PANORAMA STORIES
ヒースの花咲く丘に思いをはせ、ロンドンで竹鶴を味わう Posted on 2018/03/19 清水 玲奈 ジャーナリスト・翻訳家 ロンドン
異例の寒波がヨーロッパを襲い、ロンドンにも季節外れの雪が降りました。
三島由紀夫の耽美な名作『春の雪』を思いながら残雪のある近所の公園で出会ったのが、雪にも負けず元気に咲き誇るヒースの花。私は女性の名前を思わせる「エリカ」という別名で呼ぶのが好きです。
エリカが私にとって特別な花になったのは、4年前にスコットランドで目の前いっぱいに広がる野生のエリカに感動して以来のことです。
その年の秋から放映されたNHKの朝ドラ「マッサン」のお手伝いで、私はスコットランドに関するリサーチャーを務めていました。マッサンのモデルとなった竹鶴正孝は、1918年にスコットランドのグラスゴー大学に留学し、現地の醸造所で修業を積み、帰国。日本で初めて本格的なスコッチウイスキー造りに取り組みました。1920年代末、寿屋(現サントリー)の山崎蒸溜所初代所長を務め、やがて北海道の余市にニッカウヰスキーを創業。「日本のウイスキーの父」と呼ばれます。
竹鶴が実習した蒸溜所はスコットランドのハイランドに数軒あり、今も現存するグレンスペイ蒸溜所に滞在していたときは、裏の小高い空き地で休憩しながらエリカの咲く丘を眺めるのを楽しみにしていたそうです。
主人公たちにとってのスコットランドの原風景として、木も生えない荒れ地に這うようにしてエリカが群生する丘を撮影するため、8月の早朝、地所の管理人にランドローバーを出してもらいました。夜明けとともに、清涼な水が流れる川に向かって傾斜する丘の斜面が、濃いピンク色に染まる風景が見えてきます。そして、太陽光に温められた無数の小花から、ハチミツのような香りが漂い始めました。
このエリカをはじめとした原野の野草が炭化して泥炭(ピート)となり、水と麦から造られるウイスキーに奥深いスモーキーな風味をもたらします。
エリカの可憐な花に、私は竹鶴の妻としてたくましく生きたスコットランド人女性、リタの姿をも重ね合わせていました。
リタ自身の生き方は勇敢そのものでした。裕福な医師の娘でしたが、第一次世界大戦で婚約者を亡くし、実家の下宿人だった竹鶴と結ばれて日本に渡り、「本物のスコッチを日本で作る」という夢を一緒に実現しました。夫妻が自分たちのウイスキーを造るために選んだ余市は、リタが「故郷の風景を思わせる」と言った土地。ふたりは今もそこに眠ります。
ウイスキーが大好きな私は、英国人ウイスキー評論家による『世界が認めた日本のウイスキー』を先ごろ翻訳しました。この本ではリタの功績が次のように説明されています。
およそ40年を彼のそばで過ごし、創業を支え、「日本のウイスキーの母」と呼ばれるまでになった。リタを主人公にした連続ドラマが日本で高い視聴率を獲得している。第二次世界大戦中には西洋の事物や人物に対して反感が向けられたことから、苦難に満ちた年月を乗り越えた女性だ。在日の西洋人にとってはつらい時代だったが、リタは夫とともに揺るぎない信念を貫いた。
さて、山道をランドローバーに揺られ、スコットランドで蒸溜所めぐりをしたころの私は、周りには内緒にしていましたが実は妊娠中。試飲ができないのは残念でしたが、銅製のポットスチルのまわりに漂うモルツの甘い香りや、樽の並ぶ薄暗い倉庫で空気中に揮発したウイスキー(「天使の分け前」と呼ばれます)を鼻で堪能しました。
とくに仕込み中の蒸溜所内の温かく濃厚な香気は心地よく、滋養たっぷりに感じられました。かつて、パリで取材した調香師の女性が「妊娠中は鼻が敏感になるので一生妊娠しつづけていたかった」と語ったのを思い出したものです。
その後無事に生まれた娘には、エリカのように、そしてリタのように強く美しい女性になってほしいと思います。そして酒飲みになったとしたら、それもハイランドでの「胎教」のおかげかもしれません。
いまや世界的な人気で希少になった「竹鶴12年」の手持ちのボトルから一杯を注ぎ、娘と飲み交わす日を待ち焦がれつつ、ひとり乾杯する春の宵でした。
Posted by 清水 玲奈
清水 玲奈
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ジャーナリスト・翻訳家。東京大学大学院総合文化研究科修了(表象文化論)。著書に『世界の美しい本屋さん』など。ウェブサイトDOTPLACEで「英国書店探訪」を連載中。ブログ「清水玲奈の英語絵本深読み術」。