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音楽をめぐる欧州旅「ベートーヴェンとボンの八重桜」 Posted on 2023/03/01 中村ゆかり クラシック音楽評論/音楽プロデューサー ドイツ、エッセン

音楽をめぐる欧州旅「ベートーヴェンとボンの八重桜」

桜にまつわる忘れられない思い出は、きっと誰もが持っているのではないだろうか。
それも、ひとつふたつではなく、いくつも。
私にもそんな思い出のひとつがドイツ西部の都市、ボンにある。

ボンは、かつての西ドイツの首都であり、ノーベル賞受賞者や、ニーチェ、マルクス、ハイネなど多くの優秀な卒業生を輩出するボン大学や、楽聖ベートーヴェン生誕の地として知られている。

そんなボンの春を彩る風物詩が、八重桜だということをご存知だろうか。

音楽をめぐる欧州旅「ベートーヴェンとボンの八重桜」

©️Giacomo Zucca/Bundesstadt Bonn



ボンでは毎年、桜が春をリレーする。
6種類の異なる桜の木々が旧市街におよそ300本。1ヶ月ほどかけて、徐々に開花していくよう植えられているからだ。
この桜はボン市が80年代に行った旧市街の再開発の際に植えられたもので、植える予定であったサンザシの木が病気で手配できず、ピンチヒッターとしてやってきたのが桜だったのだそう。

音楽をめぐる欧州旅「ベートーヴェンとボンの八重桜」

©️Giacomo Zucca/Bundesstadt Bonn



市役所の裏手にある小路で3月にスタートするリレーは、柔らかな春の匂いを添えて街中の通りを駆け巡る。ベルベットのように深く淡い花弁の色や、枝葉と花冠が重なるリズム、風と共に奏でるせせらぎのような葉音も、それぞれが変化に富んで賑やかだ。
最後のバトンは4月の中頃、ヘーア通り(Heerstraße)とブライテ通り(Breite Straße )に受け渡される。この2つの通りに植えられた60本の関山桜が織りなす景色は、世界の最も美しい並木道の一つに選ばれるほど。アーチ型に整えられた枝々が八重の花弁で覆われると、旧市街の白いビルの谷間に、眩しいほどに見事なピンクのトンネルが現れる。
朝も昼も夜も鮮やかな春の光を映しだす、その満天の桜のトンネルは、私にとって心に残る桜の思い出のひとつとなった。

音楽をめぐる欧州旅「ベートーヴェンとボンの八重桜」

©️Giacomo Zucca/Bundesstadt Bonn



私がこのボンの桜に出会ったのは幸運にも、はからずして、だった。
花見ではなく、ベートーヴェンのためにボンを訪れ、ピンクのトンネルをくぐったからだ。ベートーヴェンの故郷の春は、思いがけず満開の八重桜に包まれていた。

ベートーヴェンは1770年に、ボンの音楽―家に生まれ、22歳を迎える頃までボンで過ごした。祖父は街で一番の音楽家を意味するボンの宮廷楽長。父も宮廷の音楽家だったが酒浸りが酷く、若きベートーヴェンは、弟達のために家計を支える苦労の日々を送った。
そんなベートーヴェンにとって、ボンは学びと出会いの場でもあった。

音楽をめぐる欧州旅「ベートーヴェンとボンの八重桜」

地球カレッジ

音楽史上の傑作、第9交響曲の『歓喜の歌』で用いたシラーの詩に触れたのも、ボンの青年期のこと。ボンの地で、平和と人類愛を訴えるこの詩に熱狂したベートーヴェンは、その晩年に第9を作曲するまで30余年、この詩をずっと心に温めていた。

春の訪れと共に、ボンにはまた桜の季節がやってくる。
平和のシンボルでもある桜の花は、今や欧州の歌となった『歓喜の歌』を生んだ街で、今年はより力強く、咲き誇るだろう。

音楽をめぐる欧州旅「ベートーヴェンとボンの八重桜」

<ベートーヴェンの生家>


「あなたの不思議な力が再び結び合わせる、
 時流が厳しく分け隔てたものを。
 すべての人が兄弟になる、
 あなたの優しい翼の憩うところで」

(ベートーヴェン作曲『歓喜の歌』より)

音楽をめぐる欧州旅「ベートーヴェンとボンの八重桜」

<ベートーヴェンの記念碑>



取材協力:ボン連邦都市 環境・都市緑化局/Umwelt und Stadtgrün der Bundesstadt Bonn

自分流×帝京大学

Posted by 中村ゆかり

中村ゆかり

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Yukari Nakamura
専門は、フランス音楽と演奏史。博士課程在学中より、音楽評論とプロデュースを始める。新聞、雑誌、公演プログラム等の執筆、音楽祭や芸術祭のプロデュース、公共施設、地交体主催の公演企画、ホールの企画監修などを手掛ける。また5つの大学と社会教育施設でも教鞭を執る。2016年よりドイツ在住。