PANORAMA STORIES
パリジャンにサムライ道を指導し続ける日本人 Posted on 2023/12/20 マサト マツウラ 剣士 パリ
パリを拠点に、剣と合気という古流武術を研鑽する場を設けて15年以上になる。
欧州において、殊にフランスでは、柔道、空手、合気道などの日本武道の人気は高く、愛好者の数は日本よりも多いと言われている。
その武道の教授にはフランス政府の発行する国家資格を取る必要があり、外国人の労働者を規制する政策もあり、必ずしも日本人指導者は多くない。
スポーツにおいては、相手と競い、勝ち負けを決めることが要求される。日本剣術の目的は相手に勝つことではなく負けないことである、よって相手と競うことはしない。
「剣禅一如」という言葉があるように、サムライの芸たる剣はその精神的支柱となった禅の影響を強く受けており、修行者の求める境地は自然似てくる。
剣を取り、攻撃してくる相手に向かう時、「澄んだ鏡の様に、月を映す水の様に曇りの無い無心で対せよ」と言われる、その危機的な状況で心が不動の境地にあるとその存在はそこにいながら同時にいないというパラドクスを相手に与えることになる。
色即是空 空即是色
こちらがそこにいなければ、相手の攻撃してくる力は空振りし本人に帰って行く。
攻撃した者は自分の力で自分を斬ることになるので、その瞬間に何が起こったのか解らないまま自ら倒れて行く。
それが、日本剣術の極意なのである。
無になり相手に逆らわないということは、相手と一つになり調和するということに他ならない。
剣術の核心は”和”である。
無になることで相手と調和しその攻撃を無効化する、我が無い故に敵も存在しない、つまり無敵にいたる道の希求と言える。
”無敵の境地”が実現出来るか出来ないかが重要ではない。もとより完成ということは人間にはない。ただ、古の剣客たちの求めた道を探してみたいにすぎない。
それがこの21世紀に生きる我々の重要な指針じゃないかと思う。
そもそも、今日の文明の発展をもたらした科学サイエンスの語源とはフランス語ではscier 「切る」で、つまり全てを切り、細かく分けて行くという行為である。
自分の存在をアイデンティティとして他と切り分け、自然や宇宙、万物を分けて行くことで、その恩恵により今日があることには異論はないが、反面、他人や他民族、自然との調和が崩れていることが今日様々な問題を招いていると言えるのではないだろうか。
他人と主張し合うのではなく、受け入れること、自然に逆らうのではなく、調和を求めること。
剣術を通してこの”和”という思想を伝えて行くことが、この世界を次のステップに進める一助になるとの思いで私は活動を続けている。
また、欧州に住む人々も自他を切り分けることで争いの絶えないこの時代を変えるための鍵を日本文化に見ているように私には感じられる。
さて、フランス人の生徒達は如何に。
無になり相手と一つになることで相手を制する、もちろん理屈では彼らにも理解できるだろうが、実現することは容易ではない。
動く禅とも言われる剣の道。清められた静かな道場で、自らの心身を再発見しその統一を試みる。自然の理、重力と会話をし、供に取り組む仲間と向かい合い相手との調和を探す。
そのような時間が何かしら有益な変化を彼らの人生に与えていることは間違いないようで、少なくない生徒が形と同時に形にならないものを求めるこの容易ではない道を(苦しみながらも)楽しむようになっていく。
フランスで活動を始めた頃、この地で合気道連盟のトップとして長年多くの弟子を指導されて来た高名な日本人武道家とお会いする機会があった。
今はもう鬼籍に入られたが、極意を体現され希代の達人であられたその先生に、「お弟子さんで先生のような技を使える方はいるのでしょうか?」と尋ねたことがあった。
すると先生は「いやあ、誰もいない、だから私は飯が食って行けるんじゃないか」と笑って返された。
実際は、「自分を超えるフランス人の弟子の出現を心ひそかに待っていた」に違いない。しかし、ここで剣の神髄を得るのもまたとても難しいことなのである。
いずれの道にも完成ということはありえず、求道者がその流れの上にあることこそが心なのである。
悠然楽道
Posted by マサト マツウラ
マサト マツウラ
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剣士。パリを拠点に、剣、合気、能などの伝統文化の発展、普及に勤める。フランスのみならず、欧州各地、中近東、アフリカ、北米などで、演武、講習を行っている。