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速報! フランス大統領選を振り返って! Posted on 2017/05/08 富永典子 経済関係 パリ
戸惑い(仏人曰く)の多かった大統領選挙が終ろうとしております。
2017年5月7日。第2回投票結果の開票が進む中、20時時点の速報が発表されました。今後5年にわたり国家を統治する第8代第5共和制下フランス大統領の名が発表されました。エマニュエル・マクロン氏が勝利65,1%の得票率をもって確定しました。対するマリーヌ・ルペン氏は34,9%です。
全体投票参加率は60%という、第2回目の投票としてはかなり低い数字を出しているようです。過去の第2回目の投票では、有権者の「何々の傾向をふさがねば」、或いはどうしても「誰々を支持し」という強い動きが無かった証拠といっております。
1848年の第2共和政におけるナポレオン3世の40歳大統領就任を更新する新しい記録となります。フランス史上最年少の大統領の誕生です。
今フランス国民の心情は如何に。歴史上いくつかの「初」を経験した今回の大統領選挙。ジャーナリスト、エコノミスト、外交評論家、金融アナリスト、などなど。予測や分析を生業(なりわい)としておいでの方々に、正式な記事はお任せするとし、ここでは、フランスに住む一外国人(日本人)として、そして日々同国の人々に囲まれながら仕事をし、生活をしている一個人としての思いを綴ることにします。
歴代の選挙と頃なる様相を呈していた選挙。
思えば過去2回の大統領選挙では、決戦投票(第2回目の投票)で対決する2人の討論を聞くのが重要事となっておりました。TVの前に陣取り画面に食い入る。ある友人夫妻宅でワインを片手に、画面に向かって討論に「自己参加」している仏人である夫らの声を聞きながら、成り行きを見守りながら、半ば楽しみとしていた、我が家の行事でした。2007年は初の女性大統領が誕生するか否かのサルコジ氏-ロワイヤル氏バトル。2012年は、2期目を狙うサルコジ氏、対する左派のオランド氏バトル。そして両対決とも50年以上にわたりフランス国家を統治していた2大政党である中道保守と左派の社会党の対決でもありました。
ところが、今年は様子が一変しておりました。第1回投票において、その2大政党は見事に砕け散ってしまったのです。多くの人々が拠り所にしていた2大政策が否定され、新たなパラダイムへの転換期に入ったと言えるでしょう。ここが重要です。
2回の投票の間の2週間に、敗れた候補者らは、2大候補者のうちどちらを支持すべきか見極めねばならなくなりました。それが、はたまた至難の業だったのです。
決戦投票に立つ2人。オランド政権下で2014年8月から2016年8月まで経済・産業・ディジタル大臣を務めたものの、最後は社会党と袂を分かち、独り立ちした若きマクロン氏。過去にも決選投票に残ったFN(国民戦線)のルペン氏。どちらに国の将来を託すか。「極右を回避するためマクロン氏支持を表明する」か、或いは「極右拒否を表明する」か。なんとも「どこが違うの?」という消極的な選択を強いられていた期間でした。
有権者にとっても、消去法で残った2人という感は否めず、ジレンマと鬱憤を抱えて第2回投票場に向かった人々も多かったのは事実。第1回投票でフィヨン氏の敗北と共に政界の双山の一方を成していた中道右派は消え、一方史上最低の支持率を更新し続けていた現政権の社会党擁立候補は振るわず。既存の選択肢には存在しなかった要素がある今回の投票では、戸惑い「???」が国中から溢れだしました。そして、明言すると昨年世界を旋風した米国での「サプライズ」の二の舞になりはしないかという誰もが抱いた懸念・・・。
それにしても、なんとお粗末な(失礼!)な決戦討論会。
今となっては遠い過去のものになりましたが、4日前のTV2大対決討論会の翌日の職場での会話。このときほど一度に多くの否定的表現の形容詞を覚えた日はありませんでした。なるほど、なるほどとノートの片隅にメモしていた筆者を見て、同僚らは、今のは口語表現だから、これを使うべし、と新たに格式高い形容詞を加えてくれたものでした。
生放送は筆者自身仕事の予定で生憎逃したものの、そのあとから映像を見ると、なるほど、なるほど、あの形容詞の意味が、画面を通して迫ってきたのです。
しょっぱなから、相手を攻撃するルペン氏の横柄な態度と中傷で始まっており、終始それは変わらず。その様子にショックを受けた人は少なくなかったでしょう。大統領選挙直前のハイ・レベルな政策を巡る討論を誰もが期待していたからです。マクロン氏は1枚の紙も机上には置かず、すべてが頭に入っている。一方ルペン氏はいくつもの書類の束を置き、時折アンチョコを見ている。しかもある経済政策を巡り、彼女はアンチョコ・ペーパーを間違えてしまったのでした。ナント悲惨な。注目するEUを巡る部分では、それまでの勢いはどこへ消えたか、声のトーンが明らかに一段下がり「ヨーロッパ問題は再交渉する」と、それまで前面に押し出していたユーロ離脱には一切触れず。いくらルペン氏とは言え、非現実性が見えてきたのでしょう。ユーロ圏に属したことのない英国が決定したBREXITと、欧州の2大輪の一方を成すフランスの立場とでは、比較の対象にはなり得なかったわけです。
