PANORAMA STORIES
私のザワザワ Posted on 2020/06/27 Summer Shimizu 現代美術家、写真家 ニュージーランド・オークランド
私のザワザワは、2020年5月25日ジョージ・フロイドさんが米警察官に暴行され、亡くなる動画を見た朝から始まった。この暴行死事件をきっかけに、西洋圏を中心に抗議デモが急速に広がった。この活動は日本でもニュースになっていた。大坂なおみ選手が抗議デモを行ったり、小沢健二さんがRacismの定義を促したり、英語記事を大人数で同時和訳するSNSライブを行ったり、海外と関係性が強い人たちが積極的に声を上げている。私も小沢健二さんに習って、Racismを人種差別ではなく人種主義として書いていく。
この暴行事件全般について、私もうまく気持ちを処理できないでいた。多様性ある友達と異文化の中で生活していると、様々な思いと考えが突き刺さり、どう言葉にすればいいのか分からなかった。悩んでいる間にどんどん時間が経ち、米警察官に殺された人がまた出てしまった。娘の誕生日に殺された父親、19歳の女性がSNSで性的虐待を受けたことを発表した後遺体で発見、木に吊るされた男性が自殺と判断されたり、75歳男性が抗議デモ中に警察に地面に叩きつけられ、頭蓋骨にヒビが入り歩けなくなった人もいる。2020年現在でもなお、あってはならない理由で命が消えていく。
SNS上でも様々な声が交差する。消化しきれいない量と、光より早い速度で広がる声。私の顔がくしゃくしゃになり、目を瞑りたくなるような動画が、私の携帯やパソコン画面をどんどん占めて行った。今覚えば、あの時鬱になりかけていたのかもしれない。私のPākehā(※)友達も、今までそんなそぶりも興味も全く示さなかった人たちが、いきなり180度人間が変わったかのようにBlack Lives Matterについて握り拳をあげている(た)。「オーマイガーっ! なんてひどいこと! 信じられない!」中にはただ単にSNSシェアやリツイートをして、トレンドに乗っかっただけな人もいた。しばらく時間がたち、深く理解していないことに気がつき始めたPākehā友達は「教養を身に付けなきゃ!」と、本を読みあさり始めた。「人種について話そう!」「白人至上主義」「どうして白人は人権主義について話したがらないのか?」関連の本である。国内売り切れのため、海外のオンライン本屋さんをチェックした。パンデミックのおかげで国際線がほとんど飛んでいない影響で、アオテアロア(ニュージランドのマオリ語での名称)までの配達が30日ほどかかるという。オークランド市立図書館でも、同じ本が150人待ちになっていた。普段は多くても2〜3人待ちだというのに、私の順番はいつやってくるのだろう? 多数のディスカッションが始まって、私はいい動きだと感じていたと同時に、不思議な気持ちも内心あった。私があれだけ作品を作ったり、話題にしてきたのに、Pākehā友達は今まで何も言わなかった。彼らのスイッチはどこだったのだろう?
