昨秋、娘が小学校に入ってすぐにできた親友は、１学年上のマドレーヌ。オーストリア人で、亜麻色の髪のおかっぱと茶色の大きな瞳が人形のようだ。二人は出会うと無言で抱き合い、唇にキスをしあう。娘は当初英語を話さなかったので、二人はもっぱら欧州大陸式のフィジカルなコミュニケーションで仲良くなった。
マドレーヌは、お母さんのスザンヌによると「オーストリア式に誰にでもキスしたがるので、嫌がる人にはしちゃダメと言い聞かせている」とのこと。娘は幼稚園でイタリア人の先生に毎日キスされていたせいかやはりキスが大好きで、私に「どうしてイギリス人はキスしないの」と聞く。私自身、パリにいた頃は面倒だったビズー（両頬を交互にくっつけあって、ちゅっとキスの音をさせる挨拶）が懐かしくなるし、ロンドンでもフランス人やイタリア人、それにスペイン帰りのイギリス人の友人とは、ビズーをする。
一度、下校時にマドレーヌを迎えに来たお父さんのマイケルが、熱烈に抱き合う二人を見て途方に暮れていたので、「うちの子も連れて帰っていいですよ」と言ったら、「本気ですか」と真顔で返された。しかし、後日スザンヌから「携帯番号を交換しましょう」と言われ、初の「プレイデート」が実現した。プレイデートとは、親どうしが約束をして、子どもたちを一緒に遊ばせることだ。
 

マドレーヌのフラットに着いて、ドアが開いた途端に娘が靴を脱ぐと、お母さんは「まあ、日本人も靴を脱ぐのね！　私たちの国と同じよ！」と大げさに喜んだ。「イギリス人が来ると、その日の気分で、靴を脱いでってお願いしたり、我慢したりするの」。それは私も同じ、と答える。現地の習慣に関する苦労話は、外国人どうしの絆を強めるものだ。
子どもたちは、おやつのいちごを食べ、リビングの一角で静かに遊び始めた。マドレーヌは、クリスマスにもらった人形の家などのおもちゃを娘に披露した。二人は、子どもだけの世界に入り込んだ。
 

そんな娘たちの背中を眺めつつ、私たち母親はコーヒーを飲み、おしゃべりをした。ウィーン近郊と札幌にそれぞれ里帰りして過ごした冬休みについて、「今年は雪が少なかった」「親子で美容院に行った」というところから始まり、「親戚がおもちゃをくれるので、自分で娘に買い与えるのは本だけ」「『げんきなマドレーヌ』シリーズが好き」などさまざまな共通点が見つかった。
 

復活祭休みのフライトを予約しなくちゃ、というところから、話題はブレグジットに移った。マイケルは、コーヒーを淹れてくれた後もキッチンに籠っていたのだが、それを聞きつけてか会話に参加した。
マイケルはエンジニア、スザンヌは医療研究者で、夫婦は10年前にロンドンに移住した。マイケルは「国民投票以来、居心地が悪くなった。先日の総選挙は最悪だった」と話し出した。以前から暮らしているE U市民の権利は保障されているが、「友達はずいぶん国に帰った」と言う。スザンヌが今の職に就くにはオーストリアだと人脈が必要なので、一家はロンドンを離れられない。スザンヌは「メーガンの話ばっかりで、ブレグジットは話題にもならないけど、一体どうなるのかしら」と語気を荒げた。
私が日本のメディアのために離脱派を取材したことを話すと、スザンヌは「離脱派の人と面と向かって話すなんて、私なら耐えられない」と言う。しかし、私が「実際に会って話してみると、離脱派が離脱したいのは、ヨーロッパではなくて暗い現実だということがわかった」と説明すると、夫婦は頷いた。そしてスザンヌも、「問題は政治と、選挙の仕組み。今回の総選挙でも、実は離脱派の得票率は45%だけだったらしい」と認めた。
 

ふと気づけば、娘と約束しておいた帰りの時間が近づいている。「そろそろ帰るよ」と声をかけると、娘は「アイ・ウォント・モア・プレイ」、マドレーヌは「スリープ・オーバー（お泊まりして）！」とがんばって訴えた。二人はやがて、親たちよりも流暢な英語で、秘密の話などするようになるのだろう。
私が「今度はうちに遊びにきてね、歩いて５分だから」と言うと、スザンヌは突然、雨のち晴れみたいに笑顔になり、「みんな近所に住んでいて、大都会なのに、学校を中心にした村みたいよね」と言った。私が「それに、国籍もさまざまで楽しい」と言うと、スザンヌも「本当に素敵よね」としみじみ答えた。娘たちは熱く抱擁し、別れを惜しんだ。
取材を通して「多国籍でないロンドンがどんな都市かは想像もつかない」と語るドイツ人留学生に出会ったが、私も同感だ。ばりばりの離脱派のおじいさんに会いに行ったら、パブでポーランド人の友達とビールを飲んでいて、意表を突かれた。政治がどうなっても、ロンドンの多文化な日常は変わらないという祈りに似た確信がある。私たちの友達になったオーストリア人家族が、これからもこの街で幸せに暮らせますように。