PANORAMA STORIES
輝く玉ねぎ Posted on 2016/12/09 大島 泉 ライター パリ
「見て、見て、大きい玉ねぎ!」と、弾むような幼児の声が、車内に響いた。
今年の初夏のある晴れた日、アルマ橋をセーヌ左岸に渡る、92番のバスに乗っていたときのことだ。
子供は、エッフェル塔の方角を指さしている。
見ると、確かにそこに輝く玉ねぎがあった。これは何かに似ている。
バスが橋を渡り切ったところで、ああ、スカイツリーを背景に隅田川の畔に輝く、アサヒビール屋上の、フィリップ・スタルク作の金のあれだ、と思い出した。
大きな玉ねぎは、ロシア正教会の屋根の上に建つドーム。
モスクワとサントペテルスブルグに旅したときに訪れた数々の教会の、それぞれに意匠を凝らしたドームは、ロシアを思うときにまず瞼の裏に浮かぶものだ。
天に向かう祈りを表し、ろうそくの灯をデザインしたという、群立する愛らしいフォルムの玉ねぎは、根はフランスと同じキリスト教でありながら、はっきりとエキゾチックな、ロシア正教会のシンボル的な存在。
10月の終わりに受け取ったプレス向けの招待状の中に「ロシア正教パリ宗教文化センター」というややこしい名前の施設の竣工式があった。普段、女性誌の仕事をしている私になぜこの招待が来たのかはわからないが、あの玉ねぎ教会の中が見られるまたとないチャンス。
プーチンが来る、いや、シリア問題をめぐるフランスとの対立から来仏は中止だ、とマスコミが騒ぎ、厳しい警備に守られた式典には、黒いマントに長い髭のロシア正教の主教たちや、フランス人とは明らかに違う鋭い目つきのスーツ姿の男性陣や、一体どこからこんなに集めたのだろう、毛皮のコートに目尻のキッと上がった濃いメイクの、絵に描いたようなロシア女性たちがホールいっぱいに集まっていた。
誰もにこりともしない。式典がこれまた、冗談の一つもないスピーチが延々と続き、通訳が弾丸のようなスピードでフランス語に訳してゆく。
面白かったのは、建築を手がけたジャン=ミッシェル・ヴィルモットの話だった。
ルーヴル美術館やオルセー美術館の大改装、日本では文化村などを手掛けたフランスの著名な建築家は、それまでのロシアの面々の、いわばプロパガンダ的な論調とは打って変わって、細かく、何をどう使って、パリでありロシアであることを表現したかを挙げて行った。
パリの景観に溶け込む色彩と素材感を求めて、トロカデロ宮やイエナ橋に使われているのと同じブルゴーニュ産の明るいクリーム色の石材にたどり着いたこと。それをそのままでなく、ストライプ状のレリーフに削ることで陰影を出し、屋根の上のドームの輝きを強調したこと。
ドームの素材には、金とパラジウムを混合して、曇りや雨の日も光を受けてマットに輝くテクスチャを求めたこと。
ドームの輝きが完璧に滑らかであるためにと、カタマランの業者に作らせたファイバー素材のハイテクの型であること。高さ14メートルの大きなドームは8つ、周囲の4つの小さなドームはそれぞれ3つのパーツに分けて作られ、クレーンで吊るして屋根の上で組み立てたことなど・・・。
やっと教会堂の見学の時間になった。
扉が開いて、ぞろぞろと中に入ると、あちこちから差し込む日光が、真っ白い壁にあたり、爽やかに明るい。
イコンがずらりと並び香の煙が漂う荘厳なロシア教会のイメージとはまるで違う。
純白の高い天井が、祈りを、まっすぐ天に届けてくれそうな気がして、私はとても心地よかった。
後で聞いたところでは、内装は単に完成していないだけで、これから装飾され、
残念ながらどうも純白のままでは終わらないようだ。
とりあえず、白い聖堂のままで、記憶に留めておくことにしよう。
Photography by Izumi Fily-OSHIMA
Posted by 大島 泉
大島 泉
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ライター。東京生まれ。1989年に渡仏。以来、日本の女性雑誌への執筆、取材コーディネート、通訳を続けている。これまで関わった媒体は『Marie Claire』『L’Officiel』『Harper’s Bazaar』『Elle』『Figaro』などの日本版、および『家庭画報』『Frau』など。