PANORAMA STORIES
“ちゃんと看取りたい、看取られたい。でも。。。。” (フィンランド認知症高齢者施設から学ぶこと) Posted on 2017/01/20 ヒルトゥネン 久美子 通訳、プロジェクト・コーディネーター フィンランド・ヘルシンキ
「多くの人が、笑って死んでいくのよ。ある意味、死を迎える時はとても美しい瞬間だと思う。」
という言葉を初めて聞いた時、正直私はどう反応していいのかわかりませんでした。
同席していた、日本の介護士の方々も同じようでした。
私は仕事柄、日本とフィンランドの高齢者施設の交流のお手伝いをすることが多いのですが、フィンランドの認知症高齢者施設で聞いたこの言葉に、私たち日本人は皆、し〜んと静まりかえってしまいました。
施設長の女性は「日本では死について、どう考えているの?」と躊躇うことなくごく普通に聞いてきます。
「そういう話は、あまり慣れていないので・・・」みたいな、たどたどしい答えしか返せなかった日本チームですが、本当は皆、「まずい。これこそ、ちゃんと考えるべきことなんだろうな・・・」と内心焦っておりました。
高齢化、高齢化と日常よく耳にしている日本ですが、高齢者の生きる、そして生ききる環境について、今元気な私たちは、実はあまり考えが及んでいません。
現場で働く介護士の方々も、仕事として良いサービスを提供しようと熱心ですが、日頃職場で高齢者が迎える死について話をする機会はほとんどないようです。そんなことは不謹慎なのか、縁起でもないことなのか、話す機会があっても事務所の奥でひそひそという感じ。スタッフ全員で語り合うことも必要なのでは?
必ず最期の時が来る現場で仕事をしていながら、若いスタッフなど多くの介護士が経験も研修もうけていないので、もしそんな場面に出くわしたら「怖い」と言います。
結局、何年か面倒を見た高齢者も最後になると慌ただしく病院に連れて行かれてしまいます。
スタッフの方々もどう心の整理をしたらよいかわからず、苦しそうです。
高齢者ケアの現場の方々が、高齢者自身が考えていること(目の前に迫っていること)を避けて日々顔を合わせているのは変な感じがします。
一方のフィンランドでは死は不謹慎でも縁起でもないことではなく、
「人の一生は生まれてから終わるまで」の自然なものと理解し、日頃からあえて話題にしているのです。
「えっ、隣に高齢者やそのご家族もいらっしゃるのに?」と私たちが戸惑うことがあるくらい。
むしろ、声をひそめたりせず、親切に自分たちの死生観を語ってくれます。
「すべての人に自分の生きてきた道がある。そのMy Type of Lifeをできるだけ最後まで続けたい。人生は誕生から死までひとつながりのその線状で終わりを迎えるものですものね。」
と心から納得させられる立派な考え・・・。
「こんなに長く一緒に暮らしてきたおじいちゃんを病院に送るなんて、そんなことはできない」
とフィンランドの介護士は言います。そして最期は家族も泊まり込み、おじいちゃんの自分の部屋で好きな音楽をかけ、痛みもなく、笑みを浮かべながら眠る、のだとか・・・。
こんな最期を施設のすべての高齢者と迎えてきたという施設長。
重い仕事ではあってもスタッフの充実感はもちろん、家族の心の平安がとても大きいとも話してくれました。
一緒にその時を迎えた友人としての心の支えは大きく、天国に送った後も、しばらくの間おじいちゃんの暮らしていたその家である施設に立ち寄り、スタッフと共に思い出話をする家族も多いそうです。
なんとなくわかるな〜〜。
もちろん、こういうことができる背景には充実した研修制度、継続される話し合い、医療介護プロフェッショナルと家族の連携があります。でも、笑って死んでいくって・・・。
そういう感じで「看取り」「看取られる」ために、今、私たちはどう生きていったらいいのでしょう?
まず、勇気を持って何でも話し合ってみること。
話ができる友人を沢山作ること。
My Type of Lifeを生きること。
そして家族を愛すること。
生きることの基本に立ち戻ることだと私は考えるのです。
Posted by ヒルトゥネン 久美子
ヒルトゥネン 久美子
▷記事一覧通訳、プロジェクト・コーディネーター。KH Japan Management Oy 代表。教育と福祉を中心に日本・フィンランド間の交流、研究プロジェクトを多数担当。フィンランドに暮らしていると兎に角、色々考えさせられます。現在の関心事はMy Type of Lifeをどう生きるか、そしてどう人生を終えたいか。この事を日本の皆さんと楽しく、真面目に、一緒に考えていきたいです。