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ヴェネツィア・ビエンナーレとしての国際映画祭 Posted on 2017/09/21 吉田 マキ 通訳・コーディネーター ヴェネツィア

9月に入って、ヴェネツィアは急に涼しくなった。いつも新しい季節は、いきなりやって来る。日本の、冬から春にむけての三寒四温というような情緒ある余韻は、イタリアにはない。
もう半袖では肌寒い気温になってやっと、夏休みが終わる。イタリアでは新学期の日が州ごとに違うのだが、ヴェネツィアのあるヴェネト州では9月13日が初日。3か月以上ある長い夏休みが終わり、ようやく新学年が始まった。親はもちろん、休み中大活躍の祖父母たちも、この頃やっと一息つくことができる。
 

ヴェネツィア・ビエンナーレとしての国際映画祭

<ビエンナーレ会場があるジャルディーニ>

 
過ごしやすくなったヴェネツィアは、雑踏の観光地からアートの香りのする街の顔に変わって、夏とは違った活気にあふれる。8月末からヴェネツィア映画祭が始まると、有名VIP達が続々とヴェネツィア入りする。
映画祭に関係なく、いつもヴェネツィアのどこかで映画の撮影が行われている。先月の中旬には、クリント・イーストウッドがロケに来ていた。「The 15:17 to Paris」という作品のためだそうだ。実物を見てみたい気もしたが、連日の蒸し暑さと混雑を前に挫けた。才能とは、気力体力を含むすべてのキャパの高さなのだ。87歳のイーストウッド監督が、水上バスを貸し切ってロケをする様子を伝える記事を見て思った。
有名人の来訪に慣れっこの地元の人は、いかにも冷めた口調で話す。○○の店に誰それが来たって大騒ぎしてたよ、とむしろ迷惑そうに言うが、そういう当人も何かと話題にし、やっぱり嬉しそうだ。
 

ヴェネツィア・ビエンナーレとしての国際映画祭

<ビエンナーレ会場>

 
カンヌ、ベルリン、ヴェネツィアで三大映画祭とされているが、その中でも1932年に始まったヴェネツィアは一番古い歴史を持つ。というのも、ヴェネツィアの映画祭は、ビエンナーレの一環として開催されたのが起こりなのだ。
ビエンナーレとはイタリア語で「二年に一度」という意味で、第一回の1895年から二年ごと奇数年に開催されている国際芸術展。現代アート、建築、演劇、映像、音楽、ダンスなどを含むあらゆる表現者たちがこの街に集まってくる。
 
1893年ヴェネツィア市は、隔年でイタリア人作家を対象にした美術展を開催することを決定。これが、ビエンナーレの始まりだ。すぐに外国人作家にも門戸が開かれ、1895年4月、第一回のビエンナーレが開催され、入場者20万人を超える大盛況となった。過去には、クリムトやルノワール、セザンヌ、ダリやピカソなどが参加している。
今年はビエンナーレの開催年。メイン会場のジャルディーニやアルセナーレ以外でも、大運河沿いや広場のあらゆる場所が、作品の展示スペースとなる。
運河から突如出現した9mの巨大な手は、ロレンツォ・クインの作品。あのフェデリコ・フェリーニの名作「道」の主役ザンパノを演じた俳優アンソニー・クインの息子さんという。
 

ヴェネツィア・ビエンナーレとしての国際映画祭

ロレンツォ・クイン「Support」

 
日本館の展示は、広島在住の岩崎貴宏氏の「逆さにすれば、森」。海面に反射する神社をモチーフとした作品で、まるであの世とこの世の境目のような不思議な世界感がある。

そして9月の第一日曜日は、恒例「レガータストーリカ」(歴史的レガッタ)だ。これは、ヴェネツィアの伝統的な漕ぎ方でのレースで、一番ヴェネツィアらしいイベントと言える。今年はいとこ同士のヴィニョット組が、15回目の優勝を飾り優勝回数の新記録を作った。
女性部門は、アンナ&ロミーナ組が10回目の優勝。親戚ではない彼女たちだが、生年月日が全く同じで「双子の漕ぎ手」と呼ばれる。ヴィニョット組も「漕いでいる時はまるで一人のようだ」といわれるように、魂のレベルまで息を合わすことが必要なのかもしれない。
 

ヴェネツィア・ビエンナーレとしての国際映画祭

岩崎貴宏「逆さにすれば、森」

 
今年、第74回ヴェネツィア国際映画祭のレオーネドーロ(金獅子賞)は、メキシコ人ギレルモ・デル・トーロ監督の「ザ・シェイプ・オブ・ウォーター』(The Shape of Water)が、前評判通りに受賞した。孤独な女性清掃員と魚人の交流ファンタジーで、冷戦時代のアメリカを舞台にした作品だが、今に通じる多くのメッセージが詰まっているという。

さて、子供たちには元気に学校へ行ってもらって、秋の夜長はたくさんの映画との出会いを楽しもうか。
 

ヴェネツィア・ビエンナーレとしての国際映画祭

<リド島>

 
 

Posted by 吉田 マキ

吉田 マキ

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Maki Yoshida
神戸出身。90年にイタリア、ペルージア外国人大学留学。彫刻家および弦楽器創作アーティストのイタリア人との再婚により、娘を連れて2003年よりヴェネツィア在住。夫の工房助手の他、通訳、コーディネーター、ガイドなど。