PANORAMA STORIES
ロンドンから出かける果物狩りは、心にもおいしい Posted on 2021/08/17 清水 玲奈 ジャーナリスト・翻訳家 ロンドン
この夏のイギリスは、雨で肌寒い日が多い。
農作物の実りも遅れがちだが、今年も各地の農園で果物狩りが行われている。
イギリスの果物狩りは「ピック・ユア・オウン(自分で収穫。略してP Y O)」と呼ばれ、いちご、さくらんぼ、プラム、なし、りんごなどのほか、かぼちゃなどの野菜が収穫できる農園もある。
その場で食べるのではなく量り売りで持ち帰る。
青空の下、果樹園を散歩して自由に果物を摘むのは楽しいし、地元産の新鮮な果物が安く手に入るのも大きな魅力だ。
私たち親子が毎年出かけるのは、ロンドンの西隣バッキンガムシャーにある「ホーム・コテージ・ファーム」。
地下鉄ピカデリー線の終点アクスブリッジ駅から1時間に2本のローカルバスで15分、徒歩10分ほどで行ける。
ただしバス停からの道を歩いている人を他に見かけたことはなく、次々と車に追い越される。
果樹園を経営するおばあさんとおばさんの親子は、私たちを「ロンドンから電車とバスで来る(物好きな)親子」として認識しているようだ。
このほど平年よりも2週間遅れでシーズンが幕開けした。
晴れた日を選んで出かけると、番犬のデイジーが迎えてくれた。
デイジーは私たちのにおいを確認し、少し吠えて主人に来客を知らせた。
おばあさんは出てきて私たちを見ると、空を見上げて手のひらを上にかざし、「今日は雨が降っていないわね。またわざわざ歩いて来たの」と言う。
これはイギリス的表現で、翻訳すれば「すばらしいお天気ね。今年も来てくれてありがとう」という意味になる。
果樹園では、ラズベリーとブラックベリー、プラム4種、なし2種に加えて、りんごはなんと全15種が栽培されている。
今収穫できるのはラズベリーと、イギリス原産プルーンのツアー種。
品種によって旬が違い、プラムは今から10月まで、りんごは8月末から11月まで楽しめる。
ただし「冷夏だし鹿にやられたのでりんごはもっと先になりそう」とのこと。
おばあさんの一家は1975年に荒れ果てていたりんご畑を買って以来、少しずつ果樹を植え替えて整備し、自然と調和した低農薬栽培を貫いてきた。
生物多様性に配慮し、ハリネズミがすみかにできる生垣を設け、野生動物を排除する柵は設けていない。
2年前まではヘーゼルナッツ狩りもしていたが、リスにやられてばかりなのであきらめてリスのための木にしてしまったらしい。
小鳥たちがさえずり、動物が自由に行き交う農園を維持するのは並大抵のことではないが、その努力のおかげで、人間にとっても安全な環境と安全な果物が手に入る。
果樹園でとりわけ重視しているのが、授粉をするミツバチだ。
近年減少しているミツバチは、健全な環境の指標とされている。
小屋の壁には「ミツバチが滅びれば、人類滅亡の日も遠くないとアインシュタインは考えていた」「私たちの食料の3分の1は授粉が必要で、その多くを担うのがミツバチである」といった張り紙がしてある。
一度は、おばあさん自らが白い防護服を着てハチミツをとるところの写真を見せてもらった。
そのハチミツは、自家製リンゴジュースやプラムジャムとともに受付で販売している。
私はいつも、包装ゴミを出さずゼロウエイストを実現するために大きなランチボックスを持参する。
その重さを量ってから(後で会計のときに引いてくれる)、上空を飛び交うトンビののどかな鳴き声を聞きつつ畑に向かう。
運がよければ、放し飼いにされているニワトリや羊に出会える。
薄い緑から赤へと色づくラズベリーの実の中から、熟れた実を選んで摘む。
ミツバチが盛んに白い花を飛び交っていて、そのおかげでおいしいベリーが食べられることが実感できる。
一歳から果物狩りをしていてベリーが大好きな娘は、働き者のミツバチを怖がることもなく「かわいい」と眺める。
次はプラムの木が品種ごとに一列ずつ植えられた畑へ。
今収穫できるのは日本ではプルーンと呼ばれることが多いツァー種で、赤みがかった緑色が紫色になり、黒々としてきた頃が食べ頃だ。
枝についた実のグラデーションを眺めながら、人間も古色を帯びて味わい深くなるように齢を重ねたいものだと、密かに思った。
そんな母の感慨を知る由もない娘は、去年よりも手が届く枝が増えたことがうれしいらしく、次々と実をもいでいる。
受付に戻って会計してもらう。
1キロあたりラズベリーは8.15ポンド、プラムは3.45ポンド。
スーパーより安く、特にラズベリーは半額くらいだ。
家に持ち帰った果物はさっそく夕食のデザートになる。
プルーンは皮の表面が白いブルーム(果粉)で覆われているのが、新鮮さのしるし。
ミツバチと農家の人たちに感謝しながら味わうもぎたての果物は、香りがよく、滋味豊かで格別においしい。
早生種のりんごが熟す頃には、ミツバチが忙しそうに授粉していた遅なりのベリーも食べごろになっているはずだ。
今度は秋晴れの日に、また果樹園に行こう。
Posted by 清水 玲奈
清水 玲奈
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ジャーナリスト・翻訳家。東京大学大学院総合文化研究科修了(表象文化論)。著書に『世界の美しい本屋さん』など。ウェブサイトDOTPLACEで「英国書店探訪」を連載中。ブログ「清水玲奈の英語絵本深読み術」。