PANORAMA STORIES
背伸びせず、今出来ることをやろう Posted on 2016/12/11 美波 女優 パリ
ひょんなきっかけで初めて短編映画の撮影に参加した。
ひと月前、私はポルトガル、リスボンで開催されるドキュメンタリー映画祭へ行くため空港にいた。
このフェスティバルには友人の監督が出品するため、私は人に会えるチャンスと思い、同行した。
ところが受付にいくとエアチケットの日付を一ヶ月間違えていたことに気がついた。
仕方がなく私は映画祭を断念して、帰宅した。
リスボンにはフレッドというフランス人監督が住んでいる。
私たちは前々からそこで会う約束をしていた。落ち込みながら彼に行けなくなったことを伝えた。
するとフレッドは面白いことを言い出した。
「航空券があるならおいでよ。短編映画を撮影しよう」
監督は彼の恋人のマリーと一緒に広いアパートメントに二人で暮らしている。
私はそこに滞在することになった。
フランス人女優、アストリックスがパリから名乗り出て、急遽4泊の合宿生活が決まった。
私は人生に無駄な事はないと思ってる。
失敗も全て必要な通過点だし、自分の足りなさを教えてくれているのだといつも思う。
実行したくても多くの障害があると、時期が違うのだと思うようにしてる。
だから、今回のように物事がすんなりと事が運ぶとき、それは正しい道なのだ。
何が待っていても怖いものなし。
お湯の出ないアパートだって、台本のない撮影だって、楽しい。
基本、午前と午後を撮影に当て、朝昼晩、家でみんなとご飯を作った。
夜になるとクタクタだった。
監督のフレッドと撮影のマリー。このカップルのチームワークは最高で、画角のセンスは抜群だった。
事前に渡されたフランス語のテキストとは別に、当日その場で渡されるセリフ、つまり即興の芝居があった。
アストリックスと私は不思議と息がぴったりあった。
正直撮影チームといえる規模ではない。過酷な環境だ。
でも私たちは良いバランスを保ち、互いに信頼を持って撮影を続けることができた。
本当の事を言うと、私はフランス語の壁にぶち当たっている。
フランス人のように喋れてもやっぱり違いは明らかで、芝居となるとそれが如実に現れる。
日本育ちの私には「フランス人としてのカルチャーや考え方」が全然わからない。
さらにフランスの映画の多くはセリフをきちんと言わないことが多い。
大筋があっていれば自分なりにセリフを変えちゃうのだ。
だからこそ、ボキャビュラリーの豊富さが試される。
芝居はごまかしがきかない。そういった細かな反応が反射的に求められる。
フランスで芝居の幅を広げたいのなら、フランス人の役をも出来なければならない。
パリに来てから、芝居に対する最小限の事すら出来ない自分に対面した。
目の前に、とてつもなく高い壁が存在する事を知る。
今回の撮影のために渡されたセリフも、感情とのすり合わせがどうしてもできなかった。
いくらを読んでも実感がわかない。
そして挙句には覚えられない。
私はパニックだった。
フランス語の台本を日本語に訳して、自分なりに覚えた。
”背伸びせず、今出来ることをやろう”
馬鹿げてるかもしれないけど、苦しいときって、生きてる実感がする。
ふっとそう思ったとき、何となく肩の荷が下りて、ようやく彼の世界観に飛び込む事が出来た。
この短編の物語は、抽象的だ。
アストリックスとミナミが物語の中心となり、4つの人物を演じる。
4つの恋愛、別れが絡み合う。
来年の中旬まで監督は少しずつ映像や他の役者を使い撮影を進めていくらしく、正直、概要すら定かではない。
でもこれが、フレッド監督のスタイルだ。
撮影当日、本番前にアストリッドと芝居を当てた。流れるように言葉が出てくる。
感情もそれに伴っていた。
なんだ。体はしっかりと記憶してたんだ。
へへへ。頭でっかちで不安が膨らみ、心から動く事、遊びごころをなくしてしまっていたのだ。
なんだなんだ。もっと自由でいいのだ。
それが私の人生の正解なのだ。
その後、撮影も順調に進み、サバイバルな5日間はあっという間に幕を閉じた。
今後数カ月かけてこれは作品になる。
どんな形になるか想像つかないけど、今はそれを楽しみに流れに身を任せたい。
Posted by 美波
美波
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女優。1986年9月22日生まれ、東京出身。2000 年に『バトル・ロワイアル』(深作欣二監督)で映画デビュー。その後、舞台・映画・ドラマと幅広く活躍している。’14年には文化庁の新進芸術家海外研修制度のメンバーに選ばれ、パリに1年間演劇留学。現在はパリに拠点をおき、多方面で活動している。
2017年11月9日(木)~28日(火)/Bunkamuraシアターコクーン・地方にて、演出・串田和美の『24番地の桜の園』に出演。