PANORAMA STORIES
お婆はチーズ熟成士 Posted on 2024/01/03 久田 早苗 チーズ熟成士 パリ
パリ。実に3年半ぶりの滞在を満喫した。周りの景色も変わっていた。
セーヌ川の1kmの堤防は修理のため閉め切っている。あれ~!お店が変わって新しい看板が!建物の壁は新しく塗り替えられてぴかぴか。殺伐と草が生えていた広場は設計がなされてパーク風に変身。だけど、景色は変わっても、美しい太陽の陽射しは変わらない。
らら(愛犬・チワワ11歳・男の子)も懐かしいのか、こっち、こっちとリードを引っ張りよく歩く。見ると、喜んでるんだろう、尾っぽをビュンビュン振ってマリリン・モンロウ風な歩き。
日本でコロナが明けたのは5月8日。マスク義務からも解放されたけれど、日本人はまだ完全に外してはいなかった。私もその一人。そんな閉鎖的で人と会わない、どこへも行かないを守ってきた自分が、規制緩和の6日後、15時間の飛行を経て、パリへやってきた。自由に動きまくっている人々に混ざって、太陽の輝く開けた視界に身を置くと、なんと新鮮で開放的なことか。わくわくしながら毎日を過ごした。
私は耳が不自由だ。右耳は全く聴力ゼロ。左耳はかろうじて手術が間に合って、人口耳。一時は鬱が続いて人生終わりと思ったけれど、そう、チーズ熟成士である私の仕事に言葉はいらなかった!つぶやくだけで、チーズ達は答えてくれる。
ときに、熟成士として自分の力でチーズを美味しくしていると錯覚し、悦に浸ることがあるが、本当は違う。チーズ自体の持っている良さを引き出すのが熟成士の仕事。熟成士の仕事で一番重要なのは「商品選び」なのだ。
素となる乳が品質的に優れて、なおかつ作り手さんが愛情をもって作った美味しいチーズを探すことから私の仕事は始まる。
FROMAGERIE HISADAにもお手伝いを兼ねて訪問。
フレッシュタイプやハードタイプの扱いや手入れはさほど日本と変わらないけれど、フランスと日本で全く異なる扱いをしているのは、シェーヴルチーズ(ヤギのチーズ)。
日本は湿度が高く、まずは外皮を乾かすところから始まる。一方、パリは、湿度がなくチーズが自然に乾いてしまうので、乾かないためのお世話をする。まるっきり正反対。久々にフランスのシェーヴルチーズに触れる楽しさ・・・高揚感。
私はベテラン(?)チーズ熟成士ではあるものの、フランスでは「自分なりの」は許されない。
『カーヴの環境はそれぞれ違う、だからマニュアルは存在しない、あなたのカーヴにはあなたが育てた浮遊菌が存在する、あなたがその中で適切な処理をしなくては』と散々先輩熟成士から言われてきたことだ。今回は、ベテラン、久田恵理先輩のもと、「これは裸でケースに入れて」、「これは紙に包んで」・・・、エチケットを外しながら、反転させてそれぞれカーブに納めていった。
たとえば、パリ店はシェーヴルの種類が半端なくたくさんあるので、途中のお世話も様々。ジオトリカムが生え、その上に青い起毛が付いてくる。なんと美しい姿なのだろう。シェーヴルは常に裸のまま触って、見て、変化を観察できるから楽しい。手にした素材を見て、頭と心の中でプログラムを立てる。このチーズをクリーミーに、これは引き締めてセミドライに。熟成中、チーズ自体が持っている自然菌が生えてきて、私の期待に応えてくれていると感じた時、とてもうれしく、ニヤっと顔がほころぶ。
チーズは動物(牛・ヤギ・羊など)が土地に生えている草を食べて出すお乳からできる。
だから土地の環境も大事だし、天候にも影響される。一番不思議なのは、同じかまで作っても状態は様々・・・作り手の工夫も大事なポイントとなるのだ。
60gから存在するシェーヴルチーズ、小さなチーズにもそれぞれに適した処置を加え愛を込める。それが3日であっても、3ヶ月であっても、確実に美味しさが増すように、愛を注ぐ。
耳が聞こえなくなったアクシデントにも負けず、いま自分がこの作業を続けられていることに感謝している。
Posted by 久田 早苗
久田 早苗
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チーズ熟成士 株式会社 久田 取締役 副社長。1985年、東京立川市にチーズ専門小売店「チーズ王国」1号店を開店。2004年にはパリ16区に「Fromagerie HISADA」、2010年にはパリ1区に熟成チーズの販売とチーズカフェを併設したSalon du Fromage HISADAをオープンする。2008年、日本人で初めてのチーズ熟成士最高位の称号「Maitre Fromager」を受勲。2013年にはフランス共和国農事功労賞シュヴァリエ勲位、2015 年にはフランス共和国農事功労賞オフィシエ勲位を綬章。