※Pākehāとは、マオリ語で外からやってきた英国系の人を指す。ヨーロッパ系ニュージーランド人で、人種的に白人と呼ぶ言葉を遠回しに表現する単語。日常会話にもでてくるが、特に人種の話をする時に使われる。キウイでは定義が曖昧。マオリ語はアオテアロアの原住民が話す言葉。
元クラスメイトで、優等生Pākehā男子が、彼にしては珍しいことをSNSに投稿していた。アオテアロアで、原住民マオリ人とパシフィックアイランド人たちが、刑務所入りしている統計値だった。少し躊躇したが思いきって、彼にメッセージを送ってみた。「興味深いこと投稿してるね。いきなりどうしたの?」すると彼は、「Summerは僕のことRacistだと思ってるの?笑」と、冗談まじりの返事が返ってきた。「Racistなんて言ってないよ、笑。ただ、今まであなたの興味はいつも違う場所にあると思っていたから、驚きは感じたけど?」いろいろ話しを聞いていくと、優等生Pākehā男子の本音はこれだった→「今この時にこの看板を掲げないと、みんな僕のことをRacistだと思うかもしれない。もう、そういうのが嫌なんだ。」彼が言っていることと、掲げた看板には少しズレを感じたが、彼は背中に重いレンガをずっと背負っていることを告白してくれた。彼も肌の色を選んで生まれてきているわけではない。
あれから一ヶ月近くたった。呪文のように溢れていた私のSNS画面は、以前と同じ画面へ戻りつつある。または、人種主義のお勉強モードがオンになっているのかもしれない。アメリカ在住の友達はまだ、火が消えないよう積極的に薪をくべている。
アジア系コミュニティの声にも触れたい。一番多かった意見が「Black Lives Matter以前にアジア人をコロナ呼ばわりする人達に、差別どうこう言われてもね。」他にも、「どうしてBLACK Lives Matterって限定するんですかねぇ。アジアンからも沢山の賛同得られるように、全ての被差別側に寄り添うスローガンにすればいいのに。」「アジア人が一番差別されているよ。」「あのさ。黒人でなかったら、と訴えるけど日本人も普通に職質受けるからね」「思い込み激しいんでしょうね。感じた不快感をそのまま差別と思い込むのいい典型例だと思います。」「支持しますが、日本にその問題を持ち込まないで欲しい。祖国でやってください。」「海外は大変ねぇ。お気の毒に。」
わ〜、一杯でてくる。でもわかる、その気持ち。私も最初は、Black Lives Matterの表現について悶々とした感情があった。何かもっと現代的な表現があるはずだ、と思い込んでいた。そしていつもだ。モノクロ写真のようにいつも白黒だけ。アジア人は、同じ土台に入れてもらえないような、そんな複雑な気持ちがあった。どうしてAll Lives Matterではないのか、友達が分かりやすく説明してくれたのでここでシェアしたい。Black Lives Matterは、アフリカ系の人たちだけでなく、当然私たちアジア人を含めて誰もの命が大切。その意味が含まれている。でも、All Lives Matterにしてしまうと、命の危険に晒されている人たちから焦点が遠のいてしまうのだ。例えば、女性が男性に「私のこと好き?」と聞くとする。男性は「僕はみんなのことが好きだ」と答える。そうなると女性は「私のこと好きじゃないの?特別な存在じゃないの?」と悲しむよね。他には、友達が「私の子供が亡くなったの・・・。」と、辛い気持ちを思い切って打ち明けてくれたのに、私が「人は誰でもいつか死ぬからさ。」なんて言ったらどうだろうか?父の日に「じゃぁ、母親の私は重要じゃないの? こんなに毎日家事子育て頑張ってるのに!」と感じることと似ているのだ。
なんだか私の心につっかえていたモヤモヤが、すとーんと消えてなくなった。人命の価値に対する極度の軽視が、世界的に認知されていない。危険が現実に起こる実際の確率を、私たちが無視しがちだということを認め、丁寧に考える時が来た。
Posted by Summer Shimizu
Summer Shimizu
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現代美術家、写真家。オーストラリアだと思い込んだ学校が合格後にニュージーランドだと判明。そのまま1997年ニュージーランド移住。英語試験IELTSに4回失敗。5回目で大学入学を掴み取る。2003年Massey大学情報サイエンス学部コンピューターサイエンス&情報システム学科をダブル専攻卒業。ITサポートとして大学やアパレル会社アイスブレーカー本社で世界支社を支える。退職し写真学校で写真基礎を学ぶ。国最高峰のアートスクールに2016年入学、オークランド大学芸術学士号卒業。2019年同大学院芸術修士号をFirst Classで卒業。広告写真撮影のアシスタント業をしながら現代美術家として個展やグループ展を開催。現代彫刻、異文化交流や社会性、帰属意識を概念とした作品が多い。