PANORAMA STORIES

コロナ禍、ニューヨークで思うこと Posted on 2020/03/25 千住 博 画家 ニューヨーク

コロナウイルスによって、ニューヨークの人々の生活も、外出禁止令やスーパーに並ぶ人々の列など大きく影響を受けています。

ニューヨークをはじめ、全米で、レストランやジムの全従業員解雇が進んでいます。

ニューヨーク州の事業所には、従業員は誰も通勤させてはいけないという、事実上の閉鎖命令が出ました。
私のニューヨークアトリエも、従業員を使っている”事業所”ですから、この命令の対象になります。
それで制作の中断を余儀なくされました。
私は2020年5月のタゴール・ロンドンの大掛かりな個展のため、年初からニューヨークのアトリエでスタッフ数人に手伝ってもらいながらこの制作に集中していました。
額の制作から美術運送、関係する画商や会場設営、雑誌広報等、多様な人たちが関わります。
一つの個展の中止は、様々な人々に影響を与えます。
しかし今、中止または延期の判断が急がれている状況です。
私の小さな世界でも、このような状態です。
しかし人と人の接触を絶たないと、コロナは終息に向かわないのです。
生活の破綻とコロナの感染の二重の恐怖の中、ニューヨークの人々は恐る恐る様子をうかがいながら、暮らしています。

コロナ禍、ニューヨークで思うこと

撮影:ジャン・モリ

 


ベネチアの水が澄んで、中国の空気が清らかになって、ニューヨークの騒音は消えました。
テレビに映る映像はまるで廃墟を思わせます。
つまり廃墟とは、人間活動のコミュニケーションが生み出す様々で雑多な混沌のないことなのだと教えられます。
普段はうるさいと思った騒音や生み出すゴミ、混雑など、いざ無くなってみると、これが人間活動、都市ということの実態だったと気づきます。

かつて、都市とは、情報が行き交うということ、とある評論家は言いました。
それに加え、実は都市とは、この意味で、「廃墟ではない」ことだった、と私は思いました。

アーティストたちはネット配信で音楽を伝えたりメッセージを送ったり始めました。

コロナ禍、ニューヨークで思うこと

撮影:ジャン・モリ

 
翻って考えますと、フランス革命の中、ドラクロアは市民運動の前線に立つ人々を描き、人々の心を代弁しました。
第一次大戦のさなか生まれたのは、新しい価値観の提言ともいえるデュシャンの「泉」でした。
第二次大戦とミロ、ダリ、マグリット、ジャコメッティの人生は重なりますが、彼らの内実は鬱屈した時代の中、夢の発散でした。これはその時代のすべての人が心の中に描く空気感だったと思います。
芸術は、悩む市井の人々の側に立ちます。もちろん、ロココのような一見例外に見える時代はあります。しかしこれも大きな意味では時代に翻弄された人々が担い手でした。
その心を発散し、勇気を鼓舞し、生命を激励し、未来や夢を指向するのが芸術です。
歴史を振り返ってみれば、人類史とは戦争の日々であったし、感染症は、ギリシア、ローマから始まって多くの文明の衰退や国家の存亡に深く関わってきたことがわかります。
そのような時代時代に、芸術が担ったに違いない啓蒙に、改めて今気が付きます。

どの時代も、芸術家たちが、何を発信したか、これがとても大切だったのです。

私が初めて滝を発表したのは、1995年でした。
世界初公開が春のニューヨーク、そして夏のベネチア・ビエンナーレと続きました。
この年、1月に阪神淡路大震災、3月には地下鉄サリン事件が起こりました。
この年も日本は大変でした。
人々の閉塞感あるやりきれない思いを洗い流し、清めたい、誰もがはじめから持っている生命力に人々が気づく契機になってほしい、そんな事を考えて、滝を描いていたことを思い出します。
その1995年に生まれた滝を、東京銀座の永井画廊で4月1日から特別公開します。

ニューヨークもヨーロッパと同じで外出禁止です。
街がどうなっているか、世界がどうなっているのか、誰もテレビやネット以外では確かめようがありません。
都市とは、情報が行き交うということ、という言葉に改めて立ち戻ります。
コロナにより、世界から都市が消滅し、誰も姿が見えない、姿のないメディアの中にこそ、これから情報が行き交う”都市”が移築されていくのではないでしょうか。
それは、図らずも浮かび上がった、近未来社会の真の姿ではないでしょうか。



Posted by 千住 博

千住 博

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Hiroshi Senju
画家。京都芸術大学教授。1958年、東京都生まれ。1982年、東京藝術大学美術学部絵画科日本画専攻卒業。1987年、同大学院後期博士課程単位取得満期退学。1993年、拠点をニューヨークに移す。1995年、ヴェネツィア・ビエンナーレ絵画部門名誉賞を受賞(東洋人初)。2007~2012年、京都造形芸術大学学長。2011年、軽井沢千住博美術館開館。2013年、大徳寺聚光院襖絵を完成。2016年、薬師寺「平成の至宝」に選出され、収蔵。平成28年度外務大臣表彰受賞。2017年、イサム・ノグチ賞受賞。日本画の制作以外にも、舞台美術から駅や空港のアートディレクションまで幅広く活躍。