PANORAMA STORIES
佐伯幸太郎の美女と美食三昧 「975」 Posted on 2016/10/25 佐伯 幸太郎 ライター パリ
呼び出されるのはいいんだけどさ、中心地から離れてるとこにわざわざ行くの面倒だな、なんて思いながら行ったんだよ。パリ18区寄りの17区、Brochantって駅からすぐの通り沿いに、木材のファサードがシックな、「975」というステファニー指定のレストランはあった。
入り口を入ってすぐ右手に小さなカウンター席があって、彼女はそこに陣取っていた。カウンターの向こう側がキッチンになっていて、本当だ、コックコートを身に着けた2人の日本人男性が黙々と料理を作っている。なんとなく、目を合わせずらい感じがするのは俺も日本人だからかな。
その日本人シェフの2人組は俺のことをすぐ日本人と認識したのか、「いらっしゃいませ」と日本語で挨拶してきやがった。俺は、ボンソワール、とフランス語で返しておいた。新しいレストランを見つけては巡るのが趣味だというステファニーは、最近一番のお気に入りなのよ、と俺に耳打ちしてきた。
まだ開店して1年半ほどらしいが、当日の予約はまず取れないんだとか・・・。「ここはアラカルトもいいけど、おまかせコースが素晴らしいの。リーズナブルなのに、ひとつひとつのお皿が贅沢なのよ」
俺の目当てはお前なんだけど、と口に出かかったけど、やめといた。
おまかせコース38ユーロとあり、前菜2皿、魚料理、肉料理、デザートの5皿だった。なるほど5皿で38ユーロはリーズナブルだね。ま、味次第だけどな。ステファニーはパリジェンヌを絵に描いたようないい女なんだ。フランスの女って、自分でシャンパンを注がない。「女が自分でシャンパンをつぐとブスになるんだって小さい頃、パパに教わったの」ってステファニーが言う。はいはいはい。だから、俺は、本当はアメリカの女の方が好きだ。余計なこと言わないし、愛に元気だし。
アペリティフがそろそろなくなるタイミングで、最初の前菜、鮮やかなライトグリーンの1皿がサーブされた。ポタージュのようなレタスクリームの上に細かく刻まれた鴨の燻製が添えられ、その上からスパイスのクランブルが散りばめられてある。
前菜に合わせてサービスのハンサム君が選んでくれたのは、エチケットがかわいい南仏地方Uzèsの白、 Mas d’Espanet ‘’Eolienne’’。すっきりとした味わいで、飲み込んだ後に鼻から仄かに柑橘系の香りが抜ける。主張しすぎず、料理にもよく合う。
前菜2皿目は鯖を使った一品だった。キノアのサラダが上品に敷かれ、その上にのせられた鯖の炙りから香ばしい香りが上ってくる。何より目を引くのは鯖の周りの彩りだ。真っ赤なグロゼイユ(スグリ)とジンジャーのピュレがバランスよく並んでいる。鯖の上にはベトラーヴのマリネ、大きな花が咲いているようだ。
期待は裏切られることなく魚料理へと続く。キャベツのコンポートの上に、秋を感じるジロール茸、栗、ナッツ、メルゲーズ、金柑のコンポートがあしらわれ、真ん中には白く美しいアンコウが座している。その周りを柑橘系とコリアンダー、二種類のソースが水玉のように寄り添い、彩りをより豊かにしている。サービスの男性が近付き、小さなソースポットから羊肉とマンダリンで取ったブイヨンをお皿に注いだ。色々な香りが混ざり合い、食べる前から「美味しい!」と言ってしまいそうだった。
肉料理へ行く前に・・・、さて、俺の出番だ。ステファニーのためにワインを選ぶことにした。次は肉料理だから赤がいいだろう。俺が選んだ赤はBourgogneのLadoix ‘’Vieille Vigne’’。2013年らしい若さはあったが、喉の奥から鼻腔へ駆け抜けるサクランボと木苺の香りが俺の味覚と嗅覚を喜ばせる。へへへ。
最後は仔牛のロティ。出てきた皿を見て、思わずため息が零れ出た。綺麗なロゼに焼かれており、甲殻類とトウモロコシで取ったクリームが掛けられてある。軽く胡麻で和えたほうれん草が色のアクセントとなり、更にトウモロコシを伸ばして作ったというチップスが立てられてあった。見た目にも遊び心を感じられる楽しい1皿で。赤ワインも進み、デザートは私よ、とステファニーが言い出しそうな感じ。これは間違いなくこの仔牛のロティの力だね。
いいぞいいぞ!
サービスの男性が皿を下げながら、デザートは何にしますか? と訊ねてきた。だから、デザートはステファニーなんだよ、と言いかけたちょうどその時、さっそうと一人の男が店内に入って来やがった。ステファニーが立ち上がり、マーク、と言った。どうやら二人は幼馴染らしい。15年ぶりの再会だとかで、何もこんな日に、こんなところで。「この店が評判だから、来てみたんだ」とその男は言った。ちぇ、気分悪い、俺の出番はなしということだ。
店を出て目の前の道路を渡り、改めて振り返ると、まるでレストランが一つのランプのように橙色に浮き上がっていた。俺が譲った席にマークがいた。その隣にかわいこちゃんがいた。でもなんでかな、この二人絵になっている。俺は満腹だったし、いい意味で期待を裏切られた一夜であった。
Posted by 佐伯 幸太郎
佐伯 幸太郎
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ライター。渡欧25年のベテラン異邦人。ワインの輸入業からはじまり、旅行代理店勤務、某有名ホテルの広報を得て、現在はフリーランスのライター。妻子持ちだが、美しい女性と冒険には目がない。モットー、滅びゆくその瞬間まで欲深く。