PANORAMA STORIES
コロナウィルス、家庭への影響 Posted on 2020/04/02 尾崎 景都 日本語教師 パリ
3月13日を最後に、学校が閉鎖となった。娘が通っている保育園ももちろん閉鎖。夫婦共働きの我が家では、翌週からどうするか頭を抱えた。
翌14日、国民生活に必須なもの(食料品店、薬局、ガソリンスタンド、銀行など)を除く全ての店、施設が閉鎖となった。料理人をしている私の夫が働く店ももちろん対象だ。14日の夜、レストランのオーナーから連絡が入り、やっぱりか、とため息をついた夫。コロナウィルスが騒がれだして数日が経っていた頃で、人々は既にレストランへ足が遠のき出していたが、夫の店はそれでも連日満員だったため、山ほど仕込みをしてしまったらしい。その日はレストランが休みの日だったので、日をまたいで仕込みした食材の整理に行っていた。予期していたとは言えやはり突然。どの飲食店もそうだと思うが、その翌日の廃棄は膨大であったと想像するに難くない。国レベルで様々な経済損害が出ている中、一レストランの廃棄量など誰も気に留めないのであろうが、レストラン側からしてみれば、それはそれで大きな損害なはずだ。
嬉しくもない誤算で、しばらくは夫が娘を自宅で見てくれることになった。
翌月曜日16日、まだ事態を甘く見ていた会社員の私は、いつも通り出勤した。正直、うちの会社自体、その時点ではそこまで重要視していなかった。だが、やがて来るであろうテレワークに備えて、毎日パソコンを持ち帰って様子を見るという措置が取られた。
と、考える間もなく17日、今度は厳格な移動制限措置。違反者には罰金、基本的には自宅で大人しくしていろというものであったが、仕事内容的に出社は必要なものと考えた私は、出勤証明書を片手に出勤した。だが、日に日に広がる感染、政府の会見、飛び交うニュース。我が社の社長も事態を重く見て、特別な理由がない限りは自宅でテレワークという決断を下した。我が身と家族のことを考えれば最善策なのは分かっているが、テレワークはつらいものだ。いつもと勝手が違う業務も去ることながら、家にはまだまだかまって盛りの2歳児がいる。有り余る体力、軟禁状態からのストレス、いつもはいないパパがずっと一緒にいるという興奮。夫が見てくれているとは言え、会社にいる時と比べたら、私の集中力は雲泥の差だ。
少しの外出にも自筆の証明書を持ち、今では移動範囲も1キロ圏内1時間以内。子供も私たちも気分転換はしたいが、いつ警察に声を掛けられるかと思うと外出も億劫になる。
加えて現在妊娠中の私。外出は極力控えているが、家でばかり子供と過ごしているとやたらと子供が甘えてお腹に乗ってくる。これは地味につらい。
そして毎月の検診、助産師講習、ラボで行う毎月の採血と、妊婦は何かと外出が多い。3月半ばの検診は病院まで出向いたが、しばらくこの調子なら来月の検診はビデオ検診にしましょうと言われた。助産師からは早々にビデオ通話で講習と言われている。今のところ順調に育っているので確かに検診に行ったところであれこれすることはないのだが、とは言え実際会って診てもらえないというのは不安が残る。状況が状況だが、触診してもらったり、胎児の心音を聴いたりできない不安はなかなか拭い去れない。
現在、病院へ行くときは基本付き添い禁止で、付き添いが必要な子供の診察も付き添いは1人までと厳しく制限されている。そんな中、今フランスの多くの産院で父親の面会すら禁止という措置を取っているというニュースを見る。出産時の数時間のみの付き添いが許され、その後退院までは面会が出来ないとしている病院が少なからずあるという情報を目にするたび、私の出産の時はどうなっているのだろうと良くない想像をしてしまう。
家庭によって事情は異なる。その各々の状況によって生活に様々な弊害が出ていることは間違いない。
娘の通う保育園の園長先生も「今年は色々な問題が起こりすぎている」と頭を痛めていたが、つわりの時期には大規模なストで電車が止まり散々歩かされ、お腹が大きくなり病院通いも頻繁になってきた今になって自宅軟禁とは、私も頭が痛い。
1日も早い終息を願うばかりである。
Posted by 尾崎 景都
尾崎 景都
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パリ第7大学 言語音声学科 修士課程修了後、日本語教師として活動中。夫は料理人。