PANORAMA STORIES
夏休み特別エッセイ「ヒトナリ少年の野望・核シェルター編」 Posted on 2022/07/12 辻 仁成 作家 パリ
最初の世界制覇の野望が挫けても、僕等平和町山賊団は決して怯むことはなかった。とにかく大人たちを驚かせ、世界を転覆してみせるのだ、と宣言しつづけていた。社宅の庭に穴を掘った。
すでに直径ニメートル、深さIメートルもの穴を子供たちは掘っていた。僕は地下秘密基地を作らなければならない、と思い込んでいたのだった。
「ヒトちゃん、今度はなんばすっと」
藤田君は泣きそうな顔で訴えた。社宅中のスコップが集められていたことは言うまでもない。僕は、
「地下秘密基地」
と宣言した。勿論、穴凹をじっと眺めていたミカちゃんだけが、すごか、と唸った。
穴の中で土を掘っていたヨー君は、ため息をこぼした。
「よかか。平和町山賊団の本拠地ばつくらんないかん。作戦会議ばしたり、秘密の裁判をしたり、秘密の法律を作ったりする基地ば作ると。大人たちに絶対に見つからん僕等だけの秘密のアジトば作るとよ」
アジトというききなれない言葉に一同は酔いしれていた。ませていたヨー君は逆に、アジトという言葉を知っていただけに、今回の作戦にロマンを感じたようであった。
「アジトか、かっこいいね」
アジト、アジト、とミカちゃんが言いながら飛び跳ねた。
僕は前の晩、親の目を盗んでこっそりと書いた秘密基地の設計図をみんなに見せた。その穴は社宅の地下を縦横無尽に走り回っていた。ところどころに大きな空間を作り、会議室や、弾薬庫や、宿泊施設までが用意されていた。僕等の夢はその一枚の設計図を前にいっそうふくらんだものだ。
「それぞれの家から缶詰やら、お菓子やら、毛布やら、歯ブラシやらば盗んできて、ここに備蓄するとよ」
備蓄という言葉はまだヨー君も知らなかった。僕は備蓄という言葉の意味を全員に教えた。ビチク、ビチク、とミカちゃんははしゃぎつづけた。
「よかな。この空間に集めたものを備蓄しとくったい。そうすれば、もしも大人たちと戦争になったとしても、何年かはこの中だけで生活ができるやろ」
やっちゃんと藤田君が唸った。弟のツネちゃんは、さすが、アニキ、と手を叩いた。考え事をしていたヨー君が今度はぽつりと、
「つまり、これは核シェルターにもなるんだね」
と言ったから、一同は新たに登場した言葉に身構えた。ヨー君が核シェルターというものの存在について語りだした。当時はまだ冷戦の時代であった。アメリカとソビエトがいつか戦争をはじめるのではないか、と父さんと母さんが話しているのを僕も聞いたことがあった。
「広島を破壊した核爆弾が今日福岡に落とされる可能性がないとは言えないって、パパが言っていた」
ヨー君のお父さんは青山学院大学を出ていた。正直に言えば、僕は核シェルターという響きよりも、ヨー君の言葉遣いの方に耳を奪われてしまっていた。可能性がないとは言えないって‥‥‥。
僕は復唱した。可能性がないとは言えない。なんて都会的な響きであろう。
「じやあ、可能性がないとは言えんってことは、可能性があるってことったいね」
ヨー君は真剣な顔で頷いた。
「うん、アメリカとソビエトは核実験を繰り返しているんだって。地球を何百回と破壊できるほどの核兵器をすでにお互いもっているらしい」
「なんでそげんアホなことすると?」
やっちゃんが言った。ヨー君は、さあね、と肩を竦めてみせた。両方の掌が空を向いては、ボールをちょっと空中に投げるみたいなポーズを作っていた。弟のツネちゃんが、僕の肩を小突いた。確かに僕はその時、はじめて肩を竦めてみせる表現方法を目撃した。外国の映画でたまに見かけるその仕種を、実際に生で目撃したのは生まれて初めてであった。僕と弟の間では肩を竦めてみせるポーズが話題になっていたのだった。それは東京からやってきた人間だけができるおしゃれな仕種でもあった。きっと青山学院大学では、かっこいいお兄さんやお姉さんが、白いポロシャツ姿で、さあね、とか言って、肩を竦めてはすれ違っているに違いなかた。
当然、僕の頭の中には、核シェルターのことよりも、肩を竦めるポーズのことの方が真夏の入道雲のように広がっていた。
「アニキ、見たやろ。あれはなんね。なんで、ヨー君は外国人みたいにあげんポーズばとるとやろ」
「わからん。わからんけど、カッコよかね」
僕がカッコいいと思わずヨー君をリスペクトしてしまったせいで、僕を信奉していた弟は返事に困ってしまった。
「でもヒトちゃん、この秘密基地は確かに僕等には必要だよね」
ヨー君が僕の作戦を認めたことで、弟は固い表情を緩めることができた。
「ああ、そうったい。恐ろしい核戦争から僕等自身を守るためにも必要やし、大人たちから隠れるためにも必要ったい」
弟が拍手をした。ミカちゃんがつられて、二回ほど手を叩いた。セッセと穴を掘っていた藤田君が、つかれたよ、とこぼした。僕たちは穴の周辺に座って、社宅の庭のど真ん中にあいた穴を見下ろし休憩をした。九州を吹き抜ける午後の爽やかな風が僕等平和町山賊団の上をよぎっていった。
「でも、目立つね」
ヨー君がぽつんとこぼした。確かに穴凹は社宅のベランダから丸見えの位置に掘られていたのであった。そして僕は僕んちのベランダからじっとこっちを見ている母さんの顔を発見することになる。
「ヒトナリ!」
かくして、僕はまたしても母さんに叱られることになってしまった。みんなが逃げだしてしまった後、僕は母さんに耳たぶを引っ張られて穴凹まで連れていかれ、たった一人で、土を元に戻すことを命ぜられた。
「どうして、お前はこんな悪さばっかりするとね」
僕は覚えたてのあのポーズを使うのは今だと悟った。そしてすかさず、肩を竦めてみせた。肘を曲げ、両掌を上手に上手にやんわりと空中へ投げてみせた。
「さあね」
それは母さんの微笑みを誘った。秘密地下基地を作るという作戦は又しても大失敗に終わったが、かわりに僕は母さんを笑わせることができたのであった。怒っていた母さんが、どこでそんなポーズば覚えたと、と驚いた顔のまま微笑み続けたので、僕はうれしくなってもう一度、さあね、とやってみせた。ポーズを作っている自分を想像しながら、少しだけ、僕は大人に近づいたような気がして仕方なかった。
Posted by 辻 仁成
辻 仁成
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作家。パリ在住。1989年に「ピアニシモ」ですばる文学賞を受賞、1997年には「海峡の光」で芥川賞を受賞。1999年に「白仏」でフランスの代表的な文学賞「フェミナ賞・外国小説賞」を日本人として唯一受賞。ミュージシャン、映画監督、演出家など文学以外の分野にも幅広く活動。Design Stories主宰。