PANORAMA STORIES
走っても、歩いても。パークランの人気の秘密 Posted on 2020/02/12 清水 玲奈 ジャーナリスト・翻訳家 ロンドン
ジャーナリストの伊藤詩織さんは、性暴力の被害を実名で訴えた記者会見ののち、日本でひどいバッシングにあい、人権団体の招きでロンドンに滞在した。その体験を、「私のことを誰も知らないロンドンで、無心でジョギングして。再び人間に戻れた!(笑)って瞬間だった」と語っている(「エル・ジャポン」2018年4月号)。
ロンドンの至るところにある広い公園では、走っている人をよく見かける。毎週末、各地の公園ではランナーの集い「パークラン」が開かれている。現在は一般向けの5キロのパークランがイギリス全国の705か所で行われ、登録者は233万人を超える。海外にも広がり、昨年からは日本でも開催されるようになった。イギリスでは2キロのジュニア・パークランも322か所で行われ、4歳から15歳までの子ども32万人あまりが登録している。
ボランティアによる運営で、参加は無料。行きたいときだけ行けて、走っても、歩いてもO Kという自由なイベントだが、タイムを計測してもらえて、ウェブサイト上では順位や自分の過去の記録も見られる。気軽かつ本格的に、ランニングに取り組めるのだ。
私たち親子も日曜日の朝、近所の公園のジュニア・パークランに参加している。多いときで子ども80人くらいとその家族が集まる。ジュニア・パークランの場合、タイムを記録できるのは子どもだけだが、保護者も走ることができる。本格的なシューズできょうだいで競い合う中学生から、おばあちゃんと手を繋いで走る小さな女の子まで、顔ぶれは様々だ。
パークランの創始者は、ジンバブエ生まれのポール・シントン=ヒューウィットさん。2004年、失業と脚のけががきっかけで、好きなペースで仲間と楽しく走る会をやりたいというかねてからの構想を実現させた。地元ロンドン南西部のブッシー公園で、初回に走ったのは13人だった。やがて参加者のパートナーや子どもも参加するようになり、2007年からは他の公園にも派生して、あっというまに広がった。
ポールさんが尊敬する人物はネルソン・マンデラだ。子どもの頃いじめられた体験もあって、より良いコミュニティーを築くためにこの活動を始めた。誰でも参加できる「フリー(無料で自由)」な集いであることにこだわり、私財を投げ打って普及に努めてきた。2014年には「草の根スポーツ参加への貢献」が認められ、大英帝国勲章を受勲した。
現在は生命保険会社がスポンサーについているが、宣伝はごく控えめだ。競走ではないから「レース」とは呼ばず、知的障害者や車椅子での参加も歓迎する。大人ならベビーカーを押して、または犬を連れて走るのもO K。参加者には、他の公園利用者にも道を譲るよう求める。そしてどこのパークランでも、終了後は毎回、近くのカフェにゆるく集う会が設定されている。
その温かい雰囲気のおかげで、娘は走るのが大好きになった。私も、朝の公園で季節の移ろいを感じながらのんびり走るのはとても気分がいい。いつも顔を合わせる家族たちとは自然に挨拶するようになった。今では、週の後半になると、親子で「日曜日は雨が降りませんように」と願う。
初回に19分台だった娘のタイムはじわじわと縮まり、7回目には自己ベスト16分27秒を達成したが、順位は後ろから数えた方が圧倒的に早い。娘は走りながらきょろきょろし、「犬さんも走ってるね」とか「あそこにリスがいる」とかおしゃべりし、ボランティアさんやパトロール中の警官の声援には大声で「サンキュー」と返す。前の子を追い抜いたらと私がそそのかしても、「それは悪いよ」とスピードを落とす。私たちがゴールへの直線に差しかかる頃、とっくに走り終えて帰路に着く親子たちはすれ違いながら応援してくれる。
途中で疲れて歩く子がいる中で、娘はゆっくりでも最後まで走るのがえらい、と私は思っていた。ところが10回目にして、途中で走れなくなったことがあった。突然転んで「だっこー」と泣き出したのだ。私が「今日はあきらめて帰ろうか」と言うと、さらに大声で泣き、そして立ち上がって歩き出した。最終走者につきそう係のボランティアさんは、励ましながらつきあってくれた。26分あまりで、とりわけ盛大な拍手に迎えられて娘はゴールした。
そして翌週、娘は最初の目標だった11回完走を達成した。2キロを11回で合計22キロとなり、「ハーフマラソン」と印字されたリストバンドがもらえる。参加者みんなに拍手されて、娘は誇らしげだった。家ではサイトにログインすると印刷できる賞状を、壁に飾った。
本格的なマラソンランナーの作家、村上春樹は、エッセイ集『走ることについて語るときに僕の語ること』で、墓碑に「少なくとも最後まで歩かなかった」と刻んでほしいと書いている。パークランのおかげで、「少なくとも最後まで歩いた」ことも尊いのだと、私たち親子は学んだ。
Posted by 清水 玲奈
清水 玲奈
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ジャーナリスト・翻訳家。東京大学大学院総合文化研究科修了(表象文化論)。著書に『世界の美しい本屋さん』など。ウェブサイトDOTPLACEで「英国書店探訪」を連載中。ブログ「清水玲奈の英語絵本深読み術」。