PANORAMA STORIES
それでも前向きなバルセロナ Posted on 2017/08/21 林 真弓 通訳・ガイド・イベントコーディネーター バルセロナ
もしバルセロナでテロがあるとしたら、ここなんじゃないかと恐れていた場所だった。
現場となったランブラス通りは一年を通して人の多い道だが、特に夏は観光客で溢れかえる。港が近いのもあって、昨今はクルーズ船から降りてくる客が必ずといって通るので、飽和状態と呼べるほどでその賑やかさは街の中でも群を抜いている。
私も仕事柄、行くことが多い。特に今月はほとんど毎日のように通っていた。
テロ当日はたまたまバルセロナから50キロほど離れたモンセラットという山を案内していた。
そろそろバルセロナに戻ろうかという頃、事件現場近くで働いていた夫、ジョニーから電話があった。
「大丈夫? 今どこにいる?」
「え、モンセラットだけど」
「良かった。何か大きな事件があったみたいで職場にたくさんの人が逃げ込んで来ているんだ。バンが突っ込んで来たらしい。ランブラス通りだって」
え、テロ? という私の質問に、ジョニーは「まだわからない」と答えた。
電話を切った後、急いでネットで検索してみるが何も出てこない。ヨーロッパ中で似たような手口のテロが起こっていたから、私は直感的にテロだろうと思った。
ついにバルセロナもか。
驚愕する反面、「いつかは起こるだろう」と覚悟していた部分もあって、複雑な感情が沸き起こる。それでも目に浮かぶのはいつもランブラス通りを埋めている、楽しそうな人々の姿。
詩人ロルカは「終わってほしくないと願う、世界に一つだけの道」と表現した。
美しいアーチを作るプラタナス並木の散歩道は、いつも、まるで「今が一番楽しい」という笑顔の人々で溢れかえっている。その笑顔が一瞬にしてかき消され、恐怖の底に突き落とされたのかと思うといたたまれない。
その後お客さんをホテルまでお送りし、次の仕事に向かわなければならなかった私を、タクシーの運転手は無料で空港まで送ってくれた。私はそのとき知らなかったのだけれど、市中心部の公共交通機関は封鎖され、タクシーもつかまえにくい状態だったらしい。後のニュースで、街中のタクシーが「無料で乗せます」という張り紙を出して、人々を助けていたことを知った。
病院は献血を願い出る人々で溢れかえり、SNSでは「~語―スペイン語の通訳できます」や「宿が必要な方、我が家へどうぞ」というメッセージが飛び交っていた。
何という素早い反応なんだ。まだ逃げている犯人もいるというのに、こんな事件のあと、バルセロナの人は家に閉じこもって鍵をかけてしまうのではなく、他人に扉を開くのか。
結局、死者13人(8月20日現在)、負傷者100人以上の大惨事だった。被害者の国籍は30か国に及ぶ。
情報収集とお客さんへの対応に明け暮れ、怒涛の一日が終わった翌日、日本総領事館からのメールでは「なるべく行かないように」とされていた事件現場にあえて足を運んでみた。
いつもほどではないけれど、結構な人がいた。後ろを歩いていた、ヘルメットを持った男性が赤いバラの花束をランブラス通りの入り口にそっと置く。花、ろうそく、ぬいぐるみなどが供えられ、通りの何ヵ所かに大きな円を作っている。人々はその周りに立ち、静かに祈る。メッセージもいろんな国の言葉で記されている。この地方の言葉、カタラン語で書いてある2つのメッセージが繰り返し目についた。
No tenim por 「我々は恐れない」
Junts Diferents Pau 「違いを乗り越えて一緒に平和を」
まだ、テロの全容がわかってはいないが、犠牲になった方々のご冥福を祈りたい。
そして、バルセロナで生き続ける私たちは日常を取り戻すべく、再び日々と向き合うことになる。
Posted by 林 真弓
林 真弓
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通訳は主に英日だが、使用可能言語は、日、英、伊、西、仏。
オーストラリア、キャンベラ大学で応用言語学の修士号を取得したのち、地元岡山の大学にて英語非常勤講師。英語以外の言語を学びたくなり、32歳でフランス、トゥールーズに語学留学。その後イタリア、ベネチアで約9年の滞在を経て、現在バルセロナ在住。イタリアで知り合ったイギリス人の夫とスペインに住む、という??な、でもある意味非常に欧州的な状況を楽しむ毎日である。デザインストーリーズ、バルセロナ特派員。