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木片に美声を与えるという野望 Posted on 2017/05/22 吉田 マキ 通訳・コーディネーター ヴェネツィア

弦楽器作家のことを、イタリア語でLIUTAIO(リュータイオ)と言う。
これはLIUTO(リュート)という楽器に由来するものだが、今ではヴァイオリンやチェロ、ギターやマンドリンなどのいろいろな弦楽器の製作と修復をする人の意味になっている。

16世紀以降、ヴェネツィアにはたくさんのリュータイオがいて、それは主にヴァイオリンの作家たちだった。
印刷技術も発達していたこの街では、早くからさまざまな音楽概論や楽譜集などが出版されており、ヨーロッパ中から音楽家たちが集まってきていた。作曲家アントニオ・ヴィヴァルディ(1678-1741)の『四季』も、そんなこの街の環境の中で生まれていったのだろう。
 

木片に美声を与えるという野望

夫のウィリアムが作っているのは、アコースティックやクラシックのギターなのだが、彼の工房は18世紀にもリュータイオの仕事場だったらしい。古い文献を調べていた人が教えてくれた。
それはただの偶然か、見えない縁に導かれたのかはわからないが、そこでギターに張る弦と、それを巻くペグ(弦を巻く金具)以外のすべてのパーツを手作りする。

ギター作りの世界で「原則の作り方」として、いわば常識となった決まりごとがいくつもある。
「でも、本当にそうなのだろうか」と彼は思い、デザインはもちろん、構造においても、独自のやり方や時には
「しない方が良い」とされる方法で実験的にギターを作ってきた。
そのため、やむなくお蔵入りとなるギターもあるが、それらの原則を、鵜呑みにする必要はないこともわかったらしい。フタを開けてみるまではわからないというが、ギターは反対に、最後に閉じてみるまではわからない。
それくらい音響には、木の種類や部位、硬さ、経過年数、補強し音を伝達する骨組みのブレイシングなど、さまざまな要素が相互に絡み合っている。
 

木片に美声を与えるという野望

彼のギターの特徴は、ボディが桃のような丸いお尻の形をしていることだ。その名もMomojiri Guitarという。
かなり安産型のそれなのだが、腰の部分は逆にキュッとくびれている。やはり男の願望か。

「君、イイお尻だねー!」って日本語でどう言うの? と、ずいぶん前に聞いてきた。
「そんなこと日本で言っても変な顔されるだけだからね」と念を押し、
「ええケツしてまんなぁー」と言うのだと教えた。
それからというもの、前を歩く女性の臀部がナイスだと、横を歩く私を肘で突いて、
「ええケツ」と嬉しそうに言う。「フン、まあまあだね」と私。
何度教えても覚えない日本語が山ほどあるのに、そういう類の言葉は一発で二度と忘れないから腹が立つ。
 

木片に美声を与えるという野望

しかし、このお尻の形のため、彼のギターは縦に置いてもギタースタンド無しで安定している。
だが、共通するのはこの点だけで、あとはすべてデザインが違う。同じものは絶対作らない。いや、作れないと言った方が正しいだろう。
技術的には可能なのだろうが、本人がワクワクするような刺激を失ってしまい、繰り返せない。だから、毎回発見もあるが挑戦でもあって、能率という点ではとても低い。その上ギターの中身の裏の裏まで、仕上げを徹底的に施す。

「そんなところ、誰も見ないよ。音にも関係ないんでしょ」無駄じゃないのかと私が問うと、
「うん。でも、万が一見られたら恥ずかしい」と言う。
「それにね、無駄と言えば僕の作る彫刻もギターも無駄の塊みたいなものだよ。アートなんてなくても誰も困らない。だけど、誰かの魂を揺さぶることもある、かも知れない」
 

木片に美声を与えるという野望

時間を有効にとか効率というようなことを、つい考えてしまいがちな私だが、多くの大切な事柄は、そういう物差しでは測れないことを思い出す。
とは言えいくら美しいものが完成しても、オブジェではなく楽器なので、音が良くなければ意味がない。
まず音質、次に弾いていても疲れない軽さ、最後に美しさ。木の表情を最大限引き出すこと。
虫や花の形を見ては、「デザインと機能が完璧に一体化している、自然にはかなわない」と溜息をつきつつ、ウィリアムは木片と向き合い続ける。
 

木片に美声を与えるという野望

Posted by 吉田 マキ

吉田 マキ

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Maki Yoshida
神戸出身。90年にイタリア、ペルージア外国人大学留学。彫刻家および弦楽器創作アーティストのイタリア人との再婚により、娘を連れて2003年よりヴェネツィア在住。夫の工房助手の他、通訳、コーディネーター、ガイドなど。