PANORAMA STORIES
チャリティランで始まるタイの新年 Posted on 2018/01/09 米山 一也 教員 タイ バンコク
「称賛など要らない、私はヒーロでもないし、特別な人間でもない。私は人々と問題をつなぐ架け橋に過ぎない。タイの人々に公立病院が抱えている財政難という問題に気付いてもらいたかったのだ」
「称賛すべきは厳しい環境の中で働いている医者や看護婦、そしてその問題を解決しようとしている多くの人々だ。どんな小さな助けでも、みんなで協力すれば、もっと多くの命を助ける事が出来る。だから、私はタイ縦断のチャリティランを始めたのだ。公立病院の医者や看護婦やスタッフをサポートしたい。彼らは患者から一身の期待を背負い、厳しい環境の中で一生懸命働いているのだから……」
ある医者が私に言った。「もっと医療機器があれば、患者の命を救う事が出来るのに」と。
こうしてタイの人気バンド “body slam” のボーカル、トゥーンの チャリティランは始まった。
去年の11月1日の事だ。出発地はタイの深南部のヤラ県。マレーシアとの国境でモスラム教徒が大部分を占め、近年多くのテロ事件が起きている危険なエリアだ。仏教が主流なタイにおいて異端ともいえるヤラ県を、彼はあえてそのスタートの地として選んだ。
「人の命を救う」という共通の目標があれば宗教や考え方の違いを乗り越え、タイの人々は一致団結する事が出来るという事を彼は身をもって示したかったのだろう。
安全も懸念されたが、トゥーンはそのエリアを無事に4日間で走り抜き、7千万バーツ(約2億1千万円)を集め、そのお金を地元のヤラ公立病院に寄付した。
トゥーンはその後も、一日中走り続けた。休みは4日に一度しか取らなかった。道中、入院していて寄付を渡す事が出来ないという老女の話を聞けばその入院先も訪ねた。
子供達は自分で貯めた貯金箱を片手に彼に伴走し、そのお金を託した。
彼は走り続けた。タイの人々、特に貧困層の健康を守っている公立病院の医師や看護婦を助けるために……。
そして去年のクリスマスの日、ゴールのチェンライにたどり着いた。そのミャンマーとの国境の町は彼を温かく歓迎し、その通りは寄付をする人で溢れかえった。
トゥーンは55日間にタイの20の県、2191キロを縦走し11億バーツ(約33億円)のお金を集めた。そして又そのお金を11の公立病院に寄付した。彼は2016年にも同様なチャリティランを行い、7,900万バーツ(約2億3千万円)を得たが、今回はその14倍近くのお金を集めた。
「歌手なのだからコンサートをしてお金を集めればいいではないか」という意見に対し、トゥーンは「コンサートでは病院の機材を買うのに十分なお金を集める事が出来ません。そこで私は自分で走る事を思いついたのです。そうすれば、タイの公立病院が抱えている問題について人々に気付いてもらえるし、その途中で寄付も募ることが出来るからです」と答えた。
「チャリティランなんか一時的な気休めにしか過ぎず、公立病院の財政難という根本的な解決にはならない」というとシニカルな評論もあったが、多くのタイのメディアはこのイベントに好意的だ。
なぜなら、政治的な抗議集会や空港閉鎖などで政治的に分断されたこの国でも、私心を捨て「人の命を救う」という大儀の基に人々が一致団結すれば、大きな事を成し遂げられるいう事をこのイベントが示したからだ。
「微笑みの国」の住人たちは彼らの持ち味であるその優しさと思いやりを見せた。
チャリティランが進むにつれ、沿道の人の数がどんどんと増えていった。子供達はトゥーンの周りを走り回り、大人達はワイ(一礼)をして彼にお金を手渡した。
走り続けるトゥーンとそれを見守る沿道の人々……。彼らの笑顔がとてもまぶしかった。
正月は一年の始まりでタイでも重要な祝日だ。
年末タイの友達に、「正月はどうするの?」と尋ねると「家族と一緒に過ごしてそれから病院へ行く」という答えが戻ってきた。
「どうしたの? 誰か病気なの?」と聞くと、「近所の病院へ行ってタンブン(寄付)するんだ。もし病院にお金がなかったら僕達は生まれてこれなかったんだよ」と彼は微笑んだ。
トゥーンのチャリティランの様子 (タイ語/英文字幕)
Posted by 米山 一也
米山 一也
▷記事一覧日本の大学を卒業し、オーストラリアの大学で教員免許を取得し、現在はタイのバンコクのインターナショナルスクールで働いています。今年でタイ生活が22年になりました。家族は4人。2人の娘がいます。