PANORAMA STORIES
車が一台もない街、ヴェネツィアから Posted on 2017/04/15 吉田 マキ 通訳・コーディネーター ヴェネツィア
ヴェネツィアは魚の形をした島だ。
そしてそれは、さらに小さなたくさんの島でできている。
その数およそ120。それが430ほどの橋で結ばれ、カッレと呼ばれる無数の路地に繋がっている。
その中には幅50センチ強の、傘さえ広げては通れない細い小路もある。
数ある橋の中で一番有名なのが1591年に完成したリアルト橋だ。
そのリアルト橋が、逆S字のカナル・グランデ(大運河)にかかり、街全体に大小の運河が縦横に伸びている。
それがヴェネツィア本島で、その本島の周りを、ガラス細工で有名なムラーノ島、カラフルな家の壁が並ぶブラーノ島、 ヴェネツィア国際映画祭の行われるリド島などたくさんの大小の島が囲んでいる。
それらの街や自然環境もふくむ全部が、「ヴェネツィアとその潟」という世界遺産だ。
リド島は例外だが、本島をはじめ周りの島々には自動車が存在しない。
バイクはもちろん、自転車も通行禁止である。
『ヴェネツィアは車がないから、交通事故に遭うことはないよ。いいでしょ?』
15年前、この街に移住することが決まった時、まだ幼い娘に私はそう言った。
移住に決して大賛成ではない彼女を、少しでもポジティブな材料を見せて説得したかったのだ。
『えっ、車がない? なにそれ! 疲れたらどうするの? 急に病気になったら? 救急車は?』
ロマンチストというよりはリアリストな反応に、私の作戦は失敗したのだが。
そう、救急車はないが救急船はある。消防車はないが消防船、パトカーもゴミ収集車もタクシーもバスもすべて船なのだ。船は水路を進み、人は地上の路地を歩く。
輸送と人の歩行は完全に分離しており、交わるときも立体交差なので、ヴェネツィアの道は毎日が歩行者天国だ。
しかしモノを運ぶということについては、他の都市とは比較にならない労力が必要になる。
商店やレストラン、スーパーに搬入する食材や商品、個人で運ぶ大きな荷物も、まずトロンケットという場所まで陸路で運ばれる。ここはヴェネツィアの西の端で、本土と島を結ぶリベルタ橋に近い場所だ。
ここで横付けされた船に荷は載せ替えられた後、目的地の最寄りの運河に船を留め、荷を下ろす。
そこで台車に載せ替えられ、最終の目的地である店や倉庫まで、人の足で橋をいくつか越えてようやく到着する。
毎日の買い物にもカートは欠かせない。
イタリアの他の街と比べても高いと悪評のヴェネツィアの物価を擁護するつもりはないのだが、「自動車がまったく通行しない街」の、他の場所とは根本的に異なる物流ルートを考えれば、それも致し方ない部分はあるとは思う。
21世紀の今日、街に一台も車が存在しないことは不思議に思えるが、これは今に始まったことではない。
『ここは、馬車の音がしないので作曲に集中できる』と、1882年からこの街に住んでいた作曲家のワーグナーは、義父のリストに手紙を書いている。
5世紀の初め、満潮時に辛うじて顔を出しているような一面の沼沢地に、おびただしい量の杭を打ち込んで地盤を上げ固め、人の住む場所にしていったこの街には、馬車や車が通るスペースが昔も今もないからだ。
だからこの街の人はよく歩く。コルティーナなどの山々にもヴェネツィア人の健脚ぶりは知れ渡っている。
娘は高校の5年間、往復で80分の道を週6日登校した。大学生になった今、迷路のような路地を自在に歩くこと、歩くこと自体を厭わない自分にひそやかな自負を抱いているはずだ。
「自分の足で歩き続けること」が、生きていくことなのならば、それを教えてくれるこの街に私は母親としてただ感謝しかない。
先人たちが創り上げた千年の都ヴェネツィアはその独自さゆえに、東洋の端っこから来て住み着いた人間にも、誇りという豊かさを今ももたらし続けてくれている。
Posted by 吉田 マキ
吉田 マキ
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神戸出身。90年にイタリア、ペルージア外国人大学留学。彫刻家および弦楽器創作アーティストのイタリア人との再婚により、娘を連れて2003年よりヴェネツィア在住。夫の工房助手の他、通訳、コーディネーター、ガイドなど。