PANORAMA STORIES
リストランテ『ダ・フィオーレ』と、あるマエストロの昼食 Posted on 2017/11/02 吉田 マキ 通訳・コーディネーター ヴェネツィア
ヴェネツィアの中央に位置するサン・ポーロ地区に、『ダ・フィオーレ』はある。
家族の大切な記念日にちょっとお洒落して行くような、とっておきのレストランだ。
ほんの少し塩気のある半透明のラードが巻かれたエビ。五センチ程のモエケと呼ばれる地元のカニのフリット。地中海を泳ぎ回る真紅のマグロのカルパッチョ。干鱈を戻し煮て和えたバカラマンテカート。ザバイオーネソースで食べる牡蛎のフリット。ポルチーニ茸とエビのリゾット…。
目にしてそれを口に運んで喉を通って行く。それだけのことなのに、なぜこんなに幸せになるのだろうと行く度に思う。至福の時間が保障された数少ない場所である。
酒屋だった頃の看板が残る「ダ・フィオーレ」の入り口
昼に行くと必ず、ブルーノがいる。彼は、近くに工房を持つ木工のマエストロで、年は70代半ば。もうかれこれ、半世紀以上毎日ここに食べに来ている客なのだ。
80年以上前ここは、ワインを売る酒屋だった。それが、徐々に料理も出すようになり、立ち飲み処から、人気の食堂になっていった。ヴェネツィアに伝わる料理には定評があり、いつも地元客であふれていたという。
「フィオーレ」というあだ名で呼ばれ愛された、その「ダ・フィオーレ」のオーナーが引退を決意し、この店は、二十歳そこそこのある若い夫婦が買うことになった。
「一つ頼みがあるのだが」と、老オーナーはその時、彼らに言った。「15年間毎日来てくれたブルーノという客がいる。彼が明日から食べに行く場所を失うと思うと落ち着いて休めない。どうかこれくらいの値段で、ブルーノを引き継いではくれまいか」と、ブルーノが一回に使っていたおよその金額を示した。
この若い夫婦は、ブルーノだけでなく、店の名前もいっしょに引き継ぐ事を約束した。それは、現オーナーであるマウリツィオとシェフであるマーラの若き日の姿で、今から40年前のこと。
地元のモエケと呼ばれる柔らかいカニのフリット
新オーナー夫婦の元で、店はシックな色合いを基調に全面改装された。間接照明の下には一点物のムラーノグラスと、銀のナイフとフォークが静かに置かれた。
マーラとマウリツィオは、地元の素材や伝統を生かしながらも、独自の創作料理を次々に発表し、ヴェネツィアのレストラン業界に新しい風を起こしていく。この若い二人による新装「ダ・フィオーレ」の評判は、着実に広がって行った。
ヴェネツィアの別の地区に、同じ名前の店が出来て、間違われて困っているとこぼしていたが、オープンから数年後に店は、国際的名声を得るようになっていた。
80年代から通う夫だが、夜は3か月待ちと、なかなか予約するのに苦労したらしい。
その間も毎日、ブルーノはやってきた。
入って突き当りのテーブルは、午後一時を過ぎてやってくる彼のために、いつも空けられていた。穏やかな表情でその席に座り、メニューは見ない。すべてお任せだからだ。第一の皿のパスタの後、第二の皿であるメインは、魚のほか子羊のローストや牛フィレの時もある。いずれにせよ、この魚介専門のレストランのメニューには、決して載っていないものだ。白ワインとパンとともにそれらをゆったりと味わう。そして、デザートとカプチーノ。
一時間以上かけてブルーノは、さらに柔和な顔になって出て行く。
カキのフリット
干鱈を戻して煮て和えたバカラ・マンテカート
マグロのカルパッチョとエビのピーチソース
二十歳で近隣の村からこの街に出てきて工房を開いたブルーノは、今では貴重な伝統工芸のマエストロとしてその功績を何度も表彰されるまでになった。観光に依存する現代のヴェネツィアで、だが、彼のような人々はその能力に見合った敬意を払われてはいない。しっかり残る階級社会の中で、鉛を飲み込むようなこともあったという。
そんな時、午前はここでの昼食を目標に、午後はその満足感を力に、調度品の製作や家具の修復に励んだのかも知れない。
かつて、造船から毛織物、ガラス工芸や染色、金細工師などあらゆる分野の秀でた職人たちの技術立国であったヴェネツィア。
合わせて半世紀以上この場所に通うブルーノや、その一途さに応えた二代のオーナー達のような人々が、この街を形作ってきた根幹であったはずだ。
今では、建築物や絵画の中に放置されたように思えるそのスピリットだが、今でも続く40年前の約束が、そっと私たちに思い出させてくれる。彼らのような人々こそが、本当はこの街の本来の姿なのだ、と。
今や店の一部となったブルーノは、今日もいつものあの席で満ち足りた昼休みを過ごすに違いない。
レストラン運河側
Posted by 吉田 マキ
吉田 マキ
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神戸出身。90年にイタリア、ペルージア外国人大学留学。彫刻家および弦楽器創作アーティストのイタリア人との再婚により、娘を連れて2003年よりヴェネツィア在住。夫の工房助手の他、通訳、コーディネーター、ガイドなど。