PANORAMA STORIES

大家さんと私のフレンチ寺子屋 Posted on 2020/12/16 バヤッド 玲子 ストリートダンサー、フィットネインストラクター パリ郊外

ゆるゆるセカンドフレンチロックダウンで始まった11月が過ぎ、12月になった。もみの木が店頭に並びイルミネーションも光るが、手放しにホリデーシーズ ンを祝うのは控えている雰囲気が漂う。白に灰色が混じった空が広がる日も多くなり、うちの小さな庭に太陽光が注ぐ時間は少なくなった。

隣に住む大家のマダムが言った。
「洗濯乾燥機が地下の物置にあるから、いつでも使っていいわよ」
この季節、かなり助かる。

乾燥機を借りた翌日、娘がおねしょをした。連日借りるのは気が引けるので、シーツを寝室に干していると、マダムがやってきた。
「ダメよ、そんな所に干してたらみっともない。すぐに乾燥機を使って!」

大家さんと私のフレンチ寺子屋

私達家族は2年3ヶ月前に東京からパリ郊外へ引っ越した。
義実家に居候させてもらい家を探し始めたが、これが実に大変だった。仏人旦那は10年東京で生活していた為、フランスの税証明がない。
アニメーターという芸術系の職業で、作品単位で仕事をしている。保守的なフランス、収入の高低よりも正社員である事に信用の重きをおく。
そして、私は外国人。家探しするのには完全に不利な我ら。

あっという間に渡仏から1年経ち、その後仕事の関係で半年間の上海駐在を終えて、パリ郊外へ戻り2020年を迎えた。家探しを再開し右往左往していると、ロックダウン開始。
嗚呼、もうダメだ、、、家は見つからないし、外出禁止だし、もう日本に帰りたい。

そんな鬱々としていたある日、1通のメールが届いた。
「近日中に内見に来れますか?」



PAP(particulier a particulier)という、家主と個人的にやり取り出来るサイトで見つけた物件の大家さんからだった。二つ返事で伺うと、80歳代の元気な老夫婦が迎えてくれた。
ロックダウンによりパリジャン達が内見に来られず、同じ街に住む私達に白羽の矢が立ったのだ。当時はまだ慣れていないマスクと除菌ジェルを使用し、庭で面接。その場で貸借契約が成立した。
門は共用、大きな一軒家の手前が私達の家で、奥が大家さんの家。もちろん玄関は別々です。
小さな庭があり、天窓のついた明るい家。立地も条件も最高! やっとやっと見つかった我が家。

大家さんと私のフレンチ寺子屋

夏のある日、マダムがやってきて私に言った。
「ところで、あなた日中も家にいるけど働いてるの? 日本にいた時は何をしていたの? とりあえず、CV(履歴書)見せて」
なかなか返事が返せなかった。拙いフランス語のせいじゃない。自分が何者かをちゃんと伝えられない。


「まだ40代、喋れないからって留ってるなんてもったいない。やりたい事をやりなさい。フランス語の勉強ももっとやって」

お節介マダム。でも久々にパーンと脳みそと心をはたかれたような、痛快な喝。

大家さんと私のフレンチ寺子屋

家主のムッシューが、大きな木に孫が使っていたブランコを付けてくれた。娘のリラのために。その日からリラは毎日ブランコをしに大家さんの庭へ。リラはマダムとカードゲームをしたり、彼らの孫と遊び、旦那は孫に絵を教え、私は彼らが気に入ったきゅうりの塩昆布和えを作る度にお裾分け。ある日は彼らの孫のジュルとマーゴを私が預かり、リラの友達の誕生日会に連れて行った。
また別の日には私達夫婦がパリへ夜遊びにいくので、リラは大家さんの家にお泊まりした。

大家さんと私のフレンチ寺子屋

大家さんと私のフレンチ寺子屋



2度目のロックダウンを機に、私はマダムからフランス語を習い始めた。とにかく会話する力を身につけたい。
マダムも私の仏語上達を助けたい。教科書はない。私が日本のことや今感じていることをフランス語でノートに 書く。それをもとに会話して、文法や語彙の説明、発音の矯正をしてもらう。
フランス語の言い回しや発音は、例外が結構多い。 なぜ? と聞くと、「この方がエレガントだから」とマダムは答える。
1回2時間弱、週に3、4回。けっこうエネルギーを使う。 日常の習慣や文化の違いを話すのは、マダムも楽しいと言う。

大家さんと私のフレンチ寺子屋

渡仏前の荷物整理で見つけた、私が小学3年生時の文集に父親からの感想が記してあった。何となく心に残り、切り取って手帳にはさんでフランスまで持ってきた。

「生きていくためには強い心がないといけませんが、優しい心がないと人間として生きたことになりませんよ」

フランスで暮らし始め、家探しで苦慮し、役所や日常生活での面倒さ、言語習得の困難さに直面した。得たいモノ、欲しい答えは、今までの自分の慣習を打ち破って粘り強く求める心の強さが必要。でも同時に、ビズやハグの挨拶に証されるように体温を感じる交流もたくさん経験した。
体裁でなく、私の心がこうしたいからあなたを助けたい、お節介したい、優しくしたい。

東京で暮らしていた頃はあまり気にも留めてなかった「生きる」ということ。30年前にもらった父からのメッセージをまさかフランスで学ぶことになるとは。
マダムとのフレンチ寺子屋は続く。

大家さんと私のフレンチ寺子屋

地球カレッジ
自分流×帝京大学



Posted by バヤッド 玲子

バヤッド 玲子

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ストリートダンサー、フィットネインストラクター
東京での会社員とストリートダンサー二足のわらじ生活を経て、2018年に家族でフランスへ移住。
日常の出来事から新鮮な気付きを綴っている。