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ペスト大流行時代と現代の驚くべき類似点! Posted on 2020/03/21 Design Stories  

3月17日正午から、外出制限令が出され、国が閉鎖状態となったフランス。マクロン大統領がテレビで「フランスはウイルスとの戦争状態にある」と繰り返し、それまでどこか「大丈夫」という雰囲気だった街の空気は一変した。市民の大半は外出制限を守り、外出している人はマスクをつけ、手に使い捨ての手袋をして歩いていたりする。道に使い捨ての手袋が捨てられているなんて、今までに見たことのない光景だった(ポイ捨て癖は相変わらず治らない)。薬局やスーパーからは消毒アルコールジェルや使い捨て手袋、目や鼻を掃除するセラムやうがい液まで、洗浄系の商品はごっそり売り切れている。昨日まで家の中でも靴を脱がない生活をしていた人々が、今は靴を玄関で消毒し、ドアノブをはじめ、家中を殺菌剤で消毒しまくっているというのだから、世界で不潔の代名詞だったフランス人が、ここ数日でここまで清潔になれることに正直驚いている。今現在、新型コロナに感染していない人々がこの生活を続けていれば、今から新たに感染することはないはず、である。



ペスト大流行時代と現代の驚くべき類似点!

この新型コロナウイルス感染症は、これまでに世界で繰り返された恐怖の感染症「ペスト」と比較されることが多い。ペストとは、中世から数回パンデミックを起こした、非常に致死率の高い感染病であることはよく知られている。ヨーロッパでは特に、人口の30%から60%が死亡したという14世紀に流行したペストが、今の社会、文化、経済にまで大きく影響を与えた。

そもそも、なぜペストという名前になったのかを調べてみると、語源はラテン語の「Pestis」という言葉だった。Pestisはもともと、粉々にするとか、滅ぼす、などの意味があり、高死亡率を持つこの感染病にふさわしい。確かに致死率は違うが、21世紀という時代と感染力、病気の性質などいろいろ総合すると新型コロナウイルス感染症は現代のペストと言えるかもしれない。

ペストには腺ペスト、敗血症ペスト、肺ペストがあり、感染経路としては、ペスト菌に感染したネズミ(クマネズミ)に寄生していたノミやシラミが、犬や猫を介して人間を刺したその刺し傷からによるもの、もしくは、感染した人間や動物の膿からの直接感染のようだ。

腺ペストはノミに刺された付近のリンパ節が膨らみはじめ、強い痛みと共に腫れ上がり、リンパ腺を通って肝臓や膵臓パニックなどで毒素を作り出していくようで、治療しなければ1週間以内に病気の進行が加速し、死に至るという。

敗血症ペストとは、別名、黒死病と言われており、ペスト菌が血液によって全身にまわり、敗血症を起こす。手足の壊死を起こし、全身が黒いアザだらけとなって死亡する。

肺ペストは、そのほとんどが腺ペストを起こした人が二次的に起こすようで、ペスト菌が肺に入り、重度の肺炎を起こして死亡する。

ペスト大流行時代と現代の驚くべき類似点!

<ペストから身を守るための衣装をつけたイタリアのペスト医師。手に持ったワンドがシンボルだった>

 
ペストの歴史を見ていくと、流行は大きく三期に分けられており、第一次流行の「ユスティニアヌスのペスト(東ローマ帝国)」は6世紀から8世紀まで続き、第二次流行は14世紀に始まった。

14世紀にパンデミックとなったペストは「黒死病」と呼ばれる敗血症ペストで、なんと、中国で発生した。その後ゆっくりシルクロードを経由し、ヨーロッパに広がったのだが、なんでも、ヨーロッパに運ばれた毛皮についていたノミが媒介者となったのだという。そして、驚くべきことに、その流行の中心となったのが北イタリアで、しかも、ほとんどの都市を壊滅させ、人々を葬ったのだ。(中国で始まり北イタリアを壊滅させたという流れは新型コロナウイルスの流行と全く一緒なのである。これは単なる偶然か、それとも・・・)

