PANORAMA STORIES
中国式の小さなおすそわけ Posted on 2023/07/10 岸 志帆莉 文筆業、大学研究員 中国・江蘇省
中国に暮らしはじめてから感じていることがある。
それは人との距離がなんだか近い、ということ。
でも窮屈とか面倒という感じはなくて、絶妙なバランスが保たれていると感じる。
中国に到着した日の夜、我が家を訪ねてくれた人がいた。
中国での部屋探しを手伝ってくれた張さんという女性。
ふだんは地元の語学学校で日本語と中国語を教えている。
中国では入国から24時間以内に居所を届け出る必要があり、その手伝いにきてくださった。
ノックが聞こえてドアを開けると、両手に大きな買い物袋をさげた張さんが立っていた。
さっぱりとした雰囲気のショートカットの女性。
買い物袋をでんと玄関に置くと、ご挨拶もそこそこに駐車場のほうへまた戻って行かれた。
しばらくすると、なんと今度は箱いっぱいの果物と中華鍋を抱えてこられた。
パンパンに膨らんだ買い物袋のなかには、野菜、肉、卵、米、調味料、パンに冷凍餃子……。
「食べてください」と言うと、張さんはさっそうと書類の手続きに取りかかった。
なんとお礼を言えばいいかわからず戸惑っている間にも、張さんは手続きを進めながら、子どもたちの頭をわしゃわしゃと撫でたりハグしてくれたりしていた。
空港から自宅までの道中、中国の川や建物やいろんなものの大きさにひたすら圧倒され続けたけれど、張さんの親切の大きさは極めつけだった。
到着初日から食材でいっぱいになった我が家の冷蔵庫をみて、温かい気持ちになった。
その後も張さんには何度か贈り物をいただいた。
清明節という中国の祝日には青団という草餅を送ってくださったり、母の日にはケーキとカーネーションを送ってくださったり。
その送り方が独特で、張さんがネットスーパーで注文してくださったものをドライバーが我が家に直接届けてくれるというスタイル。
そこまで高価な品物ではないからお返しをあせる必要もないし、あまり気を遣わなくてすむ。
絶妙な心遣いだと感じる。
※青団(チントゥアン)。中国では清明節の時期によく食べられる
中国では親しくなった相手に気軽に贈り物をする文化があるらしいということが段々わかってきた。
毎朝子どもの登園時に道端で会う陳さんにもこのあいだお菓子をいただいた。
やはりネットで買ったもののおすそわけで、飲食店の土産袋に無造作に包んで渡してくださった。
夫も仕事関係の方からよくお菓子やライチをいただいてくるし、長男も幼稚園のお友達からよく個包装のちいさなお菓子をもらってくる。
どれも決して特別なものではなく、近くのスーパーで買えるものが中心だけど、飾らない優しさが逆にうれしい。
そういえば一度、道端で木の実を摘んでいる人からその場で摘みたての実をもらったこともあった。
楊梅(ヤンメイ)というヤマモモの一種で、初夏にかけて小さな赤い実をむすぶ。
日本では見かけない果物だけど、中国の私が住む街ではこの時期いたるところになっている。
最初は食べられるのかどうかすら分からず戸惑ったけれど、促されるままに一口食べてみると、甘酸っぱくて素朴な味わいが広がった。
※楊梅(ヤンメイ)の実
楊梅といえば、李白の詩にこんな一節がある。
玉盤楊梅為君設,呉鹽如花皎白雪。
持鹽把酒但飲之,莫學夷齊事高潔。
(「梁園吟」李白より一部抜粋)
玉盤に盛った楊梅は君のために用意したもの
呉の塩は花のように美しく雪のように白い
塩をつまみ酒を手にとりただただ飲もう
伯夷や叔斉のような高潔なまねはしなくていい
(拙訳)
長安を追放されて黄河を下る旅の途中、李白はある人物と出会って酒を酌み交わした。
そのときに振る舞ったのが、塩と地元でとれた楊梅だった。
当時の李白の状況からすれば、なけなしのおもてなしだったのかもしれない。
けれど現代の感覚からすれば決して豪勢なものではない。
その素朴さに、相手と親しくなりたいという純粋な願いが感じられて胸を打たれる。
ちなみにこの「君」とは杜甫だとする説もある。
親しくなりたい誰かに小さなもてなしをするのは、中国では古代からのならわしのようだ。
そんな中国式のおすそわけを、私もいつか実践してみたいと思っている。
Posted by 岸 志帆莉
岸 志帆莉
▷記事一覧東京生まれ。大学卒業後、出版社で働きながら大学院で教育を学ぶ。その後フランスに渡り、デジタル教育をテーマに研究。パリ大学教育工学修士。現在は大学オンライン化などをテーマに取材をしつつ、メディアにエッセイや短歌作品などを寄稿。2023年より中国・江蘇省に拠点を移す。