とまあ、このような映像を目の前にした有権者の思いは如何に。今回の投票結果は火を見るよりも明らか、というより他ありません。先ほどのフィヨン氏ですが、今回彼が競争から落脱したことには最後まで惜しまれる声が聞かれ、投票結果を待つぎりぎりまで、「マクロン・フィヨン対決により政策を巡る討論が成されなかったことは残念である」との声が多く聞かれました。
とはいえ、前述したごとく、誰もが昨年続いたサプライズの二の舞を恐れて、はっきりとは明言できなかったことは事実でもあります。さらには、今回の結果については、多くの人の頭の中では予想はされていた。だからこそ、興味をなくしたという人も多かったのです。ただ、誰にとっても注目すべきは、政権に就くことは無くとも、明らかに増え続けるルペン氏の得票率でした。欧州主要国全体を見回し、増え続ける極右思想。フランスもご多聞に洩れず今回の選挙を通じて国民自らが明言したことになります。
ところで、フランス大統領選で、2回投票が行われるようになったのは、1965年のドゴール大統領の再選選挙のとき。同時にこの選挙が初めての直接普通選挙でした。またTVを通じて2大対決討論会が初めて行われたのは、1974年のジスカール・デスタンとフランソワ・ミッテラン候補の討論です。もちろん、約半世紀前のTV討論と、スマホを通じてメトロの中でも見れてしまう現在のTV討論会の配信技術とでは、比較の対象にはなりませんが、その時代時代の、最新の技術が駆使され闘いの様子が目の当たりに繰り広げられるということに、フランス国民の政治への関心の高さと熱き思いを実感することが出来ます。
フランス国民による直接意思表明によって、尊い決断が下され、今後の5年間を統治する大統領が選出されました。
彗星のごとく3年前にフランス国民の前に姿を現した若きマクロン氏。当時36歳。財務・経済閣僚として、明晰なる頭脳と敏腕さは誰もが覚えております。そのマクロン氏を、ナポレオン3世にたとえていた記事を目にしました。彼が世に出たとき40歳。マクロン氏も半年後に40歳、と比較しながら。180年前の40歳と今の40歳は比較の対象にはならないと思うのですが、現在の姿の元を作ったナポレオン3世。2人を比較する意味は次までに詳細を調べておくことにいたします。
これまでは、EN MARCHEの党首として候補者であった人物、フランス全国民の大統領になったマクロン氏は、「本日をもってスタート地点にたった」と新大統領として宣言されるのでしょう。ここ数ヶ月繰り広げられた戦いは一挙に過去のものと化し、高々と聳え立つ巨大な課題の山の頂上を目指すことになります。そのための登竜門は、6月の議会選挙。それは、ある意味で大統領選挙より、険しい断崖と絶壁が待っていると聞きます。しかも今回の投票率が最低の数字を出しているとしたら、なおさらです。
フランス国民が、よりよき統治を目指しエマニュエル・マクロンを選んだ。より良き政治、経済政策、安全保障、そしてより良き外交政策を繰り広げるための、自己の掲げる政策を実行に移すには、議会多数票が必要です。そのための地盤つくり、国民のためのより良き国づくりをする。
「国家元首になられるということは、想像するだけで目のくらむ思いがしませんか?」と訊ねてみたくなります。それは日本風の「武者震い」という表現が適当なのかもしれませんね。
先ほど、「山」と申しましたが、山にとどまらず、「山脈」とした方が良いのかもしれません。山脈は欧州です。国内はもちろんのこと、欧州があってこそのフランスであり、フランスがあってこその欧州。そして山脈の向こうにはロシアが、アジアが、海を越えて米国が、南米が、そして地中海を挟んでアフリカが、あるからです。やはり、目がくらみます、くらっ。このようにすぐに国境を越えてしまうのも、筆者がフランス国家に受け入れられその恩恵にあずかっている外国人であるからでしょう。
個人の立場で書いている以上、一言。
少しほっとしております。なぜかというに、筆者が携わる経済交流の仕事。ルペン氏の政権下では「交流」というコンセプトそのものが存在し得るのかどうか、想像つかないからです。
本日は速報、ということで、ここでペンを置きますが、第2段として、経済関係に身を置くものとして、新政権に対し、個人的に感じること願うこと、その思いを、フランス人との掛け合いで綴ってみたいと考えます。
Posted by 富永典子
富永典子
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