PANORAMA STORIES

鍋の中のアイデンティティ Posted on 2022/02/18 HARCO 食べて癒やすアルキミスタ スペイン・バレンシア

「今日、何食べたい?」

息子たちにそう聞くと、9割は同じ返事が返ってくる。
三人ともスペインで生まれ、日本で暮らした期間はわずか数か月。慣れ親しんでいるスペインの味を好んでも当然だと思うし、たとえ短い期間であっても日本にいた時に、忘れられない別の料理に出会ったかもしれない。それなのに、揃って「カレー」が食べたいという。まぁ、「スキヤキ」なんて言ったところで、出てこないのは目に見えているのだけれど……。

スペイン料理が食卓に並ぶほうが圧倒的に多い我が家。27年経って在住日本人数がようやく3名になった村では、日本食を作る以前に、食材入手から大困難なのだ。米、卵、野菜といった食材そのものの味も違うから、我が家の和食の登場率は下降の一途にある。

この世に生まれて母乳以外に最初に口にしたものだって日本ものではなかったし、味噌汁の上澄みなんて飲んだこともない。梅干しや納豆は成人した今でも食べられない。
そんな息子たちのリクエストはいつも、その昔、私自身が大好きで母にせがんだ「カレー」なのだ。

鍋の中のアイデンティティ



不定期だけど、キッチンにある一番大きな鍋で、何種類もの肉、骨、チョリソ、脂身とありったけの野菜、ひよこ豆を煮込んで、一体、何人分あるのかというほど大量のコシード(cocido)を作ることがある。

スペインの伝統的な家庭料理の1つであるこの料理は、地域、家庭によって具だけでなく食べ方も微妙に異なる。起源とされるユダヤ料理の羊や山羊の煮込み「アダフィナ(adafina)」がスペインに広がり豚肉文化に混合され、その後、フランスへと伝わったのだという。

コシードを大量に作るのには訳がある。利用範囲が泣けるほど広いのだ。

完成したらまず、スープと具を取り分ける。スープは塩味を調え、好みでパスタを加えて一皿目の料理に。具は野菜とひよこ豆を共に具に盛り付けて、各自が取り分けて好みで塩、オリーブオイル、ビネガーで食べる。これが二皿目になる。最後に肉類を食べ、結局、三皿制覇することになる。

ちなみに、我が家の男性諸君は何種類もの肉をほぐしてパンに挟み込んで食べるという大技でフィニッシュを迎える。スペイン人の胃はきっと、どうかしている。

鍋の中のアイデンティティ

地球カレッジ

それでもまだ、残ったコシード。そこで、今度は肉から骨を丁寧に外して野菜類と合わせ、別の鍋で具だけをオリーブオイルとニンニクで再調理。すると、ロパ・ビエハ(ropa vieja)という料理に変身する。パプリカとクミンを加えてエスニック風に仕上げると、これだけでワインが飲めてしまう。もちろん、残ったスープも大切に保存しておく。

スペイン語で古着を意味するロパ・ビエハ(ropa vieja)。残り物でもちゃんと愛着を持って消費する精神から生まれた言葉かもしれない。

さらに、コシードの残骸をハンドブレンダーで滑らかにしてベシャメルソースを加えて小さく纏めて揚げると、コロッケになる。しかし、コシードの残骸を連日テーブルに登場させて手抜きだと思われては不甲斐ない。これは数日間、冷凍してからそっと登場させる。

鍋の中のアイデンティティ



これだけ使いまわして、やっと我が家の儀式が始まる。保存しておいたスープと最後に残った肉と野菜の欠片を再び合わせて、マンゴーチャツネやスパイスを加えて火にかけると、黄色かったスープがトロリと艶のある深い飴色に変わり、カレーが出来上がる。

キッチンがもう、とんでもなく美味しい匂いになってしまって、息子を呼びに走る。
「えらいことや!!めちゃくちゃ美味しいかもしらん!!」
オカン、またかよという顔で息子が笑っている。

日本であろうが、外国であろうが、オカンの作るカレーはソウルフード。きっと、彼らのアイデンティティは、スペインに生きた日本人の母が作ったカレーの中にある。

鍋の中のアイデンティティ



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Posted by HARCO

スペインの地中海側都市バレンシア北西部の小さな田舎に暮らし27年。24歳で単身留学し、スペイン17州全土の郷土料理を食べ歩く。その後、スペイン人の夫と結婚、村一人の日本人としての3人の子育てはショッキングなことの連続だったが、ライター、料理研究家、通訳・ワイン・オリーブオイル輸出、オリジナル体験型ツアープロデュースといった仕事と両立することにより、「食べて生きる」について、真剣に考える機会を得ることができた。現在は『食べて癒やすアルキミスタ』として、スペインのライフスタイル、食文化、ハーブをツールに、そのまんまの自分を生きる大切さを発信する活動をしている。