PANORAMA STORIES
夏休み特別エッセイ「ヒトナリ少年の思い出・家族旅行編」 Posted on 2022/07/17 辻 仁成 作家 パリ
辻家に車がやってきたのは秋の行楽シーズンのことであった。三菱のコルト1000という当時もっともポピュラーな車であった。排気量が1000CCなので、コルト1000と呼ばれていた。当時の車の排気量は今ほど大きくはなかった。ゆっくり走ろう日本という感じであった。
藤田君の家にはスバル360があった。これはつまり360CCの排気量である。てんとう虫の形をしていて、とにかく可愛らしい車であった。フォルクスワーゲンのビートルをコピーしていたが、それよりも一回りも二回りも小型であった。時々今も見かけるが、とにかく良くできた車だという印象がある。
辻家と藤田家はよく二台つるんで家族旅行に出掛けた。
お互い四人家族だったので、計八人でのドライブとあいなった。山の中のホテルへ泊まりに行ったことがあった。狭い道を二台の車は進んだ。まだ舗装道路が少なく、ほとんどが砂利道であった。道で他の車とすれ違う時は一大事だった。全員が窓から顔を出して、車輪が道から落ちないか注意しなければならなかった。
僕の父さんは家の中でいつも不機嫌な顔をしている人だった。でも外面というのはとても良かった。外で人とあっている時の笑顔は家の中にはなかった。外で人と話している時の低姿勢は家の中ではなかった。藤田君のお父さんはいつもにこにこしていて紳士だった。きっと家の中でも同じ顔なんだろうな、と思った。なんで僕らの父さんは家であんなにぶすっとしているのだろう、といつも考えていた。
会社で嫌なことでもあるのだろうか。
父さんが笑った顔をあまりみたことがなかった。だから僕も弟も母さんもいつだって父さんの顔色をうかがって生きていた。無趣味でめちゃくちゃワーカホリックな人だった。そして気が短かった。
この短さは僕にも遺伝しているが、父さんはかなりの短さである。
例えば、家族で旅行に出掛ける。何時間もかかって目的地へ着く。車から家族が下りる。背伸びをする。ちょっと景色を見る。海が見えた。ああ、海だと思っていると、クラクションが鳴る。父さんは既に車に戻っていて、窓から顔を出し、よし、出発だ、と叫んでいる。短すぎる。
さらに車は次なる目的地へと走り出す。何時間もかかって次の観光名所へと着く。母さんが下りる。僕と弟が下りる。父さんも下りた。みんなで背伸びをする。すると父さんは、行こうか、と言う。これじゃあ、なんのための旅行か分からない。
「でもまだ何も見とらんよ」
と僕が言おうものなら、頭をごつん、とやられる。一度、楽しいね、と嘘をついたことがあった。すると父さんは僕の笑顔を見て、俺とお前は友達じゃない、友達みたいな口は利くな、親をなんだと思っているんだ、と怒った。藤田君のお父さんやヨー君のお父さんはかなり進歩的な父親に見えた。僕の父さんだけがばりばりの九州男児で、理屈が通らなかった。
実家は有明海に面した筑後川の下流だった。父親の実家は諸富というところで、その県境にある隣街が母親の実家大野島であった。大野島の実家にはよく車で里帰りをした。土曜日に行って向こうで宴会をし、日曜の夕方福岡に帰るのが大体のお決まりコースであった。
父さんは外面がとてもいいので、母さんのお兄さんたちの前では丁重であった。普段は威厳の塊なので、ペコペコしている姿は息子としてはあまり気に入らなかった。
でも、友達みたいな口調で忠告をすると殴られるので、何も言わなかった。
ある時、帰り支度をしていると、父さんが、車のエンジンを掛けておくから、と言って先に出た。僕と弟は親戚の人がくれたお土産を荷造りしていた。クラクションが鳴ったので、急ごう、ということになり、外に出てみると、車はもう無かった。
荷物を持って三人で道端で立ち尽くした。弟が、
「父さんは?」
と母さんにきいた。母さんは、辺りを見回し、
「おらんね」
と言った。車はすでに無かった。クラクションが鳴ったのは僅かにそれより二、三分前のことであった。父さんは待ちきれずに僕等を置いて先に福岡に帰ってしまったのであった。あまりに気が短すぎる。と子供なからに思った。
呆れた母さんは、もう我慢できない、離婚してやる、と呟いていた。結局僕たち三人は電車を乗り継ぎ何時間もかかって福岡まで帰ることになるのだった。
藤田さんの一家と泊まったホテルは洋風のビラのような佇まいをしていて、庭にプールがあった。僕は泳げなかった。父さんは泳げない僕をプールに放り投げた。
「男だろ。泳げんなんて情けんなか」
僕はそれでも泳げなくて、母さんが投げ入れた浮輪につかまって泳がなければならなかった。父さんは水泳が得意で、一人ですいすいと泳いでいた。藤田君のお父さんが藤田君とミカちゃんと仲良く友達のように遊んでいるのが羨ましくて仕方がなかった。僕は浮輪につかまりながら、幸せを探そう、と心に誓った。
それでも家族というものは面白い。外に対して幸せの素振りをしてみせるのだ。僕等辻家はみんな外面が良かった。だから外目には仲良しの家族に見えていたかもしれない。みんなが我慢していた。何に対して我慢していたのか分からない。それに何が楽しくて家族旅行をしているのかも分からなかった。ただ、幸せというものの手順を踏んでいるに過ぎなかった。みんながしている近代的な家族のあり方をなぞっているだけのようなところがちょっとだけ悲しかった。まあ、そういう時代だったのだと思う。
コルト1000は時代のニーズに応えたよく出未だ軽快な車だった。でも僕はずっとずっと小型で可愛らしいスバル360に憧れていた。
Posted by 辻 仁成
辻 仁成
▷記事一覧Hitonari Tsuji
作家。パリ在住。1989年に「ピアニシモ」ですばる文学賞を受賞、1997年には「海峡の光」で芥川賞を受賞。1999年に「白仏」でフランスの代表的な文学賞「フェミナ賞・外国小説賞」を日本人として唯一受賞。ミュージシャン、映画監督、演出家など文学以外の分野にも幅広く活動。Design Stories主宰。