人々は「神の怒り」だと恐れ、不安とパニックから必需品を略奪、差別、デマが出回り、挙句にユダヤ人の虐殺まで行われたという。人々が恐怖に陥ったとき、どのような行動に出るのか、ペストから学ぶことは多そうだ。ちなみに、このパンデミックがきっかけとなり、ヨーロッパの貿易の中心だったベネツィアが40日間の海上検疫をつくった。検疫期間の40日を意味する「quarantaine(キャランテンヌ)」という言葉が「検疫、隔離」という意味で使われるようになったのもこの頃からなのである。

次に、17世紀、ロンドンでペストが大流行した。大学は閉鎖され、学生たちはみな疎開させられた。その当時、学生だった自然哲学者のアイザック・ニュートンも田舎に帰り、18ヶ月間の疎開暮らしをした。その間に思想をめぐらせ、のちに「ニュートンの三大業績」と言われることになる、微分積分の証明、光学、万有引力の着想を得たのだ。ペスト大流行が生んだ副産物ということになる。

1720年にはフランス・マルセイユでまたペストが大流行したが、検疫の強化と衛生面の改善で、それ以降、ヨーロッパでペストが流行ることはなくなった(オスマン帝国では19世紀まで流行が続いた)。ここまでが第二次流行である。

第三次流行は19世紀末から現在までとされており、19世紀末、腺ペストの大流行に始まる。こちらも、またもや、中国が起源となり、香港で大流行したことから世界に広がったのだが、その当時、香港で、ペストの病原体となる「ペスト菌」が見つけられた。その病原体を見つけたのが、ペスト菌の学術名「エルシニア・ペスティス」にもなっているスイス出身のフランス人、アレキサンドル・エルサンと、当時ドイツ人細菌学者ロベルト・コッホに師事していた日本の細菌学者、北里柴三郎だった。のちに、北里氏が発見したペスト菌の性質がエルサン氏のものと一致せず、ペスト菌の発見者はアレキサンドル・エルサンのみであるという見方が強くなってしまったようだ。しかし、北里柴三郎は香港で確かにエルサンと同じペスト菌を発見しており、しかも、その発表はエルサンより少し早く医学誌ランセットに掲載されている。(のちに、アメリカの論文で、北里柴三郎がペスト菌を発見していたことが証明されている)世界を恐怖に陥れたペストの病原菌を見つけたのが日本人だったとは。北里柴三郎は1897年に「伝染病予防法」、1899年には「開港検疫法」の法律を整えており、そのおかげで日本にはペストがほとんど入ってこなかったのだという。

地球カレッジ



ペスト大流行時代と現代の驚くべき類似点!

ペストは主にノミやシラミが感染源で、感染に貧富の差(清潔度の違い)が大きく影響したということから、人々に不潔、清潔の概念を生んだ疫病であった。そのペストが世界的に広がった一番の理由は、世界の交通整備が整い、人や物の行き交いが可能になり、人々の関係が密接になったからと言われる。そして、それをくい止める唯一の方法が、「検疫」だったのだ。自己増殖できないウイルスは生きる(複製させる)ための新しい細胞を探している。ワクチンや治療薬が存在しないならば、それをやっつける唯一の方法は、ウイルスに細胞を与えないこと、人と人が触れ合わないこと、それしかない。清潔にすること、検疫をすること、感染症に立ち向かうためにできることは何世紀も経ち、比較できないほど医療が進んだ今も変わっていないことがわかる。

2020年、新型コロナウイルス感染症は全世界に広がり、社会、経済、文化に新たな影響を与え始めている。ペストに学び、清潔を保ち、検疫を徹底的に守って、早くこの見えない敵との戦争の終息を祈るばかりだ。

自分流×帝京大学



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デザインストーリーズ編集部(Paris/Tokyo)。
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