PANORAMA STORIES
パリの街灯と点灯夫の物語 Posted on 2022/12/20 ルイヤール 聖子 ライター パリ
現在、パリの日の出は8時45分、日の入りは16時50分と、暗くて長い夜が続いています。
そのせいでしょうか、夏には気にならなかった街灯の光が、最近ではより一層美しく感じられるようになりました。
パリはよく「光の街」と表現されますが、これはシャンゼリゼ通りのイルミネーションではなく、街灯を起源としています。
そして電気のない時代から街灯の歴史は始まっていて、古くは蝋燭を一個一個、パリの街に灯していたとのことです。
蝋燭を一つずつ灯すのは大変な作業だったと想像します。
しかしこれを命じたのは、「太陽王」の呼び名で有名なあのルイ14世。
合言葉を「明朗・明快・安全」とし、パリの街角に1000個近い灯籠が設置されました(1667年)。
その目的はやはり「防犯」が一番で、特にブルジョワジーの家の玄関口に灯すことが推奨されたといいます。
※オルセー美術館脇の街灯。雨よけのデザインも素敵です
時は流れ、1744年になると、今度はオイルランプが登場します。
これはブルジョワ・ド・シャトーブランというフランスの技術者によって発案されました。
さて、いったい誰がそれほど多くの明かりを灯したのでしょうか。
個人のお宅は個人が灯せば良いのですが、公共の場は誰がやるの?という話になってしまいます。
※由緒あるホテルの前は、ゴールドのデザイン
そこで登場したのが、「点灯夫」という職業です。
もちろん、点灯夫はルイ14世の時代から存在していて、オイルランプが全盛期を迎えるとその数は3500人〜5000人に増えました。
彼らはなんと、一つ一つの街灯に手作業で火を灯していたのです。
点灯夫の一日は「明かりを消すこと」から始まります。
起床時間は季節によってまちまちですが、平均して6時くらいから一斉に仕事がスタートします。
ただ冬は彼らにとって厳しい季節でありました。
というのは、明かりをつけるのも消すのも、「すべて40分以内に行わなければならない」という決まりがあったためです。
※コンコルド広場の街灯。パリでも一、二を争う素晴らしい装飾です
寒さでかじかむ手。
点灯夫たちはその手を吐息で温めながら、ガラスのケースをパカっと開け、たいまつで丁寧に火を灯していきました。
では日中は何をしていたかというと、主に街灯の清掃作業であったといいます。
しかしながら収入は低く、仕方なく靴磨きなどをして兼業生活をする点灯夫も少なくありませんでした。
こうして彼らの活躍により、パリの街は光で溢れるようになります。
昔は薄暗くて治安の悪いパリでしたが、点灯夫たちのおかげで犯罪件数もぐっと減りました。
※パリのメトロには球体の街灯が使用されています。柱部分は深緑色で鋳鉄製
1829年にはオイルランプからガス灯に変わります。
デザインも17世紀のランタンのイメージを残しつつ、よりシンプルに、ロマンチックに。
今あるパリの街灯は、この時期のものがそのまま使われている所が多いとのことです。
その後に電気が発明されると、点灯夫はパリから完全に姿を消してしまいます。
炭鉱夫のように、時代の変化で消滅した職業の一つですね。
※メトロには人の心を和らげるため、丸い形が採用されたそうです
現在、パリの街灯にはさまざまな形が存在します。
正方形、球形、円錐形、可愛らしい帽子付きなど、街灯はそのユニークな特徴を保ちながら、パリの風景に溶け込むように佇んでいます。
※よく見ると、街灯に扮した防犯カメラがパリのあちこちにあります
冬至が近づき、街灯の点灯時間は今、一年でも一番早い17時15分となっています。
これはエッフェル塔の点灯時間とほぼ同じで、パリの街が柔らかな光に包まれる素敵な瞬間です。
夜更けももちろん綺麗ですが、街灯の光が夕焼けと馴染むとき。
その光景は他の季節よりも飛びぬけて美しい気がしています。
Posted by ルイヤール 聖子
ルイヤール 聖子
▷記事一覧2018年渡仏。パリのディープな情報を発信。
猫と香りとアルザスの白ワインが好き。