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フランスで活躍! 若き日本人バレーボール選手 Posted on 2019/05/14 尾崎 景都 日本語教師 パリ
今季、フランスの男子プロバレーボールチームで1人の日本人が活躍していたことをご存知だろうか。
本間隆太、27歳。日本では愛知のJtekt Stingsというチームに在籍している。ポジションはリベロ。昨年、パリバレーという本拠地パリのクラブへ契約を打診し、パリバレーは快諾。そして2018年9月、フランスの地へ降り立った。契約は9ヶ月間という短い期間でありながら、彼は仲間たちを何度も勝利へ導いた。
パリバレーは、フランス国内のみならず、ヨーロッパバレー界にも名を馳せる強豪クラブだ。しかし、2007年は全仏チャンピオンであるにも関わらず財政難でBリーグ降格、その後Aリーグに返り咲き活躍を続けるも、昨年6月、再び財政上の問題でBリーグに降格してしまう。今回は、そんなパリバレーがAリーグに完全復活するか否か、運命を分ける大事なシーズンだった。そんな中、本間選手を是非、と受け入れたという事実に、本間選手に対する期待の高さが窺える。
事情によりやむなくBリーグに身を置いているが、元々はヨーロッパトップクラスの実力。リーグ戦を予選1位で通過したパリバレーは、プレーオフも順調に勝ち上がり、5月4日、優勝を決める決勝戦の大舞台に立った。驚いたのは、決勝戦のチケットがなんと無料。フランスにもバレーファンは多くいるものの、サッカーやラグビーと比べるとまだ少し日陰の存在になりがち。今回の大一番で、バレーの魅力をさらに伝えたいと無料観戦に踏み切ったのではないかと思うと、フランスバレー界の熱い想いを感じる。しかも決勝戦の試合会場は、ホームであるパリ。ひょんなきっかけで本間選手と知り合い、影ながら応援してきた私たちは家族総出で応援に駆けつけた。
特等席で観戦したい、と早めに到着したのだが、試合開始1時間近くも前から既に会場は緊張と興奮が漂う熱気に包まれていた。老若男女がコートを取り囲む光景に、バレーファン層の広さを垣間見た。決勝戦の対戦相手は、本拠地をフランス西部のSaint-Nazaireという海沿いの町に構えるクラブ。予選通過は6位だったものの、プレーオフで勢いよく勝利を重ね、優勝候補にまで上り詰めた、正に気合と根性のあるチームだ。パリでの試合はアウェーだが、熱烈なサポーターが多く駆けつけており、ホームのサポーターに引けをとらない応援で会場を盛り上げていた。自由の国フランスではスポーツの演出も自由そのもの。試合開始前の選手紹介や試合中の得点では、大音量のロック音楽や派手な照明で観戦するサポーターたちを熱狂させていた。
バレーではアタッカーが花形という印象だが、リベロは相手チームから返ってきたボールを最初に受け止める大事なポジション。リベロはチームの中で1人だけユニフォームの色が違うので見つけやすいが、それでなくとも本間選手のボールへ食らいつく姿は目を惹いた。ジャンプの高さ、とっさの状況判断で練り直される戦略、仲間同士の鼓舞、そして何より、勝利への執念。プロバレーを初めて間近で観戦した私たちは、終始圧倒されていた。結果は3セット連取のストレート勝ち。パリバレーは再び、Aリーグ昇格を確実なものとした。
表彰式ではトロフィーと金メダル授与があり、会場の空気は歓喜と賞賛でより一層の熱を帯びた。試合後すぐに、観客が列を成して選手とハイタッチをする。私ももちろんその列に紛れ込んだ。選手たちの大きく熱く力強い掌の感触は、私の手にいつまでも残った。
こちらでは一般客が試合後のコートへ入ることができる。表彰式終了後、私たちは本間選手に会いにコートへ下りた。金メダルを首から下げた本間選手の表情は歓びで輝き、瞳は赤く潤んでいるように見えた。「おめでとう」と伝えると、「こんなに嬉しい気持ちになるなんて」と、自分の中で溢れる感情に頭が追いつかないかのようにはにかんでいた。コートを埋める優勝祝いの紙吹雪で夢中になって遊んでいる我が娘を抱っこし、写真を撮ってくれた。優しさと意志の強さを湛えた本間選手の顔つきに、日本バレー界の希望に溢れた未来を見た。
翌日、優勝の興奮冷めやらぬ私たち家族が一緒にお茶でもしましょうと誘うと、帰国が迫り時間がない中、「喜んで」と応じてくれた。プライベートの本間選手はとても気さくで、ちょろちょろ動き回る娘の相手までしてくれた。「今回の滞在で一番難しかったのは、やっぱり言葉。フランス語は難しかったので、チームメイトとのコミュニケーションは挨拶以外全て英語でした。でもバゲットは本当に美味しかった。人も優しいし、フランス語ができれば、このままフランスに移住したいくらい」と笑った。
試合後声を掛けた時、目が潤んでいましたね、と少し意地悪なことを聞くと、「実は勝利が決まった瞬間号泣しちゃったんです」と教えてくれた。
パリバレーの実力をもってすれば、Aリーグ昇格は当たり前。そんな周りからのプレッシャーが常にあった。しかし今回のリーグ戦のあとすぐ日本へ戻らなければならない自分は、チームが優勝してAリーグに戻れてもそのまま一緒に続けていくことは出来ない。自分には関係のないこの先のことでこのプレッシャーは正直重すぎた。でも試合を重ね、チームメイトとの関係も密になるにつれ、最後には、どうしても勝ちたい、勝って仲間をAリーグへ上げたい。そう思うようになった。優勝が決まった瞬間は、勝った喜びと、仲間を本来いるべきAリーグへ戻すことができたという達成感と、これで自分のパリでのバレー生活は終わったんだという脱力感と寂しさと、色んな気持ちが混ざって涙が出てきてしまった。そう語ってくれた。
私は、「こんなに嬉しい気持ちになるなんて」とはにかんだ試合後の本間選手を思い出し、その一言が意味する想いに再び感激してしまった。
フランスのクラブでバレーが出来たことは、自分のバレー人生に大きな影響を与えた。と本間選手は言う。高さもパワーも全てが桁違い。これから帰国してしばらく日本での活動が続くが、この経験を糧に、また世界で挑戦したい。真摯に語った。
本間選手がバレーを始めたのは9歳の頃。姉のあとについてバレーボールで遊んでいた少年は、15年以上経った今、世界を展望している。
Posted by 尾崎 景都
尾崎 景都
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パリ第7大学 言語音声学科 修士課程修了後、日本語教師として活動中。夫は料理人。