PANORAMA STORIES
地中海の楽園を地震が襲った日 Posted on 2017/08/26 八重樫 圭輔 シェフ イタリア・イスキア
災害に直面した時、真っ先に脳裏に浮かぶのは何だろう? それはやっぱり、愛する家族たちの顔に違いない。
8月21日午後8時57分(日本時間の22日午前3時57分)、緑の島、地中海の楽園とも称されるここイスキア島を地震が襲った。
8月はリゾート地であるイスキア島にとっては繁盛期。
そして午後9時前後は、レストランにも続々とお客さんが入ってくる時間帯なのだ。
次々に舞い込んでくるオーダーや、調理中の鍋を前に、集中力と気合を高めるため深呼吸をした直後のことだった。
ズーン、、、という重い圧力がかかったような音とともに停電になった。島の人口の何倍もの観光客が押し寄せるシーズン中にはよくある停電。まずは、うちのレストランだけなのかどうなのかを確認するため、ちょっとかがんで、厨房から外を見た。ああ、町全体の明かりが消えている。
これはちょっと時間がかかりそうだな… と思った瞬間、目の前がゆらっと、ゆがんだように動いた。それが地震だとわかるまでの、ほんの1秒か2秒が随分と長かったような気がする。
思ったよりも大きい……
誰かが叫んだ「外に出ろ!」取り敢えず火や器具の電源を切り、みんな外に出た。
割と大きめに横に何度か揺れた感じだったと思うが、物が落下したりとかそういう被害はなかった。
バカンス中の突然の出来事に呆然とする人たち。大半は明らかにパニックに陥っていた。泣き出す人、大声で何かを言っている人、席を立って逃げ出す人。
そして全員が一斉に携帯で身内や友人の安否確認をし始めた。
テレビでも大々的に地震のことが取り上げられていて、徐々にその被害の状況が明らかになってきた。震源地は島北部の沖のごく浅い海底。古代の火山活動による断層が動いたらしい。
実際、地震のあった翌日の早朝5時、ドドドドドーンという轟音が海のほうから聞こえた。その後の揺れはごくわずかなものだったけれど自然の脅威に胸が震えた。
最も被害が大きかったのは僕が住むフォリオの町の隣にあるラッコアメーノから、その隣のカーサミッチョラにかけての高台の地域だった。多くの建物が半壊、または全壊して、2名が犠牲になった。約40人が負傷し、2600人余りが避難を余儀なくされた。
特にカーサミッチョラでの被害が大きいが、この町は1883年にも地震で町全体が壊滅しており、当時の人口4000人中2300人余りが亡くなるという大惨事に見舞われている。今回の地震はマグニチュード4.0とされている。この地域の被害を見ると、メディアなどで議論にもなっている家の作りの脆弱さも確かに原因かもしれないけれど、特にここだけに大きな力が加わったのではないかと思わざるを得ない。
地震から2日たち、島は落ち着きを取り戻しつつある。しかし観光客の一部は地震の直後から港に列を作り、帰ってしまったし、ホテルも続々とキャンセルが続いて閑古鳥が鳴いているという。
あんなにごった返していたバカンス最盛期の町が一瞬にして静かになった。
被害の大きかったカーサミッチョラの様子を見に行った。街も港に近い部分は日常が戻ってきている。
しかし、依然、消防隊や警察、テレビのクルーなどが多く残り、緊迫したムードが残っている。被害のあった地域に近づくにつれ、階段や石垣の崩落、家の外壁の大きなひび割れなどが目立つ。家が倒壊した地域への立ち入りは禁止されていた。
それにしても、ここら辺を歩くのは何年ぶりだろう。イスキアらしい、のどかな風景が続く坂道や港の見える高台。大げさだと非難されがちの報道は、確かに現実のごく一部をクローズアップして伝えているのかもしれない。
けれども島民にとって今回の地震は事実として、現実の恐ろしさを心に刻む出来事となった。
Posted by 八重樫 圭輔
八重樫 圭輔
▷記事一覧Keisuke Yaegashi
シェフ。函館市生まれ。大学在学中に料理人になることを決め、2000年に渡伊。現在は家族とともにイスキア島に在住。