PANORAMA STORIES
あの香りを求めて…静かな夏の、熱き戦い Posted on 2017/07/24 荒川 はるか イタリア語通訳・日本語教師 イタリア・ボローニャ
連日35度越えの真夏日が到来し、涼しい空気を求めてボローニャ市内から山の上のロイアーノに「移住」した。
朝は鳥たちの歌声で目が覚め、夜は虫の声や蛍の淡い光に心安らぐ、緑に囲まれたこの場所が夏の間の拠点となる。ご近所さんに恵まれ、栗林の手入れを教わったり、一緒に菜園を作ったり、山での生活は長閑ながらも飽きることがない。
この小さな集落で毎夏、お隣さんとの間である戦いが繰り広げられる。それはいつも不意に始まり、我が家からは早朝から夫や甥っ子、舅が出陣する。
森の中で敵と出くわしては情報交換をきどった探り合いが始まる。
相手の言うことを鵜呑みにせず、敵がまだ足を運んでいない場所を見極め、なんとか相手をそそのかして不利な方向に追いやらねばならない。
顔は笑っているが、眼つきは真剣だ。
数時間後、興奮冷めやらぬ顔つきで戦利品とともに帰還する我が家の兵士たち。
採りたてのポルチーニ茸を手に、これはどこの森の松の木の近くで見付けた、とか、こっちはヤツが通った後に落ち葉の下に隠れているのを見付け出した、とか目を輝かせながら報告してくれる。
そして次の出陣のための作戦会議が始まる。
ある日、敵も収穫の品を見せびらかしにやって来た。
画家の彼は菌学を学んだというキノコ狩りの名人で、キノコが生える環境や気象条件について知識がある上、この周辺の森も知り尽くしている。
お互いに鎌をかけ合っていると、どうやら「上の森」が手付かずらしいことを一同同時に察し、仲間内で目配せをすると各々見え透いた嘘をついて四方に散っていった。
数分後には全員が同じ森にいて、我先にとポルチーニスポットを目指していた、なんてこともあった。
幼い頃からキノコ狩りが大好きな甥は、初めて自力でポルチーニを見付けた時顔を真っ赤にして喜んだとか。
それからキノコに魅せられ少しずつコツを覚えてきた頃のこと、数メートル先に目に入ったポルチーニを目の前で横取りされ、悔しさに立ちすくむ経験をした。
この時を境に、普段は身内同然の間柄のお隣さんとの静かだが熱い戦いが始まったのだ。
無垢だった甥っ子も今はたくましくなり、ライバルに負けない素早さと勘の良さで、叔父にあたる私の夫と恒例の「戦い」を楽しむようになった。
キノコ狩りはミステリアスで、知識はもちろん、勘や運、根気がものを言うから面白い。
慣れてくると、木や土の匂いや、木の葉の様子からキノコが生えてくる気配が感じられるそう。
一つ見付けると更に2時間は探し回る元気が出る、と言うほど人を夢中にさせるポルチーニ。
栽培はできず天然ものが生えてくるのを待つしかないため、同じ森でも次から次に採れる年もあれば、「土が眠って」いてポルチーニどころか他のキノコさえほとんど顔を出さない年もある。
それに「土が目覚めて」もまたいつ眠りにつくかわからないから、時間との勝負。
風が強すぎたり、満月になったり、何か一つ条件が揃わなければパタリとキノコは出て来るのをやめてしまい、あえなく休戦となる。
結局、この戦いを支配しているのは他ならぬ自然なのだ。
そうなれば、戦利品をありがたく堪能するに尽きる。
スライスして乾燥させ、香り高くなったポルチーニをふんだんに使いクロスティーニやリゾットに。
森での「ライバル」は元料理人でもあり、キッチンでもその腕前を見せつけてくれる。もちろんここでは敵も味方もなくなる。
今年はすでに豊作を迎え、海を渡り日本の友人達の食卓にも届いたロイアーノの森の味覚。
そろそろまた姿を現してほしいところだが、森の神様にお願いしてみようか。
Posted by 荒川 はるか
荒川 はるか
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イタリア語通訳・日本語教師。東京生まれ。大学卒業後、イタリア、ボローニャに渡る。2000年よりイタリアで欧州車輸出会社、スポーツエージェンシー、二輪部品製造会社に通訳として勤める。その後、それまでの経験を生かしフリーランスで日伊企業間の会議通訳、自治体交流、文化事業など、幅広い分野の通訳に従事する。2015年には板橋区とボローニャの友好都市協定10周年の文化・産業交流の通訳を務める。2010年にはボローニャ大学外国語学部を卒業。同年より同学部にて日本語教師も務めている。