PANORAMA STORIES

イギリスが大海に漕ぎ出す歴史的瞬間 Posted on 2020/01/31 清水 玲奈 ジャーナリスト・翻訳家 ロンドン

1996 年の夏、私はスーツケースを抱えて、今では日本から撤退したヴァージン航空の片道切符でロンドンに渡った。当時の私はイギリス人の友だちをたくさん作り、ロンドンで仕事を見つけて暮らすことしか考えていなかった。でも、知り合いが一人もいない街で初めてできた友だちは、イタリア人のアレッサンドラだった。B B Cが主催する英語のサマースクールで同じクラスだった彼女とは、今も親友だ。
アレッサンドラも私も、色々な出会いと別れと、数回にわたるE U内での国境を越えた引越しを経て、シングルマザーになった。アレッサンドラは、今では息子と一緒に、故郷のサンタルカンジェロという美しい中部イタリアの街に暮らしている。20年あまり前、二人とも憧れのロンドンで仕事を見つけて暮らし始めた頃の写真を、先日彼女が送ってくれた。あの頃、私たちは英語で話していたのだ、と思った。
 

イギリスが大海に漕ぎ出す歴史的瞬間

中央がアレッサンドラ

 
その後も、私はロンドンで数多くのヨーロッパの人たちと出会い、ユーロスターのおかげで気軽にパリで週末を過ごすたびに、ヨーロッパ大陸はどんどん近い存在になった。そしてついにはパリに移った。さらに、カルチエラタンの語学学校に通って、イタリア語を勉強した。アレッサンドラとも英語ではなくイタリア語で話すようになり、ロンドンやパリ、そしてサンタルカンジェロで会い、とりとめもない話をした。アレッサンドラは今では英語の先生をしているくらい英語が上手だけれど、それでもイタリア語で話すときの方が生き生きしているし、話が弾む。私も、イタリアに住んだことがないし、英語に比べて語彙は限られているはずなのに、なぜかイタリア語だとなんでも素直に話せる気がする。
 

イギリスが大海に漕ぎ出す歴史的瞬間

昨年の12月13日金曜日、総選挙の大勢が判明し、ブレグジットが決定的となった日も、私はイタリア人の友だちと過ごした。娘の幼稚園のときの先生で今では友だちになったアンナが、仕事が休みだからと遊びに来てくれたのだ。「ヨガをやってみたい」という彼女のために、リビングのテーブルをどけて、ヨガマット2枚を敷いて、一緒に座って呼吸をし、「猫のポーズ」や「犬のポーズ」をすると、心が静かになった。それから、床に座ったままコーヒーを飲み、おしゃべりをした。アンナがこの日何を考えていたかはわからないけれど、選挙やブレグジットの話題は出さなかった。そしてふと「どうしてシングルマザーになったの」と聞いてきて、私は手短に事実を説明した。聞き終わると、彼女は自分が5歳の時に両親が離婚し、母親だけに育てられたという身の上話を聞かせてくれた。アンナとの距離がまた縮まった一日だった。
 



イギリスが大海に漕ぎ出す歴史的瞬間

ロンドンで子育てを始めてから、娘のおかげでできたママ友を含め、フランス人やイタリア人、スペイン人、オーストリア人など様々なヨーロッパの人たちに仲良くしてもらっている。みんな、パリに住んでいたこと、ヨーロッパの言葉が二つできることを言うと、親近感を覚えてくれるようで、これは、私がパリ暮らしで得た何よりの財産だと感じるようになった。ブレグジットの後も、彼ら、彼女らは私の大切な友人であり続けるはずだ。
欧州議会でイギリスのE U離脱協定案が可決されると、E U議会では「蛍の光」のもとになったスコットランド民謡「オールド・ラング・サイン」を歌い、議長は「イギリスはこれからもヨーロッパの国です」と言い、別れを惜しんだ。1月31日午後11時、イギリスがE Uを離れる瞬間、イギリス人の多くは「何もしないで過ごす」という。離脱派たちが望んだ「ビッグベンの鐘を鳴らす」というプランは実現しない。
 

イギリスが大海に漕ぎ出す歴史的瞬間

歴史的瞬間は静かに訪れる。それで私が思い出したのは、ダイアナ妃がパリで交通事故死した日だ。1997年8月31日。私はイギリス人の彼と一緒にパリに遊びに行き、前日にユーロスターでロンドンに帰ってきたところだった。彼は朝、キッチンで紅茶を入れながら、いつものようにラジオをつけた。その1分後、部屋の入り口でたちすくんで、「ダイアナ妃が死んだ」とだけ言った。私たちは、別に王室ファンでもないのに、立ったまま抱き合った。そして、一日中、クラシックF Mでありとあらゆる作曲家による葬送行進曲が流れるのを聞きながら、「世の中にはこんなにたくさん葬送行進曲があるんだね」と言い合い、夏の最後の日を過ごした。私たちの関係も明らかに終わりを迎えていて、イギリスの国中が運命を嘆いているみたいだった。彼はその後オーストリアに移住した。一度、同国のブレゲンツで開かれる野外オペラに仕事で行ったときに会って、「元気でやっている」と言っていた。今はどうしているのだろう。
 

イギリスが大海に漕ぎ出す歴史的瞬間

娘の小学校の校長先生も、イタリア人だ。校門脇の黒板に、先生が選んだ標語が書かれているが、今週は「一人一人は一滴のしずくでも、みんなが集まれば大海になる」。大海に漕ぎ出すイギリスへの希望を込めた言葉なのだと私は受け止めた。
 

イギリスが大海に漕ぎ出す歴史的瞬間

 



Posted by 清水 玲奈

清水 玲奈

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Reina Shimizu
ジャーナリスト・翻訳家。東京大学大学院総合文化研究科修了(表象文化論)。著書に『世界の美しい本屋さん』など。ウェブサイトDOTPLACEで「英国書店探訪」を連載中。ブログ「清水玲奈の英語絵本深読み術」。