PANORAMA STORIES
q.b.レシピのないレシピ帳~ホワイトミートソース~ Posted on 2024/12/06 八重樫 圭輔 シェフ イタリア・イスキア
旅は足腰が丈夫なうちに行っておいたほうが良いと言いますが、健康な時はなかなか実感がわかないものです。けれど最近になって思うのは、子供との旅行は出来るだけしておいた方が良いということ。家族旅行というのはいつまでも記憶に残ります。例えその時は幼くてよく覚えていなくても、写真を見たりエピソードなどを聞かされると、淡い思い出が浮かんできたり。そしていざ自分が親になってみると、子供と遠出ができる年数というのは意外と短いことに気づかされます。
我が家も毎年とまでは行きませんが、何とか都合を合わせて家族旅行をしてきました。中でも10年以上前に行ったトスカーナ旅行は本当に素晴らしい思い出として、今でも話に上ります。子供たちはまだ幼く、僕は仕事がしんどい時期で、経済的にも余裕はありませんでした。けれども思い切って9泊10日の大旅行を決行したのは今考えても英断だったと思います。フィレンツェ6泊、サンジミニャーノ3泊を友人宅や貸しアパートで過ごしましたが、中でもサンジミニャーノでの3日間は夢のような時間でした。
世界遺産にも登録されているサンジミニャーノは交通の要所として栄え、富や権力の象徴として高い塔がいくつも建てられた“塔の街“として有名です。中世には72本を数えたという塔のうち14本が現存しています。昔フィレンツェに住んでいた頃から僕のお気に入りだったこの町は、フィレンツェからの日帰りでも十分に観光できる規模と距離。そこを1泊と言わず3泊にしたのは心から堪能したかったからでした。
アパートは美しくて眺めがよく、大家さんは親切でとても快適に過ごしました。食事は自炊を中心に何度か外食もし、広場で追いかけっこをしたり公園で遊んだり、1番高い塔に上ったり、美術館に行ったり。まるでおとぎ話のような世界で、まさに心の洗濯ができたように思います。
そしてフィレンツェでの日々も素晴らしく、色褪せない思い出に彩られた旅となりました。その後も何度かささやかな家族旅行をすることができましたが、やがてコロナ禍でロックダウンが始まり、子供たちは成長し、なかなかスケジュールも合わなくなってきました。本当に時間が経つのはあっという間です。遠くない未来に、やがて巣立ってゆく子供たち。それまではたとえ一泊でも近場でも、可能な時には何処かへみんなで行きたいと思うのです。
さてトスカーナ州にも沢山の郷土料理があり、旅行中に何度も舌鼓を打ちました。今回はその中から、どこか懐かしさを感じさせるホワイトミートソースのパスタをご紹介したいと思います。
ホワイトミートソースのパスタ
材料
〇鶏挽肉 250ℊ 〇仔牛挽肉(又は豚肉か牛肉)250ℊ
〇人参 70ℊ 〇玉ねぎ 70ℊ 〇セロリ 50ℊ
〇白ワイン 100㎖ 〇オリーブオイル 50㎖ 〇ブイヨンスープ 450㎖
〇ハーブ(ローズマリー、ローリエ、セージ)q.b.(適量)〇塩胡椒 q.b.
〇小麦粉 大匙1 〇パルミジャーノチーズ q.b.
〇ニンニク 一片 〇バター 一片
〇タリアテッレなどのお好みのパスタ 1人前あたり90ℊ(今回のソースの分量だと5~6人分くらい作れます)
※ブイヨンスープはなかなか常備していないと思うので、少量の固形コンソメを分量のお湯(450㎖)に溶いたものでもよいです。又はただのお湯でも構いません。
※肉の配分はお好みですが、鶏肉が入るとあっさりして個人的には好きです
作り方
①深めのフライパン又は鍋にオイルを引き、ニンニクをきつね色になるまで炒めて取り出します。微塵切りにした野菜を加え、弱火でしんなりするまで炒めます。
②中火にして挽肉、ハーブ類を加えて数分炒めます。肉に火が通ったら小麦粉を全体に振りかけて混ぜ、白ワインを加えて強火でアルコール分を飛ばします。
③ブイヨンを加えて蓋をし、弱火で時々混ぜながら約40分ほど煮込み、塩胡椒で味を調えます。あえて言うなら、そぼろ餡かけのような濃度でしょうか。出来上がったら火を止めてハーブ類を取り出し、バターを加えます。
④パスタを茹であげて、ソースと合えます(最後に上にかける分は別にしておきます)。必要であればゆで汁を適度に足し、パルミジャーノチーズを加えてトロっと仕上げましょう。
トスカーナでは主にビステッカで有名なキアナ牛をメインに、鶏肉やサルシッチャ、豚肉などを混ぜることが多いです。この原型となるソースはイタリア料理にトマトが登場する前から記録にあるようです。やさしい風味のこのソース、寒い今の時期にもピッタリですのでぜひお試しください。それではまた次回、普段着の食卓でお会いしましょう。
Posted by 八重樫 圭輔
八重樫 圭輔
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シェフ。函館市生まれ。大学在学中に料理人になることを決め、2000年に渡伊。現在は家族とともにイスキア島に在住。