PANORAMA STORIES

クリスマスマーケットの苦い思い出 Posted on 2017/12/15 溝口 シュテルツ 真帆 編集者、エッセイスト ドイツ・ミュンヘン

クリスマスマーケットの苦い思い出

クリスマスの約ひと月前から、ドイツの街中には至るところに大小のクリスマスマーケットが立ち並ぶ。その素朴で可愛らしい様子は、誰の心にもぽっと温かな光を灯すようだ。

しかし私は、クリスマスマーケットにはちょっと苦い思い出がある。

2014年12月、ドイツに移住して半年ほど経ったころのことだ。夫の古い友人グループからの誘いに乗り、クリスマスマーケットに初めて行くことになった。

分厚いコート、スノーブーツ、ニット帽に手袋と装備は万全。グリューヴァイン ――Glühwein、スパイスを効かせたホットワインで、クリスマスマーケットには欠かせない―― はもちろん、その後には何を食べようか、綺麗なオーナメントでも買おうかと、半ばスキップしながら集合場所へと向かった。
 

クリスマスマーケットの苦い思い出

カップルばかりが計10人ほどもいただろうか。ひととおりの挨拶を交わし、マーケットを軽く一周すると、さっそく輪になってグリューヴァインをすすった……まではよかったが、困ったのはここからだ。

会話がちっとも弾まなかったのだ。

私がドイツ語を学び始めたのは移住直前のことで、そのころはまだ、おしゃべりとなったら英語を使っていた。が、彼らになにかを問いかけても、ひと言、ふた言、簡単な返事が返ってくるのみで、また違う人のほうを向きドイツ語での会話に戻ってしまう。

私はその場でただひとりの外国人だったが、だからといって、あえて気を遣ったりしないのがドイツ人だ。それに、ドイツでも英語を不得手とする人はそれなりにいる。下手な英語を披露するのはまっぴらゴメン――とでも思っていたのかもしれない(私だって到底自慢できるようなものではなかったのだが)。それともただ単に、彼らにとって私が興味深い人物でなかっただけかもしれない。

とにかく、私は皆の輪にまったく入っていけず、それではと覚えたてのドイツ語を使ってみても、返ってくる言葉がうまく理解できない。頼みの夫は旧友との会話に夢中だ。グリューヴァインと一緒に、気持ちは急速に冷え込んでいった。
 

クリスマスマーケットの苦い思い出

日本をあとにして半年。張り詰めていた期待と緊張の糸がちょうど切れるころだったのだろうと、今にして思う。皆が2杯目のグリューヴァインのスタンドに向かったどさくさに紛れて、私は誰にも挨拶をせずフイとその場を後にした。

キラキラとしたオレンジ色の灯りのなか、自分以外のみんなにしっくりとした居場所があるように見えた。地下鉄のなかで夫に「疲れたから帰る」とだけメールを送り、寒い家に帰り、そのままベッドに潜り込んでこんこんと眠った。

悔しい、悔しい。楽しくおしゃべりができないなんて、これじゃあ子ども以下じゃないか――。
 

クリスマスマーケットの苦い思い出

……これが、初めてのクリスマスマーケットの思い出だ。初回が情けなかったから、それがマイルストーンのようになった。

2年目のクリスマスマーケットへは、なんとかドイツ語での仕事(カフェの取材だった)を終えた後に訪れた。3年目は妊娠中で、小さな子どもがいるドイツ人の友人の苦労話に笑い転げた。毎年クリスマスマーケットに足を運ぶたびに、大丈夫、少しずつ前に進んでいる、と、自分がいまいる場所を確認するようになった。

そして今年は、お腹の娘が“出てきた”ので、状況は様変わり。つい先日、3人で近所のささやかなクリスマスマーケットに出かけ、グリューヴァインを一杯だけ飲んで帰ってきたところだ。来年はどうだろう。またこうして家族で笑っていられたらそれでよい、と思うくらいには肩の力が抜けたみたいだ。
 

クリスマスマーケットの苦い思い出

 
 

Posted by 溝口 シュテルツ 真帆

溝口 シュテルツ 真帆

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Maho Mizoguchi Stelz
編集者、エッセイスト。2014年よりミュンヘン在住。自著に『ドイツ夫は牛丼屋の夢を見る』(講談社)。アンソロジー『うっとり、チョコレート』(河出書房新社)が好評発売中。2017年、ドイツ×日本×出版をテーマに据えた出版社・まほろば社(Mahoroba Verlag)を立ち上げ。