇️
https://www.iwanami.co.jp/book/b587785.html

きっと「⽇本もすごいじゃん」と思っていただけると思います。
街路樹を同じ市⺠の⼀員として、より愛着を持って接していただけるのではないかと思っています。
そして、より「道」を楽しむ⽣活を、満喫していただけるかと思っています。
 

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Posted by 水眞 洋子

水眞 洋子

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水眞 洋子(みずま ようこ) 
大阪府生まれ。琉球大学農学部卒業後、JICA青年海外協力隊の植林隊員及びNGO《緑のサヘル》の職員として約4年間アフリカのブルキナ・ファソで緑化活動に従事。2009年よりフランスの名門校・国立ヴェルサイユ高等ペイザージュ学校にて景観学・造園学を学ぶ。「日本の公園 におけるフランス造園学の影響 」をテーマに博士論文を執筆。現在は研究のかたわら、日仏間の造園交流事業や文化・芸術・技能交流事業、執筆・講演などの活動を幅広く展開中。
ヴェルサイユ国立高等ペイザージュ学校付属研究室(LAREP)、パリ・東アジア文明研究センター所属研究所(CRCAO)、ギュスターヴ・エッフェル大学に所属。シエル・ペイザージュ代表。博士(ペイザージュ・造